湯楽の里、午後3時〜身体を洗う、見るということ〜
日曜の朝、京奈は自然と目を覚ます。
まだ7時前。外のアーケードは静まり返り、雨戸の隙間から漏れる光が、木枠の窓に縞模様を描いていた。
二階の部屋は夏に向けて湿度を帯び、寝苦しい夜の余熱をまだ残している。
手探りでスマホを取り、時間だけ確認すると、すぐに伏せる。通知もメールも見ない。今日は仕事がない、たった一日の“無言の日”だ。
起き上がり、井戸水を汲んだデカンタから冷たい一杯を飲む。喉を滑る感触に目が覚め、肌の内側がじんわりと動き出すのを感じた。
木の階段をゆっくり降りて、一階のトイレと洗面台を使う。洗顔しながら鏡に映る自分の顔を見つめる。素顔は、思ったより疲れていない。
女将さんがカウンターに置いてくれていた朝食用のおにぎり〜梅干しと塩昆布〜海苔がしっかり巻いてあり大きめだ〜のラップを外して一つ頬張る。
米粒のひとつぶひとつぶが甘く感じる。ヤカンに入った麦茶を一口。残ったおにぎりは外したラップで包む
ロングシャツを脱いで新しい下着をつけ、休日用の服を着る。薄手のグレーフーディー、カーキ色のイージーパンツ。ワークマン のキャップ。仕事着でもなく、誰かに会うためでもない格好。ポケットにスマホと小さな財布、半額入浴券、残ったおにぎりを忍ばせる。
9時少し前、まだ湿った商店街を抜けて歩く。ゴミ収集車のエンジン音が遠くで響き、軒先に水を撒く老人の姿がある。濡れたコンクリートにサンダルがキュッと音を立てた。
空はすでに夏の白に近い。日差しは確実に肌を焼こうとしている。
湯楽の里は、駅から10分ほど。高架下のスーパーを通り抜け、住宅街を越えた先、駐車場の向こうに見える瓦屋根の平屋。少し昭和風の看板と、煙を立てる煙突が、日曜の平穏を告げていた。
湯楽の里にはツバメ亭のお弁当販売ブースが有り、ウイークディの夜十時ごろ、京奈がお店の自転車で、売り上げ金を回収するのが日課だった。時間が来たら割り引いて売り切るため、売れ残りはほぼゼロだった。
靴を脱ぎ、ロッカーに仕舞いながら、京奈はフロントで半額入浴券を差し出す。
今日もフロントには支配人がいた。白いポロシャツにブルーのハーフパンツ。口元には作ったような笑み。
「片山さん、今日もありがとうございます。例の件、いつでも言ってくださいね」
京奈は小さく頭を下げた。いつものやり取りだ。支配人は、彼女に“無料パスやお小遣い”を渡したがっていた。
ただし、何かと引き換えに。
「いえ、半額で十分です。いつもありがとうございます」
いつも通りの断り方。支配人もそれ以上は追ってこない。ただ、その視線が去り際まで揺れる臀部に絡みつくのを、京奈は知っていた。
ロッカー室は、タイル張りの床が朝の冷気を帯び、薄い蒸気が漂っている。九時オープンのため、まだ客はほとんど居ない。京奈は人の少ない端のロッカーを選び、静かに服を脱いでいく。
バスタオルを巻き、鏡の前で髪を整える。Dカップの胸がタオル越しに持ち上がり、脇腹のラインが白いタイルに映り込む。無駄を削ったような身体。見せるためではなく、削られて残った身体。豊かな臀部に長い脚。
バスタオルをロッカーに入れ、手首にロッカーの鍵を巻き、全裸の上に館内着を着込み、ようやく誰にも邪魔されない自由を実感する。
新聞や週刊誌、コミックを読み、湯に浸かり、サウナで汗をかいて、ウオーターサーバーの水を飲み、念入りに身体を磨き上げ、髪を乾かし、マッサージチェアでうとうとする。
京奈がマッサージチェアの隣の畳に腰を下ろすと、シャツをインした背中から腰、そして臀部へと続くなだらかなカーブが、低い照明の中、畳にやわらかい影を落とした。
その影は、彼女が身体を傾けるたびにわずかに形を変え、呼吸のように静かに揺れていた。何も語らずとも、そこには確かにひとつの「在る」ことの美しさがあった。
九時から二十二時の営業時間中過ごしても京奈は支配人以下の従業員からは煙たがられていない。仕事仲間ということもあるが、京奈の動きや雰囲気に華があるからだ。
スッキリと立ち、滑るように歩き、凛とした表情の京奈に、時折り顔見知りの女性従業員が笑顔で手を振る。男性従業員は会釈後京奈を目で追う。
湯楽の湯は別料金で岩盤浴やエステもあり、ちょっと昭和のテーマパークっぽい雰囲気は、若い女性にも人気がある。
