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14、たどりつく場所

 大沢桐人おおさわ きりとの知人の不良に、逆恨みで絡まれて。

 一緒にいた千佳ちゃんが体を張って逃がしてくれたのに、再び屋上で追い詰められて。

 もうだめだと諦めた時、その人は私の呼ぶ声に奇跡のように現れて、掬いあげてくれた―――。

 

 振り返って、心配そうに私を見る瞳に、そういえば、今までも何度もこうして見つめられ、庇われてきたと思い知らされる。



「大丈夫か? 怪我はないか?」


「……こ、浩平、浩平…」


「もう大丈夫だから、な?」


 頭の中は霞がかかったようで、『浩平』以外の単語が出てこない。

 浩平が助けに来てくれた。

 あんな形でその想いをはねつけてしまった私なのに。

 滲んだ景色の中で、ずいぶん懐かしく思える浩平の姿は全然現実味を帯びない。


 両手で浩平の腕にそっと触れた。

 黒いジャケットの生地をグッと掴んで抱き寄せる。

 そのまま私は彼の肩に、自分の額を凭せかけた。

 浩平の体がビクリと強ばるのを感じた。

 だけど、さっき気づいたばかりの胸に溢れる想い以外のことは、もはや何も考えられない。

 だから、その言葉は驚くほどすんなり唇からこぼれ落ちた。


「……浩平…好き。ずっと好きだったのに……」


「え…?」


「……ごめんね」


「―――――何が、ごめん?」


 嗚咽が漏れる私の目じりを、浩平の指がそっと撫でた。


「……分からなくて…ずっと…自分の気持ちが…」


「…早希……」


 その時、控えめな声で「橘くん…」と誰かが呼んだ。

 屋上の出入り口に、神崎さんが立っていた。

 顔をハンカチで押さえた千佳ちゃんを気遣うように、その肩に手を沿わして。


 二人の視線を感じて、慌てて浩平から離れようとしたが、いつの間にか背中に回された浩平の手がそれを許さない。

 これじゃ、まるで私が抱きしめられているように見えるだろう。


「こ、浩平!?」


 浩平は神崎さんと付き合ってるんじゃないの?

 学校で見かけた二人の雰囲気は親密なものだったと思う。

 だったら、このシチュエーションじゃ誤解されてしまうよ?

 頭が働かず、思わず気持ちを打ち明けてしまったことを激しく後悔する。

 浩平を困らせるのは本意ではない。

 あたふたする私に、不思議なことに神崎さんは小さな笑みを浮かべた。


「この子…大丈夫だと思うけど、顔を殴られたみたいで…痣になるかもしれない。病院に行った方が良いかも」


「ああ」


「川瀬先輩、大丈夫で良かった。さっきの不良たちが慌てて出ていくのを見て、心配になって来てみたの。この子から川瀬先輩のこと、聞いた橘くん、鬼気迫る様子だったから」


「…うん」


「そっか。橘くん…うまくいったんだ。…良かったね、長年の想いが実って……」


 神崎さんの言葉の意味が、よく分からない。

 じっと見ていると、神崎さんが寂しそうに笑って、それから私を見た。


「あの…誤解しないで下さいね、最初から私と橘くんはただの友達で…橘くんが断らないのを良いことに、今日も私が無理を言っただけなんです。…でも、私も、これでふっきれると思うから……私、この女の子を病院に連れて行ってきます。駅の反対側の総合病院が休日診療もやっていたと思うし…」


