TARGET04:花婿(3)
◇
「ミドリと連絡がつかない?」
思わず副社長の言葉を復唱してしまった。事務所のデスクにいるのは、玉虫兄弟のスンとしている方、弟の弟智だ。
仕事で必要なときにはいつも無線か使い捨てのプリペイド端末を使うので、ダイヤはミドリのプライベートの連絡先を知らない。どうしても急ぎで彼に頼みたいことがあったダイヤは、あわよくば彼に会えないかと会社に足を運んだのだった。
「ああ。自宅にも帰ってないみたいだ」
副社長は目の下に濃い隈を作り、すっかり憔悴し切った様子だ。
「部屋には入ってみたんですか?」
「いや。あいつ誰にも合鍵預けてなくてな。今急いで管理会社に連絡取ってるところだ」
そう言ったかと思うと、突然副社長は机に突っ伏し、バンバンと拳を打ちつけ始めた。
「くそ、俺のせいだ! 俺がもっとちゃんと話を聞いていれば!」
「何かあったんですか?」思わず後退りしながらダイヤは尋ねる。
「あいつ、ストーカーに狙われてたみたいなんだよ。あいつは相談してくれてたのに、俺は『気のせいじゃねえのか』なんて」
「落ち着いてください」
いよいよ副社長が泣きだしそうな空気になってきたので、ダイヤは慌てて彼の肩を叩いた。いい歳した男の泣き顔なんて見せられても不快なだけだ。
「ミドリの足取りを辿りましょう。最後に連絡がついたのはいつですか?」
「一昨日の朝、あいつから電話が来たのが最後だ。何かあったみたいで、怯えた様子で『助けて』とか言ってた」
「『助けて』? 何者かに襲われたとか?」
「いや、違うな。少なくともその時点では。事情を聞こうとしたら『会って話したい』と言われたから、事務所に呼び出したんだ。だが俺が着いた時にはミドリはもう事務所にいなかった。偶然出会した馬鹿兄貴が、ミドリに仕事を押しつけたらしい」
先日のことと言い、人使いの荒い馬鹿兄貴だ。「その仕事の内容は分かりますか?」
「そりゃあ、いつものあれだ。宝石の件」
「いつもの宝石とは」ジュエリーショップの常連客でもそんな注文はしまい。
「あっ、おまえ知らねえか。こないだ倉庫で火事があったろ。あの時どさくさに紛れて兄貴の宝石が盗まれたらしくてな。あいつ今、躍起になって犯人捜してんだよ」
「犯人捜しをミドリに? あまり向いているとは思えませんが」彼は頭を使う仕事はてんで駄目なタイプの人間だ。
「それがどうも、兄貴が言うには犯人の目星はついているそうでな」
「なるほど。その人物を連れ去ってこいと」それならミドリにもできる。というか、彼の天職だ。「その人物の名前は?」
「花京院麗子、だそうだ」
「花京院麗子?」
疑問が顔に浮かんだのか、副社長は弁明するようにひらひらと両手を振りながら「おい、待て。分かってる」と言った。
「兄貴がそう言ってたってだけだ。火事の原因があの女だってのは俺も聞いたが、だとしてもあの状況で宝石を盗んで逃げるのは小娘一人じゃ無理だ」
「そう思います」とダイヤは同意する。「あの、失礼ですが。そもそも宝石は本当に盗まれたのでしょうか」
「燃えちまったんじゃないかって? ミドリにも同じようなこと言われたな。燃えたって燃え屑くらいは残るだろ? 実際、倉庫の中は消し炭だらけだったが、一つだけ、跡形も残さず忽然と姿を消しちまった宝石があるんだと」
「はあ、そうですか。消えた宝石の種類は分かりますか? 見た目の特徴とか」
「知らねえよ、兄貴の宝石のことなんざ。それに、今はミドリのことだろ?」
「いえ。本当に花京院麗子に盗まれたのだとしたら、ついでに取り返してきた方がいいのかと思いまして」
「は?」と副社長が眉を顰めた。「おまえ、花京院邸に行くつもりなのか?」
「ええ。ミドリが最後に向かったのが、恐らく花京院邸ですから」
本当は宝石のことなど知ったこっちゃないのだが、恩を売っておけば足抜けする時にでも役に立つかもしれないという魂胆だ。
「いや待て。確かにミドリは最後に花京院邸に行こうとしていた。だが今の状況からすると、その途中でストーカーに襲われたと考えた方が自然じゃないか? 侵入した先でヘマして捕まったんだとしたら、とっくに警察から連絡が来てるはずだ」
「仰る通りです」そう言いながらもダイヤは既に身支度を始めている。
「だったらどうして」
「手がかりがそれしかないなら、しらみ潰しに行くしかありませんから」
そんなダイヤのことを、副社長はぽかんとした顔で見つめていた。
「おまえ、根性論みたいなの嫌いなタイプだと思ってた」
