第1章
「いってらっしゃいませ」
運転手に見送られながらホテルのロビーに入ると、支配人が早々に挨拶に来た。
「奥さま…本日はありがとうございます」
と深々と頭を下げ挨拶を始める。
私はそれを横目に軽く会釈だけしてそこから離れ、中庭の見える窓際に近付いた。
そこからは見事な日本庭園が一望出来、私のお気に入りの風景だったから。
大きな池の回りに植えられた桜の木が満開を少し過ぎたのか、風が吹く度に吹雪の様に舞い上がる花びらが幻想的だった。
うっとりと見つめていると…
その先に真っ赤なスーツの女の人と黒いスーツの男の人が二人、まるで絵画の様に佇んでいた。
そっと寄り添い、男が女の腰に手を回し歩き出す。
そしてふと立ち止まりキスをした。
「わっ!!」
目の前で繰り広げられるラブシーンに思わず背を向けて頬に手を当てた。
本当は…
私にも彼がいた。
でもこの話が正式になったときに彼とはキッパリ別れた。
一晩泣き明かすことで《決心》なんて格好いいものは手に入らなかったけど、代わりに《諦め》というモノを手に入れた。
嫌いで別れた訳じゃない。
私の一方的な都合だと言うのに、彼は顔を歪めながら
「茉愛沙の足を引っ張る気はないよ」
と言ってくれた。
私の立場は出会った時からよくよく分かってくれてる人だったから。
そんな彼の事を思い出した…
私の通っていた女学院には一般家庭の人から社長令嬢、芸能人の子供、政治家など、多種多様の生徒がいた。
私の幼馴染みで大親友は隣の家に住む植木職人の娘の角川 椿〈かどかわ つばき〉。
そして彼女の兄である青葉〈あおば〉が私の恋人だった。
名前からもおじさんの拘〈こだわ〉りが見える。
おじさんの溺愛の椿。
オレンジに近い茶髪でショートカットがよく似あう、男勝りのサバサバした女の子。
そしておじさんの自慢の青葉。
肌がこんがりと日焼けしているのは時々庭木の手入れ等、おじさんの手伝いをしてるから。
幼馴染みで椿と私たち3人はいつも一緒だった。
いつの間にか特別な感情を持ちお互いが大切な存在だと認めあったのが高校を卒業する頃。
それから2年と少し…
青葉は本当に私を大切にしてくれていた。
中高時代少し荒れていたいたみたいだけど、今はフラワーアレンジメントとしてホテルや料亭の玄関などの大きな花器にお花を生ける仕事をしている。
それは彼らのお母さんがしていた仕事だった。
うちの専用の庭師のおじさんと、うちの家中のお花を全て任せてるおばさん。
植木から鉢植え、庭の芝に至るまでうちのお花は全て角川家に任せてある。
庭の手入れを日常的にしていた角川家が自由に出入り出きるように、青葉の家とは塀や柵もなく庭を挟んで繋がっていた。
幼い頃からいつも何か有ると相談に乗ってくれていたのが椿だった。
だけど彼女も去年の年末、出来ちゃった婚で今は少し離れたところのマンションで新婚生活を送っている。
おまけにお腹の大きな妊婦に心配をかけるわけにもいかなくて、今回の事は椿にも相談できずにいた。
何よりも青葉と別れた事すら言えてないのに結婚するなんてとても言えなくて…。
近い内に報告はしなくちゃいけないとは分かってるんだけど…