第2話: 呪いと呼ばれた死
寝台の天蓋に金の刺繍が揺れていた。
うっすらとした酔いの残る頭に、まず浮かんだのは不快感だった。鼻腔をつく甘ったるい香と、目にしみるほど整った調度。すべてが、場違いすぎる。
「……帝都、ね」
リャンは寝返りを打って、足元に置かれた木箱を睨む。
箱の中には、彼女の診療道具がぴたりと収められていた。布製の血吸い布、煎じ薬の袋、そして、碁石が入った陶器の小壺。
自らの名前を名乗った記憶すらない。だが、ここに運ばれた時点で、彼女が「異端医」として知られていたのは間違いない。
しばし天井を見つめたのち、リャンは立ち上がる。
派手な衣を着た侍女たちが二人、部屋の外に控えていた。驚くほど若く、そして、どこか不自然に笑っている。
「目覚めになりましたか。すぐに医官院の白副長がお迎えにまいります」
「白……?」
「白楚蘭様でございます。王宮内にて御医頭を務めるお方です」
白楚蘭――その名を聞いたことがあった。帝都の御医の中でも、唯一「男を診ない女医」として名高い人物だった。
あの白楚蘭が、自分のような山奥の薬師を招いた? 妙な話だった。
そして迎えに来た白楚蘭は、予想と少し違っていた。
紫の半衣に銀の留め飾り。楚々とした美貌に、厳しさと理知を内包した眼差し。
だが、そのまなざしには、わずかな焦りと――ある種の「賭け」のようなものがにじんでいた。
「山の娘、と聞いていたけれど。立って歩けるのなら、すぐに来てほしいの」
それだけを言い、踵を返す。
リャンは何も聞かず、ただ黙って後を追った。
通されたのは、御苑に面した南の離殿。妃の住まう主棟からは遠く離れた静かな棟である。
建物の内部は、薄暗く静まり返っていた。湿った空気と、かすかに漂う血のにおい。
――人の死んだ匂いだ。
「対象は、翠玉妃。三日前、夕餉の直後に倒れ、翌朝には死んでいたわ」
「医師は?」
「表向きには『持病の悪化』。でも実際は、口から泡を吹き、腹部を押さえ苦しんでいたらしい」
「毒か――」
リャンの問いかけに、白楚蘭は目を伏せる。
「違うのよ。毒物反応は、すべて陰性だった。臓腑の変色もない。まるで……呪いでもかけられたみたいに、内から壊れていた」
呪い、という言葉にリャンは目を細めた。
(便利な言葉だ。説明がつかないことを、全部それで片づけてしまう)
部屋の中には、死の気配がまだ残っていた。
翠玉妃はもとは北部の豪族の娘で、妃の中でも文に秀でた者として知られていたという。気位が高く、他の妃とはあまり交わらず、宮中にいても書庫か庭にばかりいたらしい。
――リャンは床に跪き、寝台の下に手を伸ばす。
埃を被った扇がひとつ。扇面には、細かく割れた木の繊維と、わずかな黒い粉。
「……これは?」
「彼女が好んで使っていた扇子よ。あの日、寝室に落ちていたもの。変わったものはなかったと報告されてるわ」
「変わっているよ。これは火にかけた跡。おそらく香木を炊いた熱で焦げたものだけど、ここ――」
リャンは粉の中から、一粒の異物を取り出した。
「白樺の樹皮が、混ざってる。香木の中に、これはおかしい。燃やすと、特有のえぐみが出る。しかも、これは灰になると内臓を麻痺させる」
「でも検査では――」
「白樺の毒は、低温で炭化した場合、検出しにくい。しかも、香に混ざって炊かれていれば、嗅いだ本人の意思では気づけない」
静寂が落ちる。
白楚蘭が、リャンの言葉に凍りついた。
「まさか……殺されたというの?」
「言い切るには材料が足りない。でも、自然死じゃない」
リャンは扇の残骸を袋に詰めながら、ふと部屋の西壁に目を止めた。
格子窓の外に、細い木の枝が一本突き出ていた。紫藤――この季節には咲かないはずの花が、一輪、枯れかけて揺れていた。
(室内に風が吹いた?)
そこだけ、薄く塵が積もっていない。
(つまり、誰かが開けた。では――)
リャンは思考を囲碁のように整えていく。
一、翠玉妃は孤立していた。
二、香を焚いた扇が焼け焦げていた。
三、毒は香の中に混ぜられた。
四、死の直前に部屋の格子窓が開かれていた。
それらを並べて浮かび上がるのは、沈黙の中に仕掛けられた「無言の殺意」。
そして、犯人が“香を操ったのではなく、香に紛れて毒を仕込んだ”という事実。
リャンは、そっと白楚蘭に囁いた。
「……呪い、なんてものは存在しない。人を殺すのは、いつだって“人”です」
一度完結済みにして、明日以降執筆が終わり次第、更新していきます。