■
あっという間に一日は過ぎ、逃げる隙も見つからないまま結婚式の日を迎えてしまった。いや、本気で逃げようと思えば逃げることもできなくはなかったのかもしれない。昨日は一日中礼儀作法の特訓を受けていて、やむを得ず両手の拘束を解かれる場面は何度もあった。それでもミドリが逃げようとしなかったのは、さほど逃げたいとも思っていないからだ。
もちろん、麗子との結婚を喜んでいるわけではない。しかし、かと言って今までの生活に心残りがあるわけでもないのだ。誘拐の仕事は適性があったから手伝っているだけでミドリ自身が気に入っているわけではないし、親父に拾われたのは偶然その才能に目をつけられたからで、住む場所と食べるものが保証されるのなら正直なんでもよかった。このまま花京院家で籠の中の鳥のような生活を送ることになっても困りはしないし、誰かが助けに来てくれるならそれはそれで悪い気はしない。要するに、ミドリは自分自身の人生について、どこか他人事のように思っているのだ。求められるのなら応えるが、欲しいものは特にない。『運命の人』なんて、占い師も当てにならないなあと、ただそれだけを思った。
夜になれば結婚式は始まり、式の後に籍を入れ、そのままハネムーンへと旅立つ手筈になっているらしい。そういえば、旅行先がどこだか聞いていない。どうせなら南の島がいいな。
その時、コンコン、とノックの音が鳴り、部屋のドアが開かれた。執事長に案内されて、仕立て屋が入ってくる。
「お色直しの衣装が完成しました」と彼は頭を下げた。
これだけの短期間で準備した式にも関わらず、お色直しは豪勢に二度も行うそうで、一つ目は黒紋付、二つ目はややカジュアルにカラーのタキシードに着替えることになっていると聞いている。紋付の方は呉服屋に頼んでいるはずなので、彼が持ってきたのはカラータキシードの方だろう。
仕立て屋は持参した衣装をハンガーラックにかけると、そのカバーを外した。厳重に包まれていたタキシードの姿が露になる。
「わあ」とミドリは、感嘆符を口にした。「気が利いてるね。俺の目の色に合わせてくれたんだ?」
そのタキシードは、美しい光沢のあるエメラルドグリーンをしていた。
世界で一番嫌いな色だ。
◇
時刻はまもなく夜七時。陽は既に落ち、周囲は暗い。必死の情報収集にも大した成果はなく、結局丸腰に近い状態で屋敷に突撃する羽目になってしまった。そのせいか、早速ダイヤは選択を間違えたようだった。
人通りが多く人目にもつきやすい日中に行動するのは避け、日が暮れるのを待ったのだが、その結果がこれだ。花京院邸の正門の前の道路には高級車やタクシーが列を成し、煌びやかに着飾った人々が続々と邸宅内に案内されていく。なんだこの騒ぎは? 今宵はパーティでも開催されるのだろうか。正門では警備員が一人一人ゲストの顔をチェックしているようで、この様子ではここから侵入するのは無理そうだ。
諦めて裏門に回ると、こちらは予想外に、正門の様子とは打って変わって閑散としていた。人通りはほとんどなく、心なしか電灯も薄暗い。警備員も、体格は良いがやる気のなさそうな男が一人だけ。制服の着こなしもだらしないし、名家の警備を任されるには品のない男で、花京院家お抱えの警備員というよりは急場で雇われた業者のように見えた。
もしかして、パーティの方に人手を割かれて、裏手の警備はむしろ手薄になっているのだろうか。だとしたらかなり好都合だ。今日ここで何か問題が起きたとしても容疑は真っ先にゲストに向くだろうし、多少の物音を立ててもパーティの喧騒に紛れてくれるだろう。人目が多いのだけは気をつけなければならないが、会場となる部屋に近づかなければいいだけの話だ。前言撤回、偶然ではあるが、夜を待って正解だった。
よそ見をしている警備員の背後に、音を立てずに忍び寄る。ダイヤの手には、昼間路地裏で拾っておいた金属パイプが握られていた。こういうときにはできるだけ製造元が特定されにくい凶器を使った方が無難なのだ。
金属パイプを両手に持ち、ダイヤが腕を振り上げた瞬間、警備員の髪が風に靡いた。その髪は電灯の光を反射して、テカテカと赤く艶めいた。
一瞬のことだった。
警備員は気配に気づき、振り返るより早く猛然と背後に腕を伸ばした。その腕は真っ直ぐにダイヤを捕らえ、ダイヤは首を鷲掴みにされる。
「しまっ、た」
痛みを感じるより先に、意識が遠のく。
金属パイプが地面に落ちる音が、夜の闇に響いた。




