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2、ほつれ始めたもの

 「―――いくな。」


 震えるような悲痛な声。

 誰かが私を強く抱きしめ、耳元で囁く。


 私は声の主に視線を向けるが、私の瞳は何も映さない。

 目の前には真っ暗な闇が広がるばかりだ。


 だけど、この声を私は知っている。

 この声は私の一番好きな人の声。


 ―――どうかそんなに悲しまないで。

 ―――こんな私のことは、早く忘れて。


 頬に冷たい雫が落ちた。

 耳に残る大好きな人の切ない声。


 「…この世に魂があるかぎり、俺はおまえを探し続ける。

俺は、おまえをあきらめないから―――」




 そんな夢を見た。

 切なさに、泣きながら目が覚めた。




 * * * * *  




「だ~から、早希がいつまでもへこんでると、俺まで気が滅入っちゃうんだけど。ケガしたのは俺が鈍かったせいで、早希がそんなに責任感じることないって」


「そんなこと言ったって……」


 駅から学校への緩やかな上り坂。

 吐く息を白く凍らせる、清冽な朝の空気の中、右手でカリカリと頭をかきながら、浩平が後ろを歩く私を振り返る。

 左足は膝から下を完全にテーピングして固めた状態。

 その歩行を助けるため、左手には松葉杖が握られている。

 全治3週間の捻挫。浩平のケガは思った以上に『重傷』だったのだ。


「ケガ治るまで、そうやって毎日俺のカバン持ってくれるんでしょ? だったら、それでアイコってことで」


「……だけど」

 

 私が調子に乗って脚立の上で無理矢理棚の物を引っ張ったりしなければ、浩平はケガすることはなかったのだ。

 口は悪いけど、基本的に浩平は優しいから、人を責めたりしない。

 胸の前で二人分のカバンを抱えた手にきゅっと力が入る。


「どんくさい早希がケガするのを目の前で見るより、俺的にはずっとマシだし…」


「―――!? ちょっとぉ、『どんくさい』って何よ!」


 前言撤回。

 年下のくせになんて失礼なヤツ!


 私が真っ赤になって怒ると、あはは…と浩平が嬉しそうに笑った。


「―――怒ってる方がいいよ、早希らしくて。へこんでる早希なんてらしくない」


「……!」


 笑ってる方がいいよなんて言うならまだわかるけど。

 そんな言い方だと、いつも私が怒ってるみたいじゃんって言いかけたけど、私を見る浩平の瞳がいやに優しく感じて、言葉を飲み込んだ。

 刹那、そんな浩平の肩を掠めるように、白い一片が視界を横切った。


「あっ、雪」


 見上げると、どんよりと曇った空は今年最初の白い欠片たちをチラチラと手放し始めている。


「ほんとだ。道理で寒いと思った」


 そっと手を伸ばして、その一片を受け止めた。

 白い結晶は掌の熱で、すぐに透明の水滴に変わる。


「あ」 


 浩平が驚いたような声をあげた。


「何?」


「今の早希、あのスケッチブックの女の人にあんまりそっくりで、ゾクッとした……」


 スケッチブックの女の人―――。

 今の私みたいに眩しそうな表情を浮かべ、宙に手を伸ばしていた。

 たぶん琴音さんって名前の女性。


『琴音、おまえをあきらめない―――』


 スケッチブックの片隅に書かれていた荒々しい文字。


「……琴音さんって誰かわかった?」


「ん……。じいちゃんの叔父さんの恋人だった人みたい。じいちゃんの叔父さんって画家だったんだよ。あのスケッチブックはその人が描いたものだったんだ。橘桐人たちばな・きりとっていっ、美大在学中から色々な作品展に入選して、結構将来の期待もされていたらしいけど、若くして亡くなっちゃったんだって」


「亡くなったって……病気かなんかで?」


「う~ん。死因はよくわからないけど、琴音さんが亡くなって、後を追うみたいに死んだらしいよ。だから俺の曾おじいちゃん、次男だったんだけど、この家を継ぐことになったんだって」


「琴音さんも……死んじゃったの? なんで?」


「事故かなんかで。じいちゃんも小さかったから、その辺のこと、よく覚えてないらしいんだ」


 琴音は事故で死んでいた―――。

 今朝泣きながら夢から目覚めた時、何やら予感めいたものがあった。

 夢というには、いやにリアルだと。


「私、今朝変な夢をみたよ。私が琴音さんになったような夢……」


 琴音に気持ちがシンクロしたような夢。

 夢の中で誰かが「いくな」と言った。震えるような悲痛な声で。

「いくな」というのは「逝くな」だったのかもしれない。


「そっか。スケッチブックのあの言葉、ちょっと衝撃的だったせいかもなぁ。あんなに早希に似た人だもん。あんまりいい気、しないよな。でも、ずっと昔のことだから。もう気にするなよ」


