魔王様の正体
その日は突然やってきた。
眠るまでは、いつも変わらない一日だった。
カフェTwinkleMagicで働いて、帰って、夕飯を食べて、お風呂に入って…
ちょっと涼んでから、ふわふわの毛布をかぶって眠る。
目を閉じて、意識がゆらゆらして…
フッと気付いたら、今、白い世界に立って居る。
すぐに夢だとわかった。
ずっとこの夢を見たかったから。
最初にこの夢を見てから、どれぐらい経っただろう。そろそろ1か月ぐらい経ったと思う。
俺は白い世界をきょろきょろ見回して、魔王さんを探した。
また会える筈だという、確信に近いものがあった。
根拠は無い。
だけどそうだって感じてた。
「魔王さん!」
少し離れた所に彼の姿を見付けて、走って行く。
今日はなんだか地面がぼよんぼよんと揺れる気がする。
なんだろう…
「お前…もう来るなって言っただろう。」
魔王さんは俺の事を覚えているようだった。呆れたような顔で言われる。
…『もう来るな』なんて言われてないけど…
あっ、目が覚める直前に聞き取れなかった言葉!
もう来るなって言ってたのかな?
「…来ちゃったんだから、仕方ないよ!」
俺は会えて嬉しくて、呆れ顔の魔王さんに向かって笑った。
「仕方ない、か。確かに…どうせまた帰り道わからないんだろう?」
魔王さんは溜め息を吐いた。
帰り道がわからない…きっと目を覚ませばいいんだろうけど、折角会えたのにまだ起きる気はない。
「うん、えーっと。そうだね!だからお話ししようよ!」
取り敢えず帰り道がわからない事にしておく。
そうじゃないと『帰れ』なんて言われそうだ。なんせ別れ際に『もう来るな』って言われてたみたいだから…
「今日は魔王さん、何してたの?」
というかいつも、白いこの世界で何をしているんだろう…
「…何って…何も。懐かしんでいただけだ、海を。」
「海?」
俺は首を傾げた。
海の事を、ここで思い出していたんだろうか。
「お前、見えてないのか?」
俺の様子を見て、今度は魔王さんが首を傾げる。
「見えてない、何が?」
何がだろう、魔王さんの事は見えるけど…
他は真っ白だ。
「見えないから走って来たのかお前。本当におかしなやつだな…」
ふと、魔王さんが俺の目を覗き込む。
近くに魔王さんの目が…紫色かと思っていたけど、青い光も散っている。
凄い、こんなの宝石でだって見た事無い。
綺麗で不思議で…
と、魔王さんの目に魅入られかけたところで…
「ぉああっ!!?」
俺の足元が沈む。
派手な水音が鳴って、俺は水の中に落ちた。
ちょっと待って、俺、あんまり泳げないのに!
ジタバタと水の中でもがいていると、魔王さんが音もなく水の中にやってきて。
『…適応力ありすぎだろう、お前…』と、口を動かさずに呟いた。
あれ…これ、覚えがある。
心で会話するやつだ。随分前に新城さんとやったことがあって…。
そうだあの時も不思議な夢を見て…それで、新城さんに話して…
あの時の夢…
「あああああ!」
叫び声と共にガボガボガボと俺の口から泡が出て行く。
思い出した、俺は魔王さんの事を夢で見た事がある!
つい、海の中だというのに叫び声をあげて、沢山空気を吐いて苦しくなってしまった。
『た、た、助けて!』
今度は心の声で喋り、慌てて魔王さんに助けを求める。
魔王さんはまた呆れた顔をして、俺を抱えると海の上まで浮上した。
泳ぐでもなく、水面から離れて…1mも離れてはないけど、宙に浮いている。
俺は抱えられたまま海を見下ろす。
「凄いなあ!飛べるんだね!?」
夢の世界とはいえ、俺はこんなに自由にできない。
いつもと同じ行動しか…
「お前は馬鹿か?俺の夢で勝手に死ぬな。気分が悪い。」
「ごめんなさい…まさかここが海だなんて思ってなかったんだ…えっと、そんで俺、魔王さんみたいに飛べないんだけど…」
魔王さんはこの夢が自分の夢だと思っているみたいだ。
いや、もしかして、これは俺の夢なんじゃないんだろうか?魔王さんの夢に俺が入っている?