「ううん! 私が千佳ちゃんを病院に連れて行く。千佳ちゃん、私を庇って殴られたんだから」


 浩平の腕を振り切って、私はずっと俯いている千佳ちゃんに駆け寄ろうとした。



「いや。僕が病院に連れて行く」


 その声に、ハッと顔を上げた千佳ちゃんが開け放たれた扉を振り返る。

 息を切らせた大沢桐人が立っていた。

 大沢桐人は私を見ると、ホッとしたような表情を見せた。


「良かった、無事で」


 メールを見て、私を捜してくれていたのだ。

 大沢桐人は金髪ピアス男やオレンジ短髪男が言ってたような薄情な人でも卑怯者でもなかった。

 私の隣に浩平が寄り添った。

 ただその事に力を得て、私は大沢桐人に大丈夫と頷く。


 千佳ちゃんが視線を逸らせて、項垂れた。

 頬を押さえていたハンカチに添えられていた手が力を失い、その頬が露わになった。

 痛々しいその様子に、皆、思わず息を飲んだが、視線を落とした千佳ちゃんは気がつかないようだった。


「…桐ちゃん、ごめんね。お節介な事して、早希さん、危ない目に遭わせちゃって…」


「千佳……」 


 大沢桐人は唇を引き結び、千佳ちゃんに近寄った。

 千佳ちゃんの左の頬骨辺りが腫れ上がり、赤く染まって痣になっていた。

 きっと数日後には青あざになるのだろう。

 大沢桐人は自分自身が怪我をしたかのように、顔をしかめ、千佳ちゃんの頬に手を伸ばした。

 高ぶる気持ちを落ち着けるように、無理矢理呼吸を整えるように、しばらく黙って千佳ちゃんの痣にそっと触れた。剣呑な低い声で尋ねる。


「……この痣…、奴らにやられたのか?」


「一人はやっつけたんだよ。ホントウソみたいに、背負い投げがきれいに決まって! 桐ちゃんにも見せたかったよぉ!……だけど、ごめんね。相手は3人いて…早希さん、守りきれなかった…」


 千佳ちゃんは申し訳なさそうに、首を竦めた。

 大沢桐人は軽く目を見張り、左右に首を振る。

 それから、「謝るのは僕の方だ」と小さな声で呟いた。


「そうか。…見たかったな、その場面。ヤツらもびっくりしただろうな……」


「一人目は、投げた瞬間にアスファルトで頭を打って戦闘不能になったから、びっくりする暇もなかったと思うけど」


 大沢桐人は驚いたような顔をして、プッと膨れた千佳ちゃんを見つめた後、柔らかく微笑んだ。

 ああ、まただ。

 彼がこんな無防備な笑顔を見せることは滅多にない。

 一度見たのは、千佳ちゃんのお店で千佳ちゃんのテスト勉強を見てあげている時だった。



「…だけど、おまえは女の子なんだから…いくらクラブ活動で柔道やってても、けんかとは違うんだから……」


「え!? 私が柔道していること、桐ちゃん、知ってるの? 内緒にしていたのに……」


「おまえがいないときに、マスターが自慢してたよ。中体連の地区大会ではいいセン行ったんだって? 将来有望だって」


「え~、ただでさえ桐ちゃんには女の子と思ってもらってないんだから、絶対内緒にしてってパパに頼んでいたのに!」


「……おまえの事は…誰よりも女の子だと思っているよ」



 何か吹っ切れたような表情をして、大沢桐人は千佳ちゃんを見つめた。



「桐ちゃん、誰よりも女の子って…どういう意味?」


「それは、秘密」


「えっ? ずるい。なんか余計に気になるよ!」


「……そうだな、千佳が中学校卒業したら、教えてやる」


「そんなぁ、まだ2年もあるじゃん」


 しっかり者の千佳ちゃんだが、少し拗ねた様子は、中学1年の年相応にかわいらしい。

 腫れた頬だけでなく、顔全体が上気しているのは、やはり大沢桐人を意識しているせいだろう。



「……そしたら、千佳はすぐ16才になるし。僕は20才になる」


「当たり前じゃん。桐ちゃんと私は4つ違いなんだから」 


「その頃には不自然じゃないってことだよ。僕も腹をくくるから、千佳もそれくらい我慢しろ」


「意味わかんない」と言って俯く千佳ちゃんに優しい目を向けて、ワシワシと髪を撫でていた大沢桐人は、やがてその瞳を私に向けた。 



「何か…色々と振り回して…ごめんな?」


「私こそ…ごめん。私、勝手に橘桐人さんを桐人くんに重ね合わせていたの。さっきの絵を見て、やっとそれが間違いだったと気が付いた」


 穏やかな眼差しをお互いに交わす。

 それ以上言葉を重ねる必要はなかった。

 

「僕が何も言わなくても、落ち着くべき所に落ち着いたようだね。…そんな怖い顔で睨まなくても、僕はもう何もしないし、何もさせないよ」


 大沢桐人は途中で私から浩平に視線を移すと、クスリと笑った。


「そうか。君は間に合ったんだ―――」


 それから表情を真顔に改め、目を伏せた。


「もうこんなことがないように、ちゃんと話をつけておく。今までいい加減な事をしてきたツケが、千佳や、…川瀬さんを傷つけた。自分自身をこんなに悔やんだことはない。すまなかった」

 

 大沢桐人が頭を下げ、千佳ちゃんの背に手を添え促すと、屋上を後にした。

 これから病院に付き添うのだろう。

 神崎さんが軽く手を振り、その後に続いた。



 そして、マンションの屋上に私と浩平だけが残された。





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