京奈のような華の有る客がいるのは、お店的にも好ましいのだ。
正午、持ってきたおにぎりを食べ、サービスのお茶を飲んでいる京奈に裕子が嬉しそうに近づいてきた。しばらく談笑後、二人で大浴場に向かう。
昼下がり、湯楽の里の大浴場の脱衣所、白いタイルが冷たく、湯気が空気を重くする。京奈は館内着を脱ぎ、バスタオルを巻き、鏡の前で髪をとかす。Dカップの形の良い胸がタオル越しに柔らかく膨らみ、細いウエストが影を落とす。
隣のロッカーで、裕子が館内着を脱ぐ。Eカップの半球型の胸が左右で誇らしく揺れる。脇腹から腰に続くくびれのライン、張り出した臀部から太腿にかけての張りは同性の京奈が見てもドキドキする。
数ヶ月前、洗い場で隣の女性がシャンプー切れで困っていたのを見て、さっとボトルを差し出した京奈に、お礼を言ったのが裕子だった。
同年代の彼女とは、すぐに会えば笑顔で会釈をする仲となり、打ち解けるのにそう時間は掛からなかった。彼女とは隔週で一緒になるタイミングだ。
裕子が「京奈ちゃん、まだダブルワーク?仕事し過ぎてない?」と笑う。京奈は苦笑し、裕子の見事な左右の揺れる胸に視線が一瞬滑る。ピンクのツンと立った乳首、彼女の手がヘアブラシを握りしめる。
二人で洗い場へ。湿った空気をかき分けながら堂々と移動する二人の見事なボディに同性ながら周囲の視線がまとわりつく。羨望と蔑み、圧倒的な存在感。
京奈はコスメセットを入れたカゴを洗面器の横に置き、シャンプーを泡立て、鏡に映る自分の体を見る。肩のスッキリしたライン、胸の形の良い膨らみ。湯気が鏡を曇らせ、シャワーを掛け、曇りを取る。
その鏡に斜め前の裕子の見事な上半身が鮮明に浮かび上がる。自信を秘めた半球型の見事な乳房、ツンと尖った外向きの乳首。
視線に気づいた裕子が「そのシャンプー、いい匂い」と鼻を鳴らす。京奈は頷く。あわてて裕子から視線を逸らす。
視線を逸らした先、鏡の向こう、京奈の斜め後ろの若い女性が立ち上がる。律儀に自分が使った洗い場を丁寧に洗浄する。
洗面器を拾う際、膝が曲がり、お尻が京奈の方を向く。中腰で椅子を揃える際、お尻の膨らみの間に、彼女の隠すべき物がくっきりと露わになる。
その間、京奈の動きが止まり、指がシャワーヘッドを強く握る。その瞬間、京奈の心に何かが忍び込む。
京奈の横、裕子の反対側に女子大生らしい二人組がやって来る。椅子をシャワーで洗い、腰掛け、若々しい身体を洗い始める。屈託なく足を広げ、腰を上げ身体中をくまなく泡立てる。
二人に視線を預ける京奈に裕子が気づく。
夕食を併設のフードコートで裕子と取る。裕子は京奈の過去、映像作家時代の話を聞きたがっていた。京奈にとっては苦い思い出だ。裕子は法律事務所のインターンだと言っていた。
夜、住み込みの6畳の部屋。京奈はノートPCを開き、OnlyFansでアカウント作成。年齢確認、そしてジャンル選択。販売代金の受取用に安全の為PayPal経由でクレジットカードを登録。
彼女は引き出しから唯一処分しなかった撮影機材、DJI Pocket 3を取り出し、電源を入れる。
ジンバル機能が水平を保つ手のひらサイズのカメラ、レンズが光る。彼女の指がボタンをなぞり、FPVモードの画面に自分の顔が映る。仮想の洗い場と鏡と洗面器を置く台、ターゲットをイメージし、録画角度とカメラのカモフラージュを詰める。
シャンプーボトルの内部にカメラを差し込み、レンズ部分に穴を開ける。カゴの合間からそのスリットを覗かせる。FPVモードで角度を微調整。リハーサルの仮想録画画像を確認して液晶をオフ設定にする。
次の日曜日。湯楽の里の洗い場。京奈はシャンプーボトル内のDJI Pocket 3の電源を入れる。もう戻れない。
京奈にとって、湯楽の里で過ごす日曜日は、唯一“誰にも触れられない時間”だった。タイルの冷たさ、サウナの熱、マッサージチェアの静けさ。それらすべてが、彼女を「人間」から「風景」に戻してくれる瞬間だったのかもしれない。
誰にも見られていないと思っていた場所にも、視線は存在する。
たとえ、それが鏡の奥にしかいないとしても。そして、京奈自身の中にもまた、「映したい」「見せたい」という衝動が、小さく、小さく、芽吹いていた。その芽はまだ言葉にならず、形にもなっていない。
だが次の日曜、彼女はその指でシャッターを押し、自分の身体を、映像作品として差し出すことを選ぶ。