そんな事ってあるんだろうか…
「海だと思ってなかった、か。何故お前には見えて無かったんだろうな。」
呟きが聞こえ、そして俺はポイッと海の上に投げられる。
「えええっっ!?」
また沈んじゃうよ!?……と、思ったんだけど…
水の感触の代わりに、もにょっとした感覚。
海の上にいつの間にか、地面が?俺が5人ぐらいは寝転がれるスペースがある。
「なに、これ…」
地面…土じゃない、布でもない、柔らかい何かだ。
動くとぼよぼよして…海に何かが浮いているのかな。これ…
「…何でも良いだろう?溺れたいのか?」
「まさか!ありがとう魔王さん!助けてくれて…」
「見えた途端に溺れるとは、器用なのか不器用なのかわからんな。」
溜め息を吐いて、魔王さんは俺の隣に降りてきた。
不思議な浮地に、ふたりで並んで座る。
魔王さんにとっては、今回の夢は最初から海だったらしい。
俺には前と同じ、白い世界に見えてたけど…でも、そう言えば、走って来た時に足元がぼよぼよした…あれは水の感触だったんだろうか。
「…もしかして、俺は海の上を走って来たように見えてた?」
「あぁ。そう見えたが。」
「あはは、そっかあ…俺は普通に白い地面を走って来たつもりだったんだ。」
「白い世界…そうか。」
「どうやって海を見せてくれたの?魔法使いなの?」
「言葉で説明するのは面倒だ…」
一瞬、魔王さんはこちらに手を伸ばし掛けて、その手を降ろした。
「なに?」
「いや…いい。夢の中のお前に細かく説明する気も無い。」
「そうなの?うーん、そうかぁ…」
魔王さんはきっと何かしようとしたんだろうけど、気が変わったみたいだった。
海の方に視線を向け、遠い目をしている。
少しその姿を眺める。
随分前だけど、俺は魔王さんが登場する夢を見ていた。
会った事があるっていうのとはちょっと違う。
俺は夢の中で魔王さんに入っていた、っていう感じだ。
そしてその不思議な夢を、新城さんに話したら…その人物は新城さんや俺の前世に当たる人物なのだと教えてくれた。
新城さんの教えてくれた基準に当て嵌めると、新城さんが魔王さんの生まれ変わりで、俺には魔王さんの欠片がちょっと入ってる、って感じになる。
あの時、魔王さんの事を思い出して欲しくないって新城さんは言ってた。
辛い事が沢山あったのかな…
「海が好きなの?」
ちょっと間を置いて訊いてみる。『思い出して欲しくない』って新城さんの気持ちには反するけど、やっぱり…こうなったらもっと魔王さんの事が知りたい。
「そうだな、好きだな。海はとても自由だから。」
「そっか、俺も海が好きだなぁ。皆で遊びに行ったの楽しかったなぁ…」
「溺れるようなお前が?」
魔王さんは俺の方を見て、意地悪な笑いを浮かべた。
「あれは急に足元が海になったから!ちょっとは泳げます!」
必死に言い訳する俺を見て、魔王さんは「どうだか!」と楽し気に笑った。
バカにされている気がするけど、魔王さんが楽しそうなのは嬉しい。
あ、そうだ。俺は魔王さんを笑わせに来たんだった。
「魔王さん、俺美味しい物もって来たんだった!」
「…どういう事だ?」
「ここに…」自分の前に両手を差し出し、手のひらを上に向けて…
そこにトレーがあってお皿があって…それでその上に…
ホットケーキが………
新城さんに習って、自分でもトレーニングして、大分イメージ出来るようになったつもりだったけど。
実際夢の中でそれをするっていうのは、凄く難しい。
なんだか目や眉間に力が入ってしまう。
