2. 置いていったもの
というわけで、翠は国王から褒美の一つとして屋敷をもらった。どうして紫苑が案内してくれるのかを問うと、ここは以前梅家が所有していたのだと返された。なるほど?と翠は半分納得、残りの半分は不思議な気持ちを持て余した。どうして紫苑ご自身が?という疑問がはぐらかされた心地である。
「ここが庭だ」
引き続き、紫苑が直々に屋敷の中を案内してくれている。
「琴音様の花壇にあったものが植えられている」
「え……」
翠はどこかこの風景に見覚えがあるなと感じていた。
「引き取ったんだ。……全てではないが」
紫苑はやや申し訳なそうに眉を顰めた。
「ありがとうございます」
翠は頭を下げた。
「今は沈丁花が咲き始めた」
「……そうですか」
紫苑が指差した先には小さな白い花を咲かせた低木があった。花からはかすかに甘い良い匂いがする。これは、翠の知らない花、知らない匂いであった。琴音に教わることのなかった花だ。翠はぼんやりと庭を眺めた。椿がぼとりぼとりと花を落としている。誰だったか、椿は首が落ちているようで薄気味悪いやら、縁起が悪いやら言っていた奴がいた。艶やかで美しい花なのになあと翠は不思議に思った。少しぼーっとしていると、奥の方から人影が近づいて来た。
「庭の世話は彼がやっている」
紫苑はやって来た男を紹介した。
「やあ、たっちゃんだよ!」
「翠です。よろしくお願いします」
たっちゃんはとても明るそうな人である。紫苑が任せているということは信用のおける人物なのだろう。たっちゃんは顔見せが終わるとサッと作業に戻って行った。
「荷物はここにある」
「はあ」
紫苑が指差したところには翠が琴音の宮に置いていった服や琴などがあった。服、着れるかなと翠は心配になった。身長はさして変わっていないが、少々筋肉量が増えて、体形が変わったのだ。まあ、大丈夫だろう、何とかなるさと翠は自分の肩幅を見遣った。
それにしても……と翠は顔を上げて屋敷を見回した。馴染みのない建物だが、至る所に既視感がある。あの日、あの時、あの場所に置いていったものが、この家にはあった。
「あとは、犬二匹が今散歩中だ。名前は好きに付けてくれ」
「わかりました……」
翠が怒涛の情報量に何とかついていくと、紫苑は翠を責めるように見てきた。
「……何です?」
「翠が戦争に行って、みんな心配していた……」
さすがの翠にも急に行った自覚はあった。だが、心配されるほどかなと首を捻る。翠は他人に興味が無いというより、他人に自分がどう思われているかが無頓着なのだ。
「……もちろん私もだ」
「…………」
翠はどこか居心地悪そうに口を閉じたままである。
「出家はしないな?」
「もちろん」
兄・玉蘭がトラウマなのだろうか。私は戦争帰りで出家なんてことしないぞと翠は深く頷いた。戦争を経験しても、翠は仏に祈る気持ちはよくわからなかった。
「今後、どこかに行ってしまう時は一言ほしい」
「……わかりました」
言う余裕があれば言おうかなと翠は軽~く考えていたが、すぐに思い直した。紫苑の顔がやけに真剣だったからだ。真っ直ぐ見つめてくる瞳、きゅっと引き締められた唇、やや震えている拳。翠は紫苑に不義理をしたのだなとやっと腑に落ちた。もし、何かがあって、どこかに行ってしまいたくなれば、必ず伝えよう。翠は約束は守るタイプだ。
「坊ちゃん、夕飯食べてきなさいな」
庭師のたっちゃんが声を掛けてきた。彼はご飯も作れるらしい。
「私の分もあります?」
「もちろんありますよ、翠様」
「様、か……」
「ええ、この家の御主人ですからね」
たっちゃんはおどけたようにウインクをした。
「慣れるのに時間がかかりそう」
翠は自嘲気味に笑った。
準備された夕飯をもぐもぐと翠は食べた。おいしい、特に、甘酸っぱいあんがかけられた肉団子は絶品だ。たっちゃん、料理が上手である。
「別の日にもっと豪勢なものをやろう。……好きな食べ物はあるか?」
「そうですね……」
お帰りなさい会でもやる気かな?と翠は顎に手を置いた。しかし、好きな食べ物と聞かれると悩ましい。翠は気分によっておいしいと思うものが変わる。ここ最近の食べたい物の方がイメージしやすい。
