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異世界宦官戦記【読切】

作者: 多歩間 結
掲載日:2025/12/22

なろう感想企画「戦記」参加作第一弾。

本作は長編用に練り溜めていた設定やネタの一部を、企画参加のため急遽読み切り短編化したものです。

 

 じりっと照り付ける太陽。流れる汗さえ蒸発させていくその日差しに、うんざりしながらも立ち尽くすしかない。隣から客を呼び込む威勢の良い掛け声が響いていた。


「どうだい旦那方、これほど珍しい商品は滅多にお目に掛かれないよ。見てごらんなさいこの顔を!」


 突然(あご)を掴まれ、眼前の人集りへと一歩引っ張り出される。ほう、という小さく短い合唱と好奇の視線に晒され、彼、村戸(むらと)知佐(かずさ)は表情をしかめた。


「何だその顔は客の前だぞ。愛想良くして少しでも自分を高く売り込まねえか」


 そう頭を布で覆った主人が声を落として村戸をたしなめる。だが次の一瞬で声色を変え宣伝文句を再開した。


「御覧の通り、ここいらでも西方の人間でもない、東方の顔立ちだが、我らの知る東方人ともまた違う、おそらく極東のキタイ人でしょう。にも関わらずこの上背の高さ。私も三〇年の商売で初めて扱う珍奇な奴隷です」


 そう、村戸は今、奴隷として売りに出されていた。

 現代日本で生まれ育った二三歳男性、身長一七〇。現代日本人としては平均程度だが、“この世界”の東洋人としては背が高いらしい。


「そしてこの奴隷、“去勢”済みでございます!」

「ひゃん!」


 商人がいきなり村戸の股座(またぐら)をひっ叩き、ムラトは思わず声を張り上げる。すぐに手が離されたものの、村戸は股間を抑えて縮こまった。


「宦官として宮廷やお貴族様に献上するも良し、御自身で“お使い”するも良し、あえてただの召使として使うのもまた通な贅沢でしょう!」


 宣伝に熱が入って隣の商品(奴隷)のことなど目に映らない様子の商人に、村戸が内心毒吐く。


 ──異世界に来てから散々だチクショウ!


 普通に生活していた筈だった。ところが突然ふっと気を失い、気が付けば、まるで知らない砂の土地に倒れていた。そしてここが異世界だと気付いてからは、あれよあれよと事態が進んだ。

 早々人攫いに捕まったかと思えば、体の一部を切り落とされて“男で無くなって”しまい、挙げ句の果てにこうして市場のど真ん中の目玉商品にされている。もう背を丸めて視線を落とすしかない。


「六〇はどうだ」

「いやいや私が買う。八〇だ。あれは客人へ自慢出来る」

「何を言う俺のモノだ、九〇……いや一〇〇は出そう」

「一〇〇が出ました! それ以上出せるという方はおりませんか! さあ!」


 屈辱と絶望で身を起こせずにいる間にも、村戸へ値段が付けられる声が無情に響き始めた。競売に参加する声はどれも太く、粘っこさもしばしばあった。それにますます心が削られる。


『こりゃあ大変だねェ』

「誰のせいだと……!」


 恨み言を呟きながら声の方に目を向ければ、横になった若者の姿がある。その位置は村戸の頭と同じ高さ、つまり()()()()寝転がっていた。しかし誰もこの若者を眼で捉えられていないらしく、人が宙に浮いていると騒ぐ者はいない。

