TARGET04:花婿(7)
終わった。
ダイヤはあっという間に、たった一人で鍛え上げられた五人のボディガードを一掃してしまった。
信じられない。信じられないが、泡を吹いて床に転がる男たちの姿が、ミドリが今目にした光景は現実だということを証明していた。
ダイヤはミドリを助けに来てくれたのだから、ひと仕事終えた彼女に対して労いの言葉でもかけるべきだったのかもしれない。しかし口の中がカラカラに乾いていて、一音も声は出てこなかった。
ミドリが口をパクパクとさせていると、ダイヤが檻の側までやって来て、「あのね」と言った。
「私のコードネームの由来のことだけど」
「はっ、えっ、何?」コードネーム? 今?
「あなた前に言ってたでしょ。一見地味だけど実は美人だから、炭素というありふれた元素で組成されたダイヤモンドの名を与えられたんじゃないかって。あれね、違うの」
喋りながらダイヤは、近くに倒れているスタッフの背広を漁っている。彼は檻の台車を押していた男だ。金目の物でも探しているのだろうか。
「いや、いきなりなんの話?」脈絡が全く分からない。
「副社長の宝石のこと、聞いてるわよね?」
「え、あの、盗まれたって話?」だからいきなりなんの話なんだ。
「そう。あれ、ダイヤモンドなんですって」
「何が」
「倉庫から消えちゃったのが。人工なんだけどね。ギネス記録に載ってる、世界最大の人工ダイヤモンドだったんだって。副社長に訊いたら教えてくれたわ」
「副社長って、宝石好きの方?」
「シュッとしてる方よ」
「それ分かんないってば」
ダイヤは台車担当からは目当てのものを見つけられなかったらしく、ちっと舌を打ってから次の人物の元へ移動した。
「でね。ダイヤモンドって燃やすとどうなるか分かる?」
「さあ。灰になる?」
「消えちゃうのよ」
「消えちゃう?」
「正確に言えば、二酸化炭素になって、周囲の空気に混ざってどこかへ行っちゃうの。二酸化炭素には色も臭いもないから、跡形もなく消えたようにしか見えないわ」
「はあ」と首を傾げてから、「あっ!」とミドリは声を上げた。つまり、宝石が盗まれたと兄治が騒いでいたのは。
「そう。本当はダイヤモンドは盗まれてなんかないの。他の宝石と同じように燃えちゃっただけ」
「あのクソ兄貴!」散々人をこき使っておいてそんな落ちとは。と声を荒らげたところで、ふと疑問が湧いた。「ん? で、なんで今その話を?」
「つまり副社長は、ダイヤモンドが炭素でできていることなんて知らなかったんじゃないかと思うのよ」
「炭素でできてるというか、炭素そのものだ」
ダイヤは手近に倒れているスタッフたちの服を手当たり次第に漁っていたが、ついに諦めたのか、檻の近くに戻ってきて、扉がある側に座った。
「私のコードネームの由来のこと、あなたは炭素がどうのとか言ってたけど、副社長はそこまで考えてないわけ」
「はあ」だから、だからなんなんだ。
「私のコードネームの由来はね。単に」
言いながらダイヤは、檻の扉を右手で掴み、檻を押さえるように左手と両足を添えた。
「すごく強いからよ」
ミシミシメキベキバキ! と激しい音が鳴った。
ミドリはその瞬間をはっきりと見た。ダイヤが檻の扉を、まるで紙を千切るような容易さでもぎ取ったのだ。
ミドリを閉じ込めていた扉はあっけなくも無力な鉄塊となり、ガシャン! と重量感のある音を立てて床に落ちた。
「それ、鉄なんですけど」唖然としながらミドリは言う。
「鍵、見つからなかったから」とダイヤは肩をすくめた。
ちょうどその時、ずっと騒がしかった大広間の中が、水を打ったように静かになった。
乱闘が終わったのだ。
折り重なった人の山から、一人の男が立ち上がる。
「あ」五木だ。「勝ったんだ」
無事で何より、とミドリが胸を撫で下ろした一方で、ダイヤは顔を顰めて舌を打った。
「もう終わっちゃったの? 面倒ね」
五木はミドリの顔を見るなり、「ミドリ!」と顔を輝かせて駆け寄ってくる。
ダイヤは屈んだままの姿勢から、ロケットスタートの如く飛び出し、拳で五木を出迎えた。
「うっ」
無防備な五木の腹に、ダイヤの拳が直撃した。五木の口から胃液のようなものが飛び出たのが見える。
五木はそのまま後方に吹っ飛び、仰向けの姿勢で意識を失った。
は?
「えっ。ダイヤちゃん、何してくれてんの?」
「早く逃げるわよ。あれに捕まると面倒なの。まったく、どいつもこいつも。あなたなんかのどこがそんなにいいのかしら」
強引に腕を引っ張られ、ミドリは檻から引き摺り出された。拘束されたままの両手では上手くバランスが取れず、ミドリは情けなく床に崩れる。
「うわ、ちょ、待って!」
それを助け起こそうと屈んだダイヤは、ミドリの顔を見るなり、眉間に皺を寄せて目を細めた。
「何、俺の顔になんか付いてる?」
「付いてるっていうか。それ何? コンタクト?」
「ああ、これね」すっかり忘れてた。「気づいたら入れられてた」
「どうりで大人しく捕まってるわけね」
「わっ」
ダイヤの手が顔に向かって伸びてきて、ミドリは思わず仰け反った。しかし容赦なくダイヤの指が目に突っ込まれる。
「ちょっ! 痛い痛い! 待ってって!」
「はい、取れたわよ」
目蓋を開けると、ダイヤの顔が目の前にあった。透き通った焦茶色の瞳は、真っ直ぐにミドリの目を捉えている。
あ。
腹の底が冷えていくような感覚がした。そういえば彼女は今、眼鏡をかけていない。直にこの目を見てしまったら。
「綺麗な目ね」
ダイヤの瞳孔が開かれた気がした。彼女の手が、ミドリの顎に添えられる。
ああ、しまったなあ。
顎が引き寄せられ、ミドリは目を閉じた。温かな吐息が頬にかかる。唇にふわりと柔らかいものが触れ、そして離れていった。
これで彼女も壊れてしまった。きっと目を開ければ、あの濁った瞳がミドリを見ているのだろう。じわじわと染み込むように諦念が胸に広がっていく。
しかし恐る恐る目を開けると、そこにあったのは信じられないほど不細工な顰めっ面だった。
「なんだ」低い声でダイヤは言った。「みんながあなたを持て囃すから、どんなものか気になったんだけど。やっぱり不快なだけね」
近い将来、運命の人が現れるでしょう。そう告げた占い師の言葉を思い出した。
運命の人、それは。
「やだ、惚れちゃう。結婚しよ」
「嫌よ。気色悪い」




