小話2. 背中
森之助はあれでいて意外や意外、翠に心酔している。すごい!と熱烈に思っているわけではない。理解をしたいと思っているわけでもない。ただ、生涯かけてあの人の背中についていきたいと思っている。これは、およそ三年の濃ゆい付き合いの賜物であるが、きっかけはあった。
あるどんより曇った戦場にて、新しく参謀として任ぜられた女が森之助のいる部隊にお目付け役として派遣された。森之助の部隊は第七師団の中でも脛に傷があるもの、一風変わった奴などなどが集まっている。つまりは、ろくな奴とされる人間はいないのだ。
みんなが何だあいつはと怪訝そうに見ているのもどこ吹く風、女はやる気が感じられない背筋、覇気のない目、お空の雲より冴えない顔をしている。年齢はかなり若く、森之助よりも下のようにみえ、飾り気のない実用性重視の黒い服を着ていた。立ち居振る舞いや服から、貴族のご令嬢ではないだろう。しかし、戦場に来てから、すぐに参謀に取り立てられたらしいことから、何か後ろ盾があるに違いない。団長の愛人じゃないかと口さがない噂も立ち始めていた。
「翠だ。よろしく」
ざわめきのやまない中で、女は手短に挨拶をした。ぼんやりした目で隊の連中を一通り見回した後、ぼーと空を眺め始めた。ここの連中には興味が微塵もないようだ。
「ご案内いたしましょう」
森之助は慇懃無礼な笑みを浮かべて、女に歩み寄った。森之助は一応この部隊のまとめ役であった。生来の気質である面倒見の良さがあるためだ。ごっつい輩にも、ふわっとした奴にも森さんと呼ばれ、慕われていた。森さんスタイルと言って、森之助の前髪を上げた髪型を真似る者もいる。やめてほしい。
「よろしく」
女は森之助に向かって手を出した。
「恐れ多いので結構ですよ」
森之助はにこやかに握手を拒否した。友好の気持ちとか無いぜという抵抗感のあらわれである。森之助は善意で彼女に近寄っているわけではない。監視のためだ。俺達にとって使えるか否か、害があるか否か、見極めなければならない。
「そう」
警戒心に満ち溢れている森之助に気付きもしないで、女は顔色ひとつ変えず手を引っ込めた。怒った様子もない。不快に感じた様子もない。へえ、そうなんだと受け流しただけであった。森之助は読みにくい人間だなと用心した。
「団長に言われてここに来たけど……。何か聞いてる?」
「いえ特に何も」
嘘である。先日、団長から、前線だから敵に襲われるかもしれないと通達が来ていた。そのような連絡は今回が初めてだ。参謀、第七師団のナンバースリーを前線に配置するということは、注目!ここを狙ってくれ!と言っているようなものだ。新しい参謀殿だけでなく、俺達を囮に使う気なのだろうと、森之助はみていた。
「そう……、まあいいさ」
女は森之助の嘘にも団長の思惑にも気付いていないようで、暢気に周りを見渡していた。
「師団の中でも、ここは毛色が違うね」
「いらない奴らの掃き溜めですからね」
「……いらない奴はいないというのが団長の持論だよ。何にでも使い道はあるってね」
それは違う。いらない奴はいるのだ。妾の子、親なし子、社会的少数者……。世間に爪弾きにされている者は確かに存在しているのだ。森之助は自分や仲間の存在を無いものとして扱われているように感じ、腹の底からふつふつと熱が込み上げてきた。
「あなたにとってはどうです?俺らはご入り用で?」
森之助の声がやや低くなった。
「さあ?いるかもしれないし、いらないかもしれないね」
「……?」
森之助は訝しげに女を睨みつけた。うざってーこと言ってんじゃねぇと口から出そうになった。
「……つまり、私にとっちゃ、どーでもいいって言ってんの」
女はすたすたと天幕の中に入っていった。いけすかねぇ、ムカつく奴だと森之助は腹の立つほど曇っている空を睨み上げた。
それから、森之助は参謀の女を監視していた。はっきり言って、うろうろちょろちょろして、面倒だった。あれは?これは?といろいろ質問をし、これやりたい、あれもやりたいと仕事を買って出ていた。そして、部隊の奴らと一緒にご飯を食べたり、訓練をしたり、見張り番やったり……としているうちに、部隊に馴染み始めた。翠さんと親しみを込めて呼ばれ、絆されている奴もいた。
森之助はあんなんじゃダメだ!と気合いを入れ直そうとしていると、見張り番の兵が女と森之助の元にやって来た。
「敵です!霧に隠れて近づかれたようです!」
慌ててはいるが、きっちり伝えるべきことを短く報告を行った。
「引きつけようか、それとも迎え撃とうか……、あなたはどっちがいい?」
女は森之助の顔色を窺った。
「迎え撃つに決まってますよ」
当然のように森之助は言った。そして、何のために引きつけるのかと思った。
「そう、私はもう少しだけ引きつけようと思うよ」
「なぜですか?」
馬鹿言ってんじゃねぇよ、早く動かないと仲間が死ぬと感じた森之助の声には棘があった。
「団長を待つ」
「来なかったらどうします?」