 長髪に中性的な顔立ちで男女どちらとも取れる若者は、ターバンの下にある端正な相貌を呆れに染めて手をひらひら振った。


『おいおい、アタシのせいにするんじゃないよ』

「散々な目に合うようになったのはお前を拾ってからじゃねえかっ」


 声を潜めて叫び、性別不詳の若者の足先を(にら)んだ。彼あるいは彼女の細い足には薄い煙が漂っており、その煙は村戸の視線が刺さるランプから立ち昇っている。


『いやいや、ただの不運。アタシは砂の中から救ってもらった恩を仇で返すような妖霊(ジン)じゃあない、現に言葉が通じるのはアタシのおかげさね』


 それには村戸も口を(つぐ)むしかなかった。ここが異世界であるとはっきり理解したのは、砂中にあったランプを偶然拾い上げ、この妖霊(ジン)と出会った時。その際は互いに言葉が全く分からなかった。だが、妖霊(ジン)による──おそらく魔法の効果で意思疎通が可能になり、今まで随分助けられたのは事実。とはいえ……。


「恩知らずじゃないなら今が恩を返す時だろ。ランプの精なら願いを叶えてくれよ、何とかしてくれ」

『最初に言った通り、そんな力は無いよ。でも……何とかなりそうだねェ』


 どういうことか聞く前に、答えが目の前にやってきた。


「おい、そこの奴隷」


 凛とした響きが耳を突き抜ける。大きくもないそれに、人々は不思議と邪魔になってはならぬとばかりに口を閉じた。村戸も思わず顔を上げる。

 自分より若い男だった。歳は二〇前後といったところか。細長い真紅の円柱が頭頂部に飛び出たターバンを被り、切れ長の緑眼をこちらへ向けている。ターバンからこぼれ落ちる髪は、陽の光が当たると薄っすら赤みを帯びた。

 すっと伸びた鼻筋と彫りの深い整った顔をしているが、目元の薄い隈や冷たい無表情から近寄り難い雰囲気がある。身に纏う衣服は前開きで、和服や漢服のように帯で締めているが、胸部がひと揃えのボタンで留められており、アジア的という印象でもない不思議な格好だ。


「これはこれは、何か──」

「黙れ、私はこの奴隷に聞いておるのだ」


 汗を噴き出しながら歩み寄ろうとした商人に、青年がぴしゃりと言い放つ。そして緑色の瞳で真っ直ぐ村戸を見つめたまま問い掛ける。


「お前、何が出来る? 得意なことは何だ」


 彼は僅かに首を傾げ、ターバンに付けられた洒落た羽飾りが揺れる。


「……計算……いや」


 唐突な質問にとりあえず嘘ではない無難な回答を口にするも、すぐさまそれを引っ込めた。

 この若者は明らかに只人ではない。もっと彼の興味を惹くような答えが要ると直感が(ささや)いたのだ。冷静になって見れば彼の背後には、腰に刀剣を指した身分の高そうな男が何人も控えている。間違いなく特権階級、それもかなり高位の者と想像出来た。

 思考を巡らせ、頭の中から一つの武器を手に取る。自分は歴史が好きだった。特に戦史が。


「合戦の経験はないですが、ある程度の戦術、戦略は論じられます。装備や軍制によっては改善を提案出来るかと」


 相手がただの富豪ではなく高貴な人物と見て、そう慎重に選んだ言葉を述べた。

 この世界がどんなものであれ、おそらく近代以前の時代に相当するだろう。なにせ人攫いがいるぐらいだ。また貴族のような特権階級なら軍事との関わりが深い筈、そう踏んだ。


「奴隷軍人は間に合っておるなぁ」


 しかし、やや古風な物言いをする青年の冷めた面相に変化はない。一方村戸は顔色を青く変える。焦って口から()いて出たのは、あまりに不用意な言葉。


「じ、銃や大砲の知識だってある」


 言った瞬間しまったと思う。この世界に火器どころか火薬すらあるか分からないというのに、何の意味があるのか。ところが、この一言が青年の鉄仮面を剥がした。


「ほう、火器の扱いを知っておるか」


 にやりと獰猛な笑みを浮かべ、不健康そうな瞳が極上の獲物を見つけたかのように歪む。今にも喰らわんとする大蛇か猛獣の顔を見た村戸は売り込みも忘れ固まった。背中を冷たいものが走る。