すると不意に、その力が入った眉間にトンと魔王さんの指が触れる。
途端に、凄い勢いで5段重ねのホットケーキが俺の手の上に出現した。
「わっ」
余りの勢いに、落っことしそうになって、俺は慌ててホットケーキが乗ったトレーのバランスをとる。
ホットケーキはホカホカしてて、一番上にはバターが乗ってて、ハチミツが沢山かかっている。
俺の大好きな甘い匂い。ほっとする、ほっとケーキだ。
「これ、凄く美味しいんだよ!魔王さんに食べて欲しくて持って来たんだ!」
崩れないように慎重に、ホットケーキを魔王さんに差し出す。
魔王さんは、新城さんが褒めてくれる時みたいな声で、
「なんだ、お前も魔法使えるんじゃないか。」
と呟いた。
それから魔王さんと一緒にホットケーキを手で食べた。
フォークとナイフは出すの忘れてた…でも、ちぎって食べれるから、いいか…って。
手はベタベタになったけど。
魔王さんはホットケーキを気に入ってくれたみたいで、「美味い」って言ってくれた。
それから食べ終わったら、蜂蜜でベタベタしてた俺の手を一瞬でキレイにしてくれた。
魔法って凄いな…。なんでも出来るんだな。
「礼だ。」
短く言うと、魔王さんは金色のコップをふたつ出現させて、ひとつ俺にくれた。
中にはなみなみと飲み物が入っている。
「これは?」
「果実酒だ。」
「果実酒!酒なの!?」
「なんだ、飲めないのか?」
「飲める、飲めるよ!いただきます!」
飲めるけど、酒に強いかっていうと微妙なので、まずは少しだけ飲んでみる。
甘い。酒なのか?と思う程に甘い。
ホットケーキを食べた後なのに、甘いし、あんまりアルコール特有の苦みとかがない。
そんで、ちょっととろみがある気がする。
果実酒って言ってたけど…なんの果物なんだろう?葡萄みたいなワインみたいな色をしてるけど、桃みたいな香りもするような…。
でもとにかく…
「凄く美味しいよ魔王さん!」
俺がとっても笑顔にされてしまった。
「そうか、良かったな。」
魔王さんは一瞬微笑み、そしてまた海に視線を戻した。
なんだか、海を遠く見てるその目が悲しそうな気がして…
「悲しいの?」
つい、声に出てしまった。
振り向いた魔王さんは、少し冷めた目をして「そう見えるのか?」と返してきた。
感情を奥に引っ込めた目だ。
そう感じた。
せっかくホットケーキを喜んでもらったのに、余計な一言で機嫌を損ねてしまったかも…。
いや、もう、ここまで来たら言いたい事を言ってしまおうか。
「魔王さんって、本当の名前なに?俺ね、魔王って…悪い人の使う名前だって聞いたけど、魔王さんは悪い人じゃないでしょ?」
「お前は何を勘違いしている?俺は大衆にとって悪人だ。だから人がそう呼ぶのだろう。お前に名前を教える気はない。」
「俺はその"大衆"じゃない!」
「…ではお前は何なんだ?」
「俺は…」
言葉に詰まる。
…この人にとって、俺は何なんだろう?俺にとって、この人は何なんだろう?
生まれ変わりって言える程の、何かを受け継いだわけでもない。
ただこの人が気になって…
そうだ、きっと俺は…今の時点ではこの人の何でもない。
だから今から、この人の何かになりたい。
そこに考えが着地して、やっと俺は沈黙から脱した。
「俺!これからあなたと友達になりたい人だよ!」
不思議な紫色の目に、一瞬困惑が浮かんだ。
そしてボソッと呟くような問い掛けが飛んできた。
「友達…?って、何だ?」
「え?」
この人の頭の中の辞書に、友達っていう言葉が無いらしい。
そんな事ある?
