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明日は11時にホテルに向かうけど、その前に美容院を予約しといたわ」
「ありがとう」
「綺麗にして貰いましょうね」
「ママは先方の事は…知ってるの?」
「そうね…お相手の零〈れい〉さんは今IT企業を立ち上げられて、その社長をされている方よ」
「IT業界の方なの?」
「いえ、桐生〈きりゅう〉グループのご子息で」
「桐生?!」
思わず大きな声が出るほど驚いた。
私でも知っている世界的にも名の通った会社。
と言うか、誰でも知っているのではないか。
日本有数のグループ。
「でも…あそこはIT関係の会社では無い…わよね?」
「ええ。何れは会社を継ぐことは決まって居るでしょうけどまだ、現社長のお父様の会長がお元気だし、好きなことをさせてらっしゃるようね」
うちの会社も名の通った方だと思うけど…規模が違う。
これって…
「ママ、うちの会社は危ないの?」
「いえ…そう言うわけではないわ」
「なら、どうして?いくら婚姻関係を結ぶと言っても…おかしいでしょ?うちなんかが相手にされる訳無いわ」
企業としての格が違いすぎる。
「会社のことはよく分からないのだけれど、このお話は桐生グループの会長さんの持ってこられたお話だそうよ」
格上の者が格下の者にこういう話を持ち出すと、格下の者はまず断らない。
いや、断われない。
それはこんな小娘の私ですら知っているこの世界の掟の様なもの。
「…ママ」
「政略結婚そのものね…」
そう言って今度は私よりもママの方が泣きそうな顔をした。
「大丈夫よ。きっかけはどうであれ…もしかしたらその方と上手くやっていけるかもしれない。いえ、やって見せるわ」
安心させたい一心で私はママの手を強く握り、精一杯の言葉をかけた。
これから、自分の身の回りに何が起きるのかも知らないままに時ばかりが過ぎていく。
世間知らずな私。
だけどママを見てきたから私は結婚生活に夢なんて持っていない。
とても現実的な受け止め方をしていたと思う。
だけど…
その”悪条件“…それは想像を絶する
最悪の物だった。
…お見合い当日…
「茉愛沙、時間だわ」
「えぇ」
私はソファーから立ち上がると、ワンピースの裾をそっと直した。
薄いブルーのシフォンのワンピースはシンプルだけど綺麗目。
それに白のヒールを合わせた。
私は身長165㎝。
それに7㎝は有るヒールを合わせると170㎝は越える。
身長は高く遠目には大人っぽく見えるが、実際はコンプレックスに成るほどの童顔だ。
切れ長の目に憧れるのに…ママに似たまあるいブラウンの目。
シャープな顎のラインだと良かったのに、ふっくらとした頬。
これが…幼さを強調していた。
どう転んでも綺麗なんてものには程遠い。
だけど…これが私。
誤魔化しようがない…。
髪は顔回りを編み上げ後ろはそのまま下ろした状態。
私の自慢の髪でもあるブラウンの髪。
相手がどんな人だかは知らないけど、私は私のスタイルを通そうと思った。
見初めてもらうつもりは無いし、かといって見下されるのも、蔑〈さげす〉まれるのもごめんだ。
この時の私は強気だったのに…
「髪は上げた方が良かったんじゃない?もう少し大人っぽく…」
「良いのよこれで。それよりパパは?」
「お仕事の都合で、そのままホテルに来るそうよ」
「…そう」
眉を少し下げ申し訳なさそうに微笑んだママに、いつもの事ねと眉をあげて返し、家の前に既に待機していた車に乗り込んだ。
私の誕生日にはいつもあの店でママと搭季の3人で食事をしていた。
そんな私のお気に入りの場所だったのに…
「ママが言ったの?」
「何を?」
「あそのお店の事」
「あぁ…ほら、あそこはうちのグループだから色々な情報はあの人に入っているんだと思うわ」
その返事を聞きながら窓の外を眺めていた私は、今は4月で春と言う季節なんだと改めて実感した。
桜がとても綺麗に咲いていたから。
「そっか。今って春なのね」
「…?茉愛沙?」
私の誕生日は2月。
だから20歳に成ったばかり。
お酒は少し前から嗜〈たしな〉んではいたけど、そう弱くもなく、底抜けのザルと言う訳でもない。
パーティーで出るカクテル位なら、挨拶をする度に乾杯をして口をつけても取り乱すことはない。
好きかと聞かれても嫌いではない…程度。
『もう…このホテルで食事をすることはないわ』
そう心の中で呟いて目の前に聳えるホテルを見上げた。
私の中の楽しかった想い出は、今日を境に嫌な思い出に塗り替えられてまいそうだから…