「丁度良い、そういう人材を求めておった」

「陛下っ、このような奴隷を使わずとも」

「へいか……?」


 聞き捨てならない響きにぽかんとする村戸へ、青年の背後に控えていた男が怒気を含む大声を叩き付けた。


「控えろ奴隷! この御方をどなたと心得る。畏れ多くもこのイーラジュの支配者、“王の中の王(シャーハンシャー)”タフムーラス陛下であらせられるぞ!」


 その名が(とどろ)いた途端、辺りの人間が慌てて平伏する。


「おお、(シャー)!」

「我らが(シャー)!」


 とんでもない大人物を前にしていたことを知った村戸は、血の気を失って膝から崩れる。売り込み最中、つい敬語を忘れてしまったのを思い出した。一国の王を相手に!

 首を()ねられるかもしれない。怯える村戸へ、臣下を手で制した若き王が顔を寄せた。


「よい。奴隷よ、名は?」

「む、村戸知佐……」

「ムラトか。ではムラトよ、そなたを私の後宮にて教育した(のち)銃兵(トファンジ)砲兵(トプチ)の一隊を率いる長に任じよう。我が軍には火器を知る者が足りぬ、励め」


 若王タフムーラスより賜った役に、ムラトは呆然とする。そしてその意味を理解した瞬間、(こうべ)を深く垂れた。



 ──二年後。


 荒涼とした大地の上で、ムラトは軍勢とともにいる。火縄銃を担ぐ銃兵、馬匹に牽引される砲の隣を歩く砲兵。およそ八〇〇名もの銃砲部隊が、己の配下だった。しかし、軍全体を見れば、それもごく一部でしかない。

 主君タフムーラス自ら総大将を務めるこの軍は、総勢約二万を数え、その内火器を装備した兵が二四〇〇程度。つまり今のムラトは一指揮官に過ぎない立場だった。

 しかしながら奴隷からこの地位に至れたことには、彼自身驚きを覚えている。一発分の弾薬をまとめた紙薬莢の導入や、分業制による鉄砲の量産など、異世界転移者としての知識を活用し、評価されているとはいえ、だ。


『最初を思えば出世したもんだねェ』

「ああ、全くだ」


 天幕の間を縫うように歩いていた矢先、隣から聞き馴染みのある声がムラトの肩に寄りかかってきた。性別の分からない若者の姿をした、あの妖霊(ジン)だ。体より立ち昇る薄煙は、ムラトの腰に布で固定されたランプの口から伸びている。


 ムラトは若き王タフムーラスに拾われた直後、まず宦官として後宮に入れられた。

 男子禁制の後宮といえども、女性のみで運営し切れない部分はある。特に警備が。だからこそ“男だった”宦官が必要であり、ムラトもその一人として雑用や警備を担いつつ、この国の概要やしきたりを学んだ。

 ……蛇足ながら、ムラトは後宮の女性達から「容姿が好みではない」「筋肉が少な過ぎる」と散々な点数を付けられ、後宮生活中全く手を出されていない。元々、宮廷ではなく後宮に配される宦官は一切の“間違い”が起こらぬよう、容姿の優れぬ去勢奴隷に限られるとの定めがあるとはいえ、ムラトとしては複雑だったが。


「想像よりずっとこの国(イーラジュ)は大国だったし、陛下からの覚えも良かった。本当にツイてたな」


 そう言いながらもムラトの顔はやや曇ったものになる。


「しかし敵の数が──」



「六万か。斥候の報告によれば、国境からの報せに間違いはなかったようだ」


 軍議の場に若き王タフムーラスの言葉が重く落ちる。これから自軍の三倍の敵と戦う。その事実に、誰もが口を固く閉ざした。

 長年敵対する遊牧民族が六万もの大軍を成して国境の川を越えた、との急報を受けたのは一週間前。タフムーラスは直轄の軍と手隙の将兵を糾合して出撃したが、突然のことだったため各地から兵を集める余裕がなかった。