「うん……」


 そうだ。ずっと昔の出来事だもん。気にしても始まらない。

 私はほっと小さなため息をつくと、さらに勢いを増して舞い降りてくる雪を見上げた。


 その時だった。


「橘君! どうしたの? その足!?」


 腰まであるストレートの黒髪を靡かせた小柄な女の子が、驚いた顔をして駆け寄ってきた。

 白く細い指先が、浩平の右腕になにげに触れる。


「ちょっとドジって捻挫」


「ドジってって……、大丈夫なの?」


「う~ん、完治には3週間かかるそうだけど、ケガしたのは左足だし。ピアノ弾くのは支障がないみたい」


「そう。……橘君には悪いけど、取りあえずホッとしたかも。今からまた代役を捜すとなると大変だもん」


 にっこり微笑む様は、女の私が見てもとてもかわいい。

 飛び交うフランクな会話から、二人がかなり親しいことがわかる。

 今まで浩平からは特に親しい女の子の話なんて聞いたことがない。

 考えてみれば、学年が違うせいもあって、私は浩平の学校生活をあまり知らなかった。

 授業を受けてる浩平も、休憩時間に友達と談笑している浩平も、私は知らない。

 ましてや、浩平のガールフレンドの存在なんかは全くわからなかった。


 ブラウスのリボンは青だから。彼女は音楽科の生徒だということがわかる。

 普通科の生徒は赤のリボン、美術科は緑。私の通う高校では、制服を見て何科の生徒かわかるようになっているのだ。


 私は無意識に、ぼーっと彼女を見ていたらしい。 

 彼女の視線が私の視線に絡んだ。


「あ……私、神崎美月といいます。橘君とは中学3年間ずっとクラスメイトで、今回そのよしみで

『卒業生を送る会』でピアノ伴奏を頼んだんですよ」


 ねっ、と微笑みながら、神崎さんは浩平をそっと見上げた。

 神崎美月という名前を浩平から聞かされた記憶はない。

 もっとも、浩平が私にプライベートなことも話さなきゃいけない義務なんてないんだけど。


「それだけですから。……だから、誤解しないで下さいね。川瀬早希先輩」


 彼女の視線がなぜか意味ありげな気がした。

 思わず頬がカッと熱を持った。


 誤解って、一体何を誤解するっていうんだろう。


「―――別に私は浩平の家族でも恋人でもないですから」


「え?」 


「ただの幼なじみですから。私が浩平のケガの原因を作ったから、こうして一緒に登校しているだけで。―――だから『誤解』なんてあり得ないですから」


 神崎さんはバツの悪い顔をして、チラリと浩平の顔を見上げた。


「早く行かなきゃ遅刻だぞ」


 浩平は無表情で私から視線を外すと、歩く速度を速めた。

 なんだか胸の奥の方がチリチリしている。


「……そうなんだ」


 神崎さんが私の隣でポツリと呟いた。その直後。

 ―――良かった。

 と彼女の唇が動いたのを見た気がした。



 

 * * * * *




「早希! 見てたよ。一緒に登校なんて。ついに浩平君と付き合うことになったの?」


 教室に入るなり、親友の牧杏子まき・きょうこに捕まった。

 私は杏子のはしゃぎように小さくため息をつき、浩平との登校の訳を杏子に話してきかせた。


「だいたい私と浩平が付き合うなんて、ありえないから」


「そうかなぁ。早希と浩平君だったらお似合いだと思うけど」


「だって年下だよ」


「別にいいじゃん。浩平君しっかりしてるし。早希の方がよっぽど年下に見える」


 ―――どうせ私はおっちょこちょいで頼りないもん。

 そのせいで、浩平をケガさせちゃったし―――。


 私は席に座って1時間目の用意をする。杏子が興味津々って感じで私を覗き込んでいる。


「物心ついたときから、姉弟同然できてるんだよ。今更恋愛の対象になんて考えられないもん」


「……そんなこと言って。いいの?」


「何が?」


「浩平君って、もてるよ。」


 サラリと言った杏子の言葉に、また胸の奥がチリチリし始める。


「空手部の中でも何人か告ったって子知ってるよ。今のところみんな断ってるみたいだけどね。

だって、1年で全国狙えるってだけでもかっこいいのに、ルックスも性格も特に欠点ないじゃん。

今まで彼女がいないって方が不思議じゃない?」


 しかし全治3週間じゃ来月の試合は無理だろうな、空手部にとっちゃ痛いなぁと、杏子はブツブツ言ってる。

 杏子は浩平と同じく、空手部に所属しているのだ。

 だから、浩平のことは、彼女はクラブの後輩として、よく知っている。


 ポニーテールで白い胴着に黒帯を締め、型を演じる杏子はすごくかっこよくて、親友としてはいつも鼻が高い。

 ただ思ったことをズケズケという物言いは、玉に瑕って感じだけど。


「早希は浩平君の側にいるの、あたりまえのように思ってるけど、彼女ができたらそういうわけにもいかなくなると思う」


「それは、わかってる」


 私、ホントにわかってる?

 浩平の隣のポジションに知らない女の子が座るなんて、今まで考えたことがなかったことに気づく。

 何気なく、神崎さんのサラサラの長い髪と笑顔を思い出した。


「『卒業生を送る会』でさらにファンが増えるかもよ」


「!……ん、もぅ、浩平のことは良いから、もっと楽しい話しようよ!」


「もっと楽しい話? 放課後、カラオケか甘味処でも行く? 早希が行きたいっていうなら、クラブサボって付き合うけど?」


「放課後?……行きたいけど無理だわ。だって浩平の家まで鞄持ちしなきゃいけないもん」


「そっか。ま、浩平君が完治するまで頑張りなよ」


「うん……。あ~あ、ホントつまんないなぁ!」


 浩平のファンが増えようが、浩平に彼女ができようが、私には関係ない。

 ただ……。

 杏子と気晴らしに寄り道することもできないし。

 変な夢に魘されながら目が覚めるし。

 浩平のケガは思ったよりひどいし。

 これから毎日、登下校、浩平の鞄持ちしなきゃいけないし。

 そのため今日から浩平と神崎さんの練習が終わるのを待たなきゃいけないし。

 ホント、つまんないことばっかり。

 なんだか急に人生が色褪せてしまったような気がした。


 それにしても、どうして神崎さんは私のフルネームを知っていたのだろう。




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