と、思ったけど、そうだ。
俺だって神殿で生きていた時に、友達というものを知っていたかというと…知らなかった。
TwinkleMagicの皆に教えてもらったんだった。
「友達っていうのは…一緒にゴハン食べたり、一緒に遊びに行ったりする人の事だよ。それに、沢山話をしたり…あとは…困ったときに相談もするよ。」
「そうすると俺やお前にメリットはあるのか?」
「メリットてなに!そんなの楽しいからやるんだよ!」
「お前の言っている事がわからん。名前を教える理由にはならない。」
この人は…
確かに新城さんはこの人の生まれ変わりかもしれない。
頑固っていうか…なんていうか…
こんなにまで名前を教えたくない理由ってなんだろう。
でもとにかく今は、名前を言いたくないらしい…。
「わかったよ。これから魔王さんは■さんて呼ぶから。シカクさんね!」
「は?」
新城さんが自分の前世であるこの人を、■マークで表していたから…
俺は勝手にシカクさんと呼ぶ事にした。
「それに、俺はリトだよ。"お前"じゃなくて、リト。」
「……本当にお前は無礼な奴だ…」
シカクさんは諦めたように溜め息を吐いて、またお酒を飲み始めた。
無礼って言われたけど、取り敢えずまた槍で刺される事は無さそうだ。
「ねえ、また美味しい物持ってくるよ、シカクさんは何が好きなの?」
「………。」
呆れられるのも不機嫌そうにされるのも慣れたものだ。
俺の方を見てくれないけど、帰れとも言わない。多分、シカクさんは俺の事が嫌いではない。
話すのは諦めて、俺も海を見る事にした。
波は穏やかで、朝みたいな光でキラキラしてて。ずっとずっと向こうまで海が続いている。
夢の中でも酔うのかな…
酒を飲んだせいなのか、頭がフワフワする。
「リト。」
そうだよ、俺の名前はリトだよ。
シカクさん…
「リトってば!遅刻するよ!」
遅刻?
「遅刻!?」
俺は叫びながら飛び起きた。
すぐ横にはアンのビックリした顔。
「もう…勢い良すぎだよ。でも珍しいね、リトが目覚ましの音で起きないなんて…」
困ったように笑ったアン。
目覚まし時計はちゃんとセットして寝た。
いつも朝アラームが鳴ってすぐ起きて止めるんだけど、今日はずっと鳴りっぱなしで、アンが止めてくれたらしい。
「ゴメン、起こしちゃったな。アンは昼からなのに…」
アンの仕事は大体11時からだ。双子だけど俺は朝に強いが兄は朝に弱い。だからいつもアンは9時ぐらいまで寝てるんだ。
一方俺は6時に起きて、6時半には店に入っている。
時計を見ると、今は6時10分。
急いで準備しないと!
「起こしてくれてありがと!あっ、そうだアン」
「どうしたの?」
「夕飯、アンの焼いたホットケーキがいいな!」
「えぇ?夕飯に?…いいけどさ」
アンの優しい笑顔を見て、ほっとしてから、俺は急いで支度を始めた。
その日の夜には、シカクさんの夢は見なかった。
また1か月後とかになっちゃうんだろうか?