 それ故の兵力差。事前に分かってはいたが、いざ目前となると心身に重くのしかかる。

 幾人かの将や部隊の長が、ちらちらと北方を見やった。その方角から六万という大軍がすぐそこまで来ているのだ。

 だがタフムーラスの表情に陰は無い。


(あらかじ)め取り決めた陣でゆくぞ。左右に騎兵を置き中央は歩兵と近衛(コルチ)、そして荷車を並べる。荷車の壁で敵の突撃を防ぎ、一斉射撃で薙ぎ払う」


 力のある響きに諸将の落ちていた視線が上がり、軍議の空気は目に見えて変わった。そして王は隅に控えていたムラトへ首を向ける。


「ムラトが献策したこの陣であれば、兵力の差も覆せよう。敵は火器を知らん。火器を耳にはしても見たことはない連中相手なぞ、恐るるに足らぬ」


 ムラトは頭を下げるしかない。確かに荷馬車による防壁を自信満々に提案したが、実はタフムーラスもとうに同じことを考えていた。

 急な出陣の割に輜重隊の荷車が多いのを見てムラトはその策を思い付いたのだが、王は最初からそのつもりで荷馬車を用意させていたのだ。

 彼から「同じことを考えておったとは」と笑いながら言われた時、ムラトは真っ赤になった面を伏せている。自分は転移者としての知識的優位を利用するうち、知らず知らずこの世界の人間を下に見て天狗になっていたと。しかもよりにもよって、大恩ある主君に対してやや得意気に(のたま)ってしまったのだ。


 だが、このムラトの羞恥を王はすぐに吹き飛ばす。

 献策を受けたタフムーラスは、出撃の際これをムラトの策として諸将に披露。王の寵愛を受ける宦官という、やや(よこしま)な評価をされがちだったムラトの立場を一変させている。そしてまた改めてこの軍議でムラトの功績を強調してくれた。

 タフムーラスの気遣いに、ムラトは奴隷から拾い上げてもらってから恩義を負いっぱなしだと恐縮する他なく、この合戦にてそれらに報いるとの決意をますます固める。

 それも、ムラトの忠誠心を強めようという王の思惑が裏にあるのかもしれないが、そうであっても引き立てられた恩は返したい、恩知らずで終わりたくないという思いは本心だった。


 軍議を終え、諸将が各々の配置に就く。ムラトも己の部隊の元へ戻り、作戦通りの陣形を整えさせた。

 軍中央をCの字状に囲う形で荷車を並べ、荷車同士の隙間に大砲を置き、それらを馬防柵代わりにした銃兵約二〇〇〇と歩兵五〇〇〇弱が後ろに控える。更にその背後にて王と近衞隊三〇〇〇が陣取った。左右両翼は五〇〇〇騎ずつ、計一万の騎馬隊。


 こうして国王親征のイーラジュ軍二万が戦場に定めた荒野にて布陣を進める中、敵もその姿を現す。

 (おびただ)しい騎馬の群れが陸続(りくぞく)と到着。左右に展開していき、みるみると地平線を埋め尽くしてしまう。彼らの後方には相当数の歩兵もいる筈だが、騎馬と旗の波で全く見えない。胸までの高さがある荷馬車越しにその光景を見て、ムラトの首筋を冷えた汗が流れる。


「最前列だけであの数か……」

『こりゃ壮観だ。アタシのここ数百年の記憶にも数える程度しかない光景だよ』


 もう隣の妖霊(ジン)の軽口など耳に入らない。目に映る騎馬のみでも自軍を遥かに超える規模に思えて、圧迫感に押し潰されそうになる。戦闘が始まる前から、ただただ精神が(あぶ)られ続けた。