俺らのために誰が来るかよと森之助は苛立った。
「団長は来るよ」
「根拠は?」
「勝機は逃さない人だからね」
女はふっと仕方なさそうに笑った。
「どうして信じられる?」
なぜ、団長に、他人に命を預けられるのか、森之助にはわからなかった。怖くはないのか。敵が近づいて来ているにもかかわらず、平然としている目の前の女を森之助はまじまじと見つめた。
「信じているわけではないよ。事実だからね」
何食わぬ顔で女は言った。こいつは自分の理解の範疇外にあると森之助は気づいた。
「……おっ!危ないよ」
軽々しく言うと、彼女が覆い被さってきた。不意のことで、森之助は思わず目を瞑り、仰向けに倒れ込んだ。何だと思って、森之助は目を開き、顔を上げると、女の肩に矢が刺さっていた。
「あんた……!!」
「まあ、大丈夫だろう……」
やや痛みに顔を顰めながら、矢を折り、女は立ち上がった。
「参謀殿!森さん!増援です!」
どうやら、挟み撃ちの要領で団長が部隊を率いてきたようだ。
「では、反撃開始!!!!手柄持ってかれちゃダメだよ!」
そして、参謀は馬に跨ると、斬り込み隊長さながら敵陣を突っ走った。傷ついた背中のまま、どんどん進んでいく。森之助も含め、皆がその背を追いかけた。
「いやー、大将首取れてよかったね」
手当された痛々しい背を晒しながら、あっけらかんと参謀は言った。大将首あげたのはあんたなんだが?と森之助は気が抜けそうになった。そして、いやここで有耶無耶にされたくはないと気を引き締め直した。聞きたいことがあるのだ。なぜ、あの時俺を庇った?使えるからか?いいや、違う。打算によるものではなく、咄嗟の判断だった。回りくどい言い方は苦手であるため、森之助は単刀直入に話を切り出した。
「どうして庇ったんですか?」
「ん?」
「俺達なんてどうでもいいんじゃないんですか?」
森之助は罰が悪そうに俯いた。
「そうだね……」
この時、森之助は翠の顔を見ていない、また、見ていたとしても翠の心情を推し量れなかったかもしれないが、翠はそんなこと言ったかな?と間抜けヅラで首を傾げていた。
「まっ、目の前で死なれちゃ夢見が悪いでしょ?」
参謀は大したことなさそうに笑った。肩の怪我は命に関わるものではないそうだが、それなりに痛みはあるはずだ。であるのに、なぜ、恨み言を吐かずにいられる?わからない。そして、なぜ、たったそれだけのために人を助けられる?わからない。
「……あんた、馬鹿だぜ」
森之助は諦めたように吐き捨てた。わかることは目の前の奴が、翠という人間が格段に馬鹿であることくらいであった。
「ははは、馬鹿は嫌いかな?」
「……いいや、あんたみたいなとびっきりは大好きさ」
森之助は片方の口角を上げ、不敵に笑った。
「そりゃあよかった。私もあなたみたいな人に補佐をしてほしいんだが?」
翠はいたずらっぽく笑いかけ、森之助に手を差し伸べた。
「他にいいのが……」
森之助は戸惑ったように差し出された手を見つめた。森之助は欲しいと思ったもの、望んだもの、いいなと思ったものの類を見返りなしで差し出されると、本当に俺でいいのかと思ってしまう。経験から染みついた悪癖である。
「言われたことをそこそこに守りながらも、警戒心の強い人は中々いないよ」
翠は覇気のない目はそのまま、ニヤリと笑いかけた。森之助がこの話を受けるだろうと確信しているようだった。
「……承知しました。不肖、森之助。頑張ります」
森之助は差し出された手を握った。悪い話ではないし、命も助けられたし、……それに、ついていくのも悪くない、なんとかなると感じたのだ。
「それより、随分敬語が使いづらそうだね」
「……そんなことはありません」
「別に無くてもいいよ」
「いえ、これから習得します」
結論から言うと、森之助は敬語の習得はなあなあで済ませた。ルールが多く、使い分けが難解であり、終いには、敬語とは何だ?と敬語迷宮に迷い込んでしまったのだ。
「そう。じゃあ、しばらく皆のことお願いね」
「え……」
いきなりぶん投げ?と森之助は顔を顰めた。
「肩、痛いんだわー」
「……わかりました」
翠はわざとらしいそうに眉を寄せた。だが、痛いのは事実だろうと森之助は心苦しくなった。
「そんな顔しなさんな、森さん」
「……補佐でしょう、呼び捨てでお願いします」
「みんな呼んでんじゃん。森さん仲間に入れてよ」
「はぁ……」
「じゃっ、よろしく」
それから、翠にいろいろよろしくされ、無茶振りされるわけだが、助けられた恩もあるし、ついていくと決めた弱みもある。森之助は仕方なさそうに翠に言われたことをテキパキとこなす日々が続いている。翠の補佐になっても、彼女は森之助の理解の範疇外のままであった。何を考えているのか、表面だけは掬えるようになったが、奥底はわからないままである。たしかなことは、森之助好みの馬鹿であることだけである。
森之助は馬鹿げた理由で傷付きながらも進まんとするあの背中に惚れたのだ。