それとも、シカクさんが不機嫌になったからもう夢をみれないとか…
もしもあの夢が俺の夢じゃなくて、シカクさんの夢だとしたら、そういうことが有り得なくもないのかなぁ…
いつもならこういうのは新城さんに相談に行く。
けど、関わって欲しくないって言われた手前、ちょっと気まずいのだ。
『"友達になりたい"って言いました!』なんて報告はしずらい…
そんな時、不思議な事に詳しい人がもうひとり居る事を思い出す。
不思議な事に詳しくて、しかも…多分シカクさんの事を知っている人だ。
俺は仕事が休みの日に、シカクさんの事を相談しに行く事にした。
「久し振りですねぇ、リト君。元気でしたか?」
シンプルだけど立派な家の玄関。扉を開けてくれたのは…
「久し振り!山田教授!」
そう、俺が相談に来たのは、山田教授こと西園寺さんだ。
大きな大学で教授をしていて、そこの学園祭で出会った。俺が居た異世界の言葉を理解できた、この世界で唯一の人だ。
この人、本当は西園寺さんなんだけど…大学では山田教授ってあだ名で呼ばれてて、俺もなんだかその方が呼びやすいからずっと山田教授って呼んでる。
「さあ、入って。お腹空いたでしょう?」
いつものニコニコ顔で、俺を家の中へ招いてくれる。
中に入ると玄関までいい匂いがした。相談したい事があるって連絡したら、『では折角ですから昼食を食べにいらしてください。』と言ってくれて…きっとお昼ご飯を用意してくれてるんだ。
山田教授の家にはもう何回か来た事があった。最初は新城さんとアンと一緒に来たんだけど…
新城さんは山田教授と一緒に居るとずっとピリピリしてるので、その後はアンと二人か、俺ひとりで来ている。
俺がひとりで山田教授を訪ねるのは、大体新城さんと喧嘩した時とか気まずい時とか…そんな時だ。
「うわぁー美味しそうだね!何これ?」
広々としたダイニングテーブルに、美味しそうなお昼ご飯が並んでいる。
これ山田教授が作ってくれたのかな?
「鶏のミートローフと、豆スープですよ。パンはハードなのがお好きでしたよね、オススメのベーカリーがありまして…チーズフランスを買ってきましたよ。飲み物はリンゴジュースでしたか?」
説明してくれながら、キッチンからパンを持って来たり、飲み物を持って来たり…
もう予め用意してあったんだろう、手際よく準備は終わる。
「さて、お話は食べながら聞きましょうか。」
「うん!ありがとう山田教授。いただきます!」
「ふふっ、どうぞ召し上がれ。」
山田教授は俺が来る時にはいつもオヤツを沢山用意してくれている。
そういえばゴハンは初めてだったかもしれない。
そんなに自分の事を深く話した事は無いんだけど、俺の好物も最初からなんとなくわかっているような感じだった。
パンはハードなのがお好きでしたよね、だなんて。俺はそんな事話した覚えはない。
でも確かに柔らかいのよりハードパンの方が好きで…特にチーズフランスは大好き。一時期凄くハマッて色んなお店のを食べ比べてたんだよな。
思わずパリパリのチーズフランスからかじりついて、ひとしきり楽しんでから俺は切り出した。
「ねえ、これはさ、今回の相談っていうより…前から訊きたかったんだけど…」
「ふむ、なんですか?」
山田教授はコーヒーカップをテーブルに置いた。
今日の山田教授は分厚い眼鏡もかけてないし、長い前髪は上げていて、顔がよく見える。
涼やかな目元で、鼻筋が通っていて、カッコイイというより綺麗だと思う。身近な人だと黒江さんも綺麗な人だけど、黒江さんは中性的で…山田教授は綺麗だけどちゃんと男の人って感じだ。
初めて大学の教室で会った時とは大違いだ。後で訊いたら『変装なんですよ』って笑ってたな。
なんで学校の先生をやる時に変装するんだか、俺には未だによくわかっていない。
そんな謎の山田教授に訊きたい事、それは…
「山田教授って…不思議な力が使えるの?」
「不思議な力ですか、そうですねぇ…不思議と言えば不思議ですかねぇ、どうでしょう?」
なんとなく曖昧な返しをされる。
「どうでしょうって…俺が訊いてるのに…」
「リト君、質問は明確にしなくては。明確な質問には明確な答えを返せますが、曖昧な質問には曖昧にしか返せませんよ?」
「む…明確な質問…」
「そうです。不思議な力というのはどのようなものでしょうか?」
俺はスプーンを手にしたまま考え込む。
不思議な力…新城さんは過去や未来や、異世界の事まで視える力がある。後は人の記憶も読み取れる…。前に新城さんと来た時、山田教授は新城さんの従兄弟なんだって聞いた。だからもしかしたら同じような力があるんじゃないかって思っていたんだけど。
でも、もしそうじゃないなら、"新城さんみたいな力"って説明するのはマズい気がするし。
「ふふっ、少し意地悪でしたか?しかし自分の頭で考えるというのは大切な事ですよリト君。さあスープが冷めてしまいますよ、まずは食べて。」
「はっ…そうだね、うん、そうする!」
教授に言われて、俺は美味しそうなゴハンを食べるのを再開した。
豆スープは色々な豆が入っていて、レンズ豆ひよこ豆赤えんどう…大豆も入ってるかな。
味付けは何だろう?コンソメだろうか、でも少しとろみがあるような…小麦粉?いや、タマネギが溶け込んでいるのかな?