 実際には二、三時間程度だっただろうが、半日以上も待ち続けたような、吐き気を覚える時間。その終わりを告げたのは、敵勢より湧き起こる雄叫びだった。同時に地平線そのものが動き出す。すぐ傍で土石流でも起きたのかと思うような蹄の音の大合唱と共に、大地を揺らしながら突っ込んでくる人馬の濁流が迫る。

 負けじとばかりにイーラジュ軍の鬨の声が上がった。


「我らが(しゅ)は偉大なり!」

「「主は偉大なり!」」


 タフムーラスが始めに神を讃える言葉を叫び、一拍遅れて近衞隊がそれに応える。すると波及する形で各指揮官が口々に叫び、配下の兵が続く。ムラトも同じく声を張り上げた。縋るように。そうでもしないと重圧で気が狂いそうだった。

 咆哮の余韻が消える間もなく、こちらの騎馬隊も突撃を開始する。彼らは小楯を付けた左腕に弓を持ち、右手で腰の後ろの(えびら)から矢を取り出した。


「主よ! 主よ! 主よ!」


 神の加護を求めながら敵勢へ突進する彼らは、握っていた弓に矢を(つが)えて構える。それが放たれたと同時に、敵の弓も弦を鳴らす。両勢より、文字通り矢の雨が吹き荒れ、広大な戦場の左右にて、幾千の味方の矢と数万の敵の矢が交錯した。密度が高過ぎて飛び交う矢同士が接触して力無く落ちる。

 それでもなお多過ぎる矢が降り注ぎ、馬から転げ落ちる者、振り落とされる者、愛馬の背に倒れ込む者、馬諸共ひっくり返る者と、互いに少なくない命が刈り取られた。

 その死の豪雨を、剣による矢払いと盾、そして運で潜り抜けた騎馬戦士達は、緩やかに曲がった剣を掲げ敵へと突っ込む。

 刀身の閃きは瞬く間に人馬が揉み合う中に消え、その衝突する騎馬の姿も、巻き上がる土埃に覆われてしまった。

 しかし、彼らの行く末など気に掛ける余裕はムラトにない。自分達と相対する敵軍中央が間近に迫っていたからだ。雄叫びと戦塵を上げる騎馬兵を視界一杯に捉えつつ、ムラトは腰から抜き放った曲刀を振り上げる。


「構え!」


 号令を受けた配下の銃兵が、荷車へ銃身を預ける形で火縄銃を構えた。砲兵も松明(たいまつ)を手に発砲の合図を待つ。敵勢の立てる地響きが大地を細かく揺らし、荷車をがたがた震わせた。

 自然と息が荒くなっていく。心臓が氷の手に握られたかのように冷え、空いていた左手で胸を押さえる。


 ──怖い。


 何千という殺意を浴び、その威圧にあてられたムラトは死の恐怖に飲み込まれそうになった。だが、背中へ当てられた手の感触に、はっと振り返る。そこには不敵に笑う妖霊(ジン)が浮いていた。


「大丈夫だ、アタシが()いてる。ジンに憑かれた人間はそう簡単にくたばりゃしないよ」

「……ジンに取り憑かれたら、狂人になるとか早死にするとかってこの前聞いたんだが」

「そりゃあ体を乗っ取ろうとする(やから)の話さ、アタシゃそんなことしないって。それより来るよ、前向きな」


 首の向きを戻し、軍勢と向き直る。もう身体も精神も落ち着きを払っていた。既に敵兵一人一人の顔を見分けられる距離まで縮まり、鬼の形相の数々から殺気をたっぷり含んだ視線が突き刺さる。流石に全身の毛が逆立った。だが過剰な恐怖はない。

 彼我の距離、残り一五メートルを切った。ムラトは天へ突き付けていた剣を振り下ろす。


「放てぇ!」


 乾いた破裂音と轟音が幾重にも重なって響き渡る。同時に凄まじい量の硝煙が視界を埋め尽くし、辺りを真っ白にしてしまう。更に銃砲の轟きで鼓膜が一時的に機能を放棄、きぃーんという耳鳴りがいつまでも止まなくなる。

