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小話1. 置いてかれたもの

 これは三年前、つまりは翠が戦争に行ってしまってからしばらくした頃。紫苑はくじらの飲み屋・新門(しんもん)を訪れた。王宮の雇用情報によると、翠はこのくじらという女性の紹介で来たらしい。

「あら、いらっしゃい」

 一見さんでもどこか入りやすそうな暖簾をくぐると、五十半ば程の女性が出迎えた。くじらは夫を亡くしてから、店を一人で切り盛りしているそうだ。顔の皺から苦労を重ねてきたことを思わせるが、暗い影や辛気臭い雰囲気はあまりなかった。芯の強い人なのだろう。

「あんた、この辺の人じゃないだろう」

「ああ……」

「……まあいいさ、座りなよ。生憎、洒落たもんはないけど、不味いもんは出してないよ」

 くじらはテキパキと手を動かしている。しゃんと伸びた佇まいから、しなやかさを感じさせる。

「翠という人間をご存知か?」

 紫苑はサクッと本題を切り出した。

「……あんた、あの子の何なのさ?」

 片目を瞑って、怪訝そうにくじらはこちらを見遣った。

「…………顔見知りだな」

 紫苑は一瞬何と答えればよいか迷った。そして、とりあえず事実だと確信を持てる回答をした。

「あいつ、今、何してんの?」

「戦争に行ってしまった」

「何だって!?そんなわけ!いや、やりかねないか……」

 くじらはため息まじりに言った。どうやら、彼女の中で翠はふらっと戦争に行きかねない人らしい。どんな風にここで生きていたのだろうと紫苑は少し、否、だいぶ気になった。

「それで、あんたは何の用だい?」

「いや、特には……、彼女はどんな人だったのか、気になっただけだ」

 紫苑がここに訪れた理由は特にない。強いて言うならば、翠に縁があるところに行ってみたいというふらふら~とした理由である。

「ただの生意気なガキだよ。……あんたにはどう見える?」

「ぼんやりしながらいろいろ考えている人だ。あとは、そうだな、弱味を見せるのが苦手なようだな」

「……ははは、よく見てるじゃないか」

「だが、いきなり戦争に行ってしまった」

 よく見ていたつもりだったが、翠はふらりと行ってしまった。

「そーゆーとこあんのさ」

 妙な実感がこもったようにくじらは言った。

「戦争に行ってしまったのはご両親の影響だろうか……」

 紫苑は顎に手を当てた。たしか、後宮に来る前、翠はここで過ごしていたらしい。両親のこともくじらは知っているのだろう。彼女は顔が広いようだ。

「さぁね。あんた、調べたのかい?」

「いいや、彼女が言っていた。父親は戦死、母親は後追いで自殺したと」

「……後追いね」

「違うのか?」

「……いいや、違わないさ。だが、それは翠が言ったんだろうよ」

 くじらは翠の母の死はただ調べただけの人間、部外者は後追いと言わない。翠の父、すなわち翠の母の最愛の人の死から二年ほど経っていたのだ。傍から見たら、後追いとは言わずに、女手一つで子供を育てる境遇に疲れ果てたのだろうとでも思われるはずだ。だから、くじらは翠が本当にこの男に自分の身の上話をしたのだろうと思った。珍しいこともあるもんだ。明日の天気ですら大荒れ、槍でも降ってくるかもしれない。それもあって、くじらはこの男をひとまず信用しようと決めた。くじらはまじまじと目の前の男を眺めながら、煙管(キセル)に火をつけた。

「あんた、名前は?」

「紫苑だ」

「紫苑ねぇ……」

 どっかで聞いたことあるなとくじらは煙を燻らせた。艶やかな紫の髪を緩く一つに結び、目鼻立ちの整った上品そうな男、一目でこの辺の男ではないとわかる気品、簡素ながらそこそこ上等な衣服、どこぞの貴族の坊だろうとくじらは当たりを付けた。さすが飲み屋の主人、接客業の経験豊かなこともあって、中々に鋭い洞察力だ。ちなみに、くじらは紫苑が梅家の若君だということは後ほどわかって、頭を抱えた。

「まあ、そんな悄気た顔しなさんな。翠は強い!……あの子が帰ってきたら、この店で一番いい酒をやるよ」

 にかっとくじらは紫苑に笑いかけた。その日まで待とうじゃないかと慰めた。それでも、紫苑は冴えない苦い顔のままである。

「……いつ帰ると思う?」

「翠は妙に律儀なところがあるからね……。事が終わるまで帰りゃしないだろうよ」

 つまり、戦争が終わらない限り、真の意味で帰ることはない。

「では、終わったら帰ってくるのだな」

「そうだろうね……」

「では、終わらせてやる……」

 紫苑は妙に真に迫った顔をしている。くじらはその勢いに少々たじろいだ。

「できんのかい……?」

「やってみせる」

「……すぐ帰ってくるといいねぇー」

「ああ」

 紫苑はこの店に来て初めて晴れやかな表情を浮かべた。道が開けた!と喜んでいるように見える。

「あんた、あの子に……」

「ん……?」

 紫苑は不思議そうに首を傾げた。

「いいや、何でもないさ」

 くじらはふーと煙を吐いた。今は惚れた腫れたの話は野暮だと思ったのだ。全ては、平和になってから、戦争が終わってから、翠が帰って来てからでいいだろう。



 それから、紫苑は頑張った。主に、外交だが何だかでコツコツと手を回した。そして、シャーロの王が代替わりで何やかんやあったことも後を押して、戦争は終わった。風和国の王太子とシャーロの新女王の娘が将来結婚することで和平条約がかた~く結ばれたのだ。紫苑は戦争終結、平和の立役者として名を上げた。十三年という長い月日の間、断続的に行われた戦争に多くの人々が疲れ切っていた。人々は紫苑が平和のため、国のため、民のために行動したと思っているのだろう。

 だが、それは違う。紫苑には国だの民だの大きなことはよくわからない。ピンとこないのだ。

 ただ、紫苑には帰ってきてほしい人がいた。それだけである。










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