料理をするようになってから、少しはどうやって作られているのか考えるようになった。
まぁその、最初だけなんだけど…
3口目ぐらいからは『うん、とにかく美味しい!』ってなって夢中で食べてしまう。
鶏のミートローフもとても美味しい。しっとりしてて、ソースをかけなくても味がしっかり目に付いている。でもソースをかけるとまたそれはそれで美味しい。
ソースは甘めのケチャップみたいな感じだ。塩気はそれ程強くない。
とにかく美味しいミートローフの3切れ目をおかわりした所で、教授の顔をチラと見る。
すると教授はニコニコしながらこっちを見ていた。
「…山田教授は食べないの?」
よく見たら、山田教授の前にはコーヒーカップしかない。
「私はいいんですよ、作りながら味見していたらお腹がいっぱいになってしまってね。気にせず沢山食べてくださいね。」
味見でお腹一杯…本当かなぁ…?山田教授は細身だ。元からあんまり食べない人なのかもしれないけど…
でも俺が食べてるのを見てるのが楽しそうだから、俺は遠慮なく食べる事にする。
どうやってシカクさんの事を話そうかな?って考えながら…
一通り食事を楽しんで、まだ食べれるけど一息ついた辺りで、俺は教授に相談を開始した。
「それでね、教授、今日話したかったのはさ…なんて言ったらいいかな、うーん、えと、夢を見て…」
「シカクさん、の事ですか?」
俺の言葉を遮り、穏やかな口調だけど核心を突いた言葉。
「えっ?そうだけど、え、なんで?」
当然俺は驚いた。
だってシカクさんって俺がそう呼ぼうと思って勝手に付けた名前だ。
「ふふっ、失礼。リト君、貴方ときたら…心の声が大きすぎるのですよ。」
「えっ…えええー!?」
「まず、先程の質問からですが、私には遥さんのような不思議な力はありますよ。貴方の知っている例を挙げれば、過去や未来の情報を視る、それから精神会話等でしょうか?」
「じゃあ…だから俺の考えてる事がわかったの?」
「そうですねえ…普段は私は敢えて心を聞くことはしないのですが…貴方の声は大きすぎて聞こえてしまいましたね。」
「うっ…そんなに大きな声だったのか…俺の心の声…」
「ふふふ、それだけ貴方が純粋だということです。本来悪い事ではないですよ?ただ利用されないように気を付けないといけませんねぇ…不思議な力を持っている人物が味方だけとは限らないのですから。」
新城さんにもよく注意される事だ。
お前は素直で純粋だから、悪い人に騙されないようにしろよって。
俺は山田教授の言葉にもうんうん頷く。
「一応訊くけど、山田教授は悪い人じゃないよね?」
「ふふっ!本当に貴方は!…リト君、悪い人に『悪い人ですか?』と聞いても『そうです』とは絶対に言いませんよ?」
「それはそうだけどっ」
山田教授に沢山笑われてしまった。
その後お昼ご飯は「ごちそうさま」して、シカクさんの話を沢山聞いてもらった。
最初は事故に遭った時に夢で出会って…それから先日の夢では海の上で話をした。
あの夢自体は俺の夢なのか、シカクさんの夢なのか…
シカクさんはいつもどこか悲しそうに感じる…
またシカクさんに会うにはどうしたらいいのか…
「シカクさんの事をもっと知りたいし、友達になりたいなって思ってるんだけど…」
「友達、ですか。それで遥さんに反対されると思って私の所へ来たのですね?」