 聴覚が意味を成さなくなる中、白い光景にいくつもの影が紛れた。銃弾と大砲の散弾に(たお)れた最前列の騎馬、それらに足を取られた後続の騎兵だった。転がり倒れ痛みに呻く彼らに、容赦のない一撃が加えられる。


「構え、放て!」


 再び鉛の弾丸が敵勢を襲い、地面に倒れていた負傷者もその後ろに立っていた敵兵も、選別なく死を与えていった。

 銃兵が撃ったばかりの火縄銃を、背後に控えていた兵に手渡す。それを受け取った兵が一歩退がると、別の兵が装填された火縄銃を銃兵へと渡した。

 新たな火縄銃を手にした銃兵が、撃鉄に相当する火挟(ひばさみ)の火縄に、息を吹き掛けて火の点き具合を見る。そして腰に吊った火薬入れより蓋の無い小さな火皿に点火薬を盛り、銃身を荷車の荷台の縁に預けた。


「放て!」


 ムラトの命令が下るとまた、重なった銃声が響く。


「以後は各自で射撃せよ!」


 斉射から自由射撃に移り、散発的に破裂音と煙が上がる。硝煙が立ち込め、煙漂う視界は相変わらず効かない。それでも荷車まで攻め寄せる敵兵の姿がほとんどないことから、火器の威力を前に、敵はすっかり(ひる)んでしまったと思われた。


「……歩兵を出すべきか?」


 ムラトは陣内へ振り返る。弾を込める兵士達の後ろには、槍を手に待機中の歩兵部隊がいた。彼らは荷車に取り付いてきた敵兵を撃退するか、射撃で消耗した敵を粉砕する役目を負っている。しかし、現在の状況では防御はともかく、反撃に出るべきかの判断が付かなかった。

 反攻の命令も本陣からは来ていない以上、次の行動へ移るのは慎重にならざるを得ない。などと思っていたら、それどころではなくなる報せが飛び込んできてしまった。

 両翼の騎兵が敗走したというのだ。




 二万を優に超える遊牧民族の騎馬兵が、天幕の町を荒らし回っていた。金品を抱え、取り合い、逃げ惑う人間を斬りつける。

 暴虐を尽くす彼らを率いる男ウバイ・ハーンは、上機嫌の笑顔で馬上からその略奪の様子を眺めた。


 イーラジュ軍の両翼を占めていた騎馬隊を撃破した彼の軍勢は、そのまま追撃に入り、ウバイ自身も親衛隊と共に突撃。逃げるイーラジュ軍騎兵を追い散らしつつ、()の軍の野営陣地を強襲し、今に至る。

 戦場中央を放置して敵の後方を荒らしているが、ウバイは何の心配もしていない。相手の両翼を完膚なきまでに叩いた以上、最早勝利したも同然。残るイーラジュ軍も、こちらの中央の部隊が圧殺しているだろう。

 そもそも兵力に差があり過ぎた。負ける方が余程困難と言える。故にウバイは早くも今後の進軍予定を脳内で組み立て始めたのだが、それに水を差す無粋な報告が彼の下に届けられた。


「北から軍勢が接近中だと? それは残敵を片付けた我が方の中央だろうが。何をわざわざ……」

「しかし、それにしては歩みが遅過ぎます。万一に備えて斥候を出すべきでは」

「要らん要らん、敵はとうに全滅しておるわ」


 ウバイは報せを携えた臣下の進言を片手で追い払う。

 そうして配下に略奪を続けさせたが、やがて他の将からも「軍勢の正体を改めるべく偵察を送るべきだ」との進言が繰り返された。そこまでされては流石にウバイもその必要性を認め、斥候を送り出すことを承認する──筈だった。


