エピソード1-3
「せっかくですから、縁側からお庭を眺めながらお茶を飲んでもよろしいですか?」
うん? と首をひねりたくなる。この人はそんなにこの縁側が気に入ったのか?
たしかに、リノベーションするにあたって、今では縁側も魅力のひとつという説明を受けてその通りにはしたが、俺にはやはり、あの古井戸が不気味でたまらない。
「蚊に刺されても知りませんよ?」
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して、そっと女に手渡す。
冷気と熱気にあてられたペットボトルは、静かにしずくを滴らせた。
「ふふっ。蚊に刺されるくらい、なんでもありませんわ」
女はペットボトルのキャップをひねり、ごくごくと三口ほどお茶を流し込んだ。
「決めました。ここのおうち、貸していただけませんか?」
「は? まだ見ていない部屋もあるのに?」
「ええ。わたくし、この縁側がとても気に入りましたの」
歌うようにほほ笑む女は、契約書はないのか、とせかした。
「契約書か。不動産屋にまかせてあるから、俺は持ってないんですよね」
「それでしたら、二日ほどこのおうちを貸していただけたらよろしいのですが?」
たったの二日?
俺はますます混乱してきた。この女、なにか良からぬたくらみがあるんじゃないだろうな?
お茶をごくりと飲むたびに、白い喉が跳ねる。
いかん、いかん。こんな女にいらぬ欲情を抱いている場合じゃない。
というのに。女はハンドバッグから、分厚い封筒を丁寧に取り出し、俺に手渡した。
「不動産屋さんを仲介するのは、お互いに損をするでしょう? ですからいっそうのこと、彼らのことははぶきませんこと? もちろん、誰にも内密に、という条件付きですけど」
封筒の中を見て驚いた。一万円札の束がふたつも収まっている。ごくり、と知らず喉が鳴った。
「あの。でも、こういうのは」
「本当は、お仕置きしたいだけなんです、夫に」
ああ、なんか浮気したっていう男のことか。けど、たった二日のために二百万円も?
「馬鹿げているのは承知の上です。ですが夫は、自分が好きなように浮気をしてきたクセに、わたくしの浮気は許さないと言う。これってかなり理不尽ではありませんか?」
理不尽?
浮気?
不穏なワードが次々に出てきて、俺は言葉を失ってしまった。
つづく