「えっ、うん。また心の声が出てたの?」
「いいえ、考えたら分かる事ですよ。遥さんはシカクさんの事は良く思って無いですからね。」
「どう言う事?新城さんはシカクさんが嫌いなの?」
「嫌いと言うのとは少し違いますねぇ…それはさて置いて、リト君、貴方はまたシカクさんに会いたいのでしょう?」
「…うん、そうだね、会いたいと思うんだけど…自由に夢を見る事なんてできないから…」
「できますよ。」
「え。」
「できます。教えて差し上げますよ。丁度良いですね、そろそろお茶の時間ですし。」
丁度良い?何がだろうと首を傾げながら、キッチンに去っていく教授を見送る。
戻って来た教授の手には銀色のトレーがあって、その上には綺麗な缶と大き目なポットとカップがふたつ乗っていた。
教授は慣れた仕草でカップに紅茶を注いでくれて…
それから綺麗な缶を俺の前に差し出した。
「開けてみてください。」
「うん。」
青色に金色の模様が入ってる、綺麗な缶だ。
蓋を開けると…
ピンクや青や黄色のパステルカラーの粒が入っている。
砂糖…?
「これは何?」
「ドラジェというお菓子です。アーモンドを砂糖でコーティングしたものなのですが…」
このお菓子に何か特別な力が…?
「ふふっ、違います。」
教授が俺の心の声に返事する。
ううっ、今は何か大きな声で思ってしまった自覚はある…
だってドキドキするじゃないか、こんな風に見せられたら!
「このお菓子に特別な力があるのではないのです。今から魔法をかけるんですよリト君。」
そう言って、教授は一粒ドラジェを取り出す。
「魔法?」
「そうです、一旦蓋を閉じてください。そしてその上に手を乗せて…」
缶の上に俺が手を乗せると、教授が向かいの席から俺の隣までやってきて、俺に向かって手を伸ばす。
その人差し指と中指が、俺の額に触れる。
あぁ…そうかシカクさん、途中で辞めたのコレだ。
教授が俺に向かって手を伸ばした瞬間、シカクさんの姿が過った。
『言葉で説明するのは面倒だ…』
そう言われたあの時だ。
言葉で説明せず、情報を直接俺の頭に流そうとしたんだ。
どうしてそんな事がわかるんだろう、俺。
一欠片でもシカクさんの魂が俺に残っているんだろうか?
「『貴方の中から扉を開く鍵を生成します』」
教授の口から音で聞こえるのは知らない言語だった。でも、なんて言っているかは理解できた。
いつの間にか俺は目を閉じていて、シカクさんの姿が頭の中に浮かんでいた。
後ろ姿だけど…手が届きそう。
イメージで手を伸ばした時、口の中に甘い味。
「んっ…?」
「はい、おしまいです。魔法をかけましたよ?」
教授の声で目を開ける。
口の中にはいつの間にかドラジェが放り込まれていた。
噛むとカリッと言って砂糖衣が砕け、香ばしいアーモンドの香りがする。
「今のが?魔法?」
「そうです。彼の夢が見たいときは、これを食べてから眠ってくださいね。」
教授は俺の向かいの席に座り直すと、これまた優雅な姿勢でお茶を飲んだ。
このドラジェを食べて、眠る…
…食べてから寝る?
「ねえ、山田教授…」
「なんでしょう?」
「寝るのはさ、食べた後、…歯を磨いてからでもいいよね?」
俺は真剣に訊いたのに、教授はまた「ふふふっ!」と笑って…
「そうですね!虫歯になってしまってはいけませんから。」
と、ニコニコ顔で答えたのだった。