 突如として雷鳴のような音が鳴り響き、あちこちで土埃と人馬の悲鳴が噴き上がる。


「何事だ!?」


 目を剥くウバイに答えられる者はいない。誰もが狼狽(うろた)えるばかりで、その間にも天幕や兵が吹き飛び、軍の混乱がますます大きくなっていく。

 ウバイは歯をぎりりと鳴らした。信じがたいが、事ここに至っては北方の軍勢が敵であることは最早疑いようがない。そして彼の軍を襲うこの事態が、話に聞く火砲による攻撃であろうことも。

 そう即断すると彼は遊牧民らしい巧みな馬術と体幹で馬の背の上に直立する。その結果、ある程度予想した通りの光景が遠くに見えた。

 地平の先にて煙幕でも焚いたような煙が漂い、その向こうから数千の騎馬が蹄を鳴らして迫り来る。太陽を背負った獅子の旗を掲げる彼らの先頭に、ターバンに付いた羽飾りを揺らす若者の姿が。


「イーラジュの小僧がぁ!」


 額に血管を浮き上がらせたウバイが剣を抜く。それに応えるかの如く若者が右手を挙げ、彼の後背を駆ける騎兵達が一斉に弓を構えた──。



 イーラジュ軍は、数千もの死傷者を出しながらも三倍の兵力差を(くつがえ)し、奇跡的な勝利を得た。

 両翼を担った騎馬隊を中心に大きな被害を受けたため追撃こそ叶わず、痛み分けにも等しかったが、結果として敵の侵攻を完全に(くじ)くことに成功。これは戦略的勝利だと胸を張って言える。


『いやあ、凄い戦だったねぃ。あんな合戦初めてさね』


 戦後処理が進む戦場を前に、妖霊(ジン)はいつも通りの軽やかな口振りで先の戦闘を振り返る。ムラトもそれに合わせ、合戦の記憶を思い返した。


「想像以上に火器が敵の士気を砕いてくれたな。まさか騎馬はともかく歩兵が射撃だけで崩れるとは……やっぱり向こうにとって火器が初見だったのがデカいか」


 両翼の騎兵が敗走したとの凶報を受けた後も、ムラトは荷車の砦に籠ってひたすら銃砲を撃たせていたが、これが想定を上回る成果を挙げた。


 敵の騎馬兵は火薬の力に一度は怯みつつも、戦士として(そな)えた精神力で恐怖をねじ伏せ、遊牧民の誇りにかけてパニックを起こした馬を制御し、突撃を続行。そうして遮二無二(しゃにむに)突っ込んできたものの、弾雨を潜り抜けられたのは少数に留まり、荷車に足を止められたこともあって大きな脅威になり得なかった。


 後続の歩兵に至っては、銃砲の轟音と閃光に、硝煙で効かない視野も相まって、恐慌状態に陥っている。

 霧中にいるような状態で、精神を揺さぶる破裂音と一瞬現れる謎の光の数々、そしてばたばた倒れる味方の姿。火器を知らない大半の者からすれば、まるで凶悪な魔術か何かにも思えただろう。

 恐怖に(おのの)いた前衛は呆気なく崩れ、その背後にいた部隊も混乱に連れられて士気崩壊を起こした。すると更に後方の部隊は逃げる味方を見て「()けた」「このままでは逃げ遅れる」と判断したのか、彼らも逃走を開始し、後は連鎖的に敵の中央全体が敗走。戦場中央の戦いはイーラジュ軍の圧勝で終わった。


 本来ならばこれを追撃するべきだったが、イーラジュ軍は後方の野営地を敵の騎兵主力に襲われていたため追撃はせず、野営地襲撃の敵を最優先目標として全軍で掛かった。

 馬車陣を解いて急ぎ引っ張ってきた大砲による砲撃で敵を乱す中、タフムーラス王自ら近衛を率いて突撃。遅れてムラトの部隊を含む歩兵も援護射撃や白兵戦に加わり、敵騎兵主力を壊滅させた。その一方で、追撃を行えず数万規模の残敵を逃した事実は小さくない。

 ムラトは戦場跡を見つめながら、思考を整理するように言う。


「騎兵を壊滅させた上に少なくない敵将を討ち取れてるから、そう簡単に次が来ることはないだろうが、油断できんなぁ。それに──」

『この国の大敵は連中だけじゃあない』


 言葉を引き継いだ妖霊(ジン)に、ムラトが硬い表情で頷く。イーラジュにとって外的な脅威は二つあった。北方に勢力を構えた遊牧民、そして西の大帝国。特に帝国にはこの国にとり苦い過去がある。タフムーラスの父、先代の(シャー)が帝国の皇帝(スルタン)に大敗を喫した過去が。


『この戦いに勝利をもたらした荷車の砦と銃火器は元々“帝国の戦い方”、それも先代王を破った戦術の真似っこだ。本家と戦って勝てるかね?』

「……だから俺がいるんだろ。帝国を超えるやり方を編み出せってのが我らが(シャー)のお望みだ。やれるだけやるしかないさ」


 この戦い以前より、西の帝国に不穏な動きがあるとの情報が度々宮廷に届いていた。遠くない将来、帝国と戦うことになるだろう。その時、この国を勝たせることが出来ずとも、負けさせない責務がムラトの双肩に乗っている。王より与えられた彼への任務は、これからが本番だった。



 遊牧民との決戦より五日後、戦場から帰還した諸将を宮殿に集めて戦勝の宴が開かれる。だがしかし、めでたい筈のその夜、宮殿内に悲鳴が響き渡った。


「ああああぁっ陛下、どうかお気を確かに!」


 回廊を叫びながらはしたなく走るムラトが振り返ると、タフムーラスが猛烈な勢いで追いかけてくるのが見えた。その顔は朗らかに歪み、そこそこ赤い。彼の吐く息には恐ろしいほどまでのアルコール臭。

 この国の宮廷において、酒宴では酔い潰れるまで飲むのが飲酒マナーである。そしてタフムーラスは、大酒飲み揃いの宮殿人さえ残らず潰す国一の酒豪だった。


「誰かぁぁ!」

「ふははは、よいではないかよいではないか」


 腰帯を失った股引きがずり落ちないよう押さえながら走り回る間、通りすがる文官は例外なく道端に逃げ、憐みの目でムラトの背を見送る。宴会場にいた高官は全員高いびきをかいており、警備兵も見て見ぬふりで柱や中庭の生垣の後ろに姿を隠していた。妖霊(ジン)のランプも、王によって外された腰帯と共に宴の場に置いてきてしまっている。絨毯の上に転がったランプは、知らんぷりするかのように沈黙していた。


 宮殿を騒がす主従の追跡劇は、無慈悲にも立ちふさがる庭園を囲う壁にて終わった。追い詰められ壁を背にしたムラトに、不気味なほど陽気な表情をした若き王が迫る。タフムーラスは血の気を失っていくムラトの目の前に立つと──下方から彼の股間を叩いた。ぺしーんといい音が鳴る。


「アアッ! へ、へいか、ちょ、アッ、やめ、へい、アッー!」



 翌日、タフムーラス王は国内で一切の飲酒を禁じる“禁酒令”の勅を下した。彼の治世になって三度目の禁酒令であった。



 ナイッスち〇ち〇!


 ※合戦は実在した戦いをモデルにしています。(なおモデルより若干“小規模”にしているが、兵力差はモデルにした戦いの方が大きい)

 また、王も実在した人物がモデルで、奇行はオリジナルですが酒豪だった(幼少期に大人と同じレベルで飲んでいたのをポルトガル使節が目撃)のと禁酒令を繰り返したのは史実(理由は不明)です。


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