「久しぶりに海鮮系が食べたいですね……」
戦地はだいたい山だったため、山の幸は堪能する機会があったが、海の幸を口に入れることはなかった。温泉も山の中だった。たいてい、山菜!猪!川魚 (泥臭くないと大当たり) 熊!という具合だった。あれはあれでよかったが、三年間、そればかりだと、流石に飽きた。
「そういえば、鯛は好きなのか?」
「あ~、まあ、おいしいですけど。私はスズキも好きですよ」
「……そうか」
紫苑はフーと味噌汁を冷ましながら、おずおずと口に入れた。猫舌は健在らしい。
「……琴音様がお好きでしたね。紫苑様は?」
「……私も好きだが、肉の方が好きだ」
「へえ……」
今日のメニューがお肉メインなのは紫苑に気を遣ったのだろうか。見た感じ草食系とか言われるんだろうなぁと翠はどーでもいい感想を抱いた。
「皆さん、お元気ですか?」
「ああ、特に変わりはない。……会いに行った方がいい、行くべきだよ」
「そうですね」
翠は素直に頷いた。お偉いさんのところには森之助が帰ってからにしよう。面倒事を回された時の保険が欲しいと翠は考えたのだ。
次の日、翠は思い立ったので、くじらのとこに足を伸ばした。
「やあ、おひさ~」
「……翠じゃないか!」
くじらは驚いたように目を丸くした。
「戦争に行ったって聞いたよ」
「まーね、誰から聞いたの?」
「紫苑さんだよ」
「……なぜ?」
翠はひょいと片眉を上げた。紫苑の名が出るとは思いもよらなかった。
「あんたが心配だったんじゃないの?」
「へーえ……」
そんなにかと翠はじわじわ実感を得てきた。
「父さん達の墓、綺麗だったね。ありがとう」
両親や佐知子の墓には誰かが手入れしている形跡があった。恐らく、くじらのお節介だろう。
「行ったのかい」
「親不孝者だけど、たまにはね」
翠は目を閉じて皮肉気に笑った。
「戦争に行ったのは父親が関係してんのかい?」
「ははは、付き合いが長いって嫌になるね」
翠は空笑いをした。建前ではあるが、父がどのような思いで戦場にいたのか、しるために翠は戦争に行った。結果としては、よくわからなかった。目の前で死んでいく見知った顔、死と隣り合わせの日々に苦しんだのか、あの戦場で骨まで拾ってくれる仲間ができ、それなりに和気藹々していたのか。翠はどちらも正しくて、どちらも間違いな気がした。翠自身は森之助や団長達と仲を深められたのは良かったが、戦争とは惨いものだと総括している。
「はぁ……、にしても、死んだ奴のこと抱え込むのもいいけどさ。生きてる奴を大事にした方がいいよ」
「……失ってから初めて気付く大切さってよく言うでしょ」
翠は口角を上げて笑ってみせた。
「それを何度も繰り返すのは馬鹿のやることだよ」
「これは耳が痛いね……」
くじらはいつも痛いところを突いてくる。誰に対してもだ。それはよく言うとお節介とも言えるが、そのお気遣いが裏目に出ることもあった。翠の母のように。
「これ、紫苑さんに渡しといておくれ」
「何……、お酒?」
翠はしげしげと一升瓶を眺めた。この店では一等いいお酒な気がする。
「渡せばわかるよ」
「随分仲良くなったんだね」
「あんたこそ、あの坊ちゃんと随分親しいみたいだね」
「ははは、綺麗であろうとする人は結構好きだからね……」
紫苑は真っ直ぐあろうとしていると翠は見ていた。
「まっ、今日のとこは詳しく聞かないでやるよ」
くじらはニタニタといや~な笑みを浮かべている。
「今日はあれ食べに来たのよ」
気を取り直してと翠は用件を切り出した。
「野菜炒めかい。……あんたの母親が好きだった奴だね」
「違うよ……、あれは父さんが好きだったの」
翠は頬に手をついて、フッと痛々しい笑みを浮かべた。
「そう……、今作るから大人しくしてな」
「お代に一曲弾くよ」
べべん!と翠は三味線をかき鳴らした。以前、住んでいた部屋から取ってきたのだ。翠が王宮に行くと言って出て行った時のままだった。
「ツケとくね」
くじらは馬鹿なことは聞かないふりをした。
「じょーだんだよ。……ちゃんと払うとも」
「……ツケね。また払いにおいで。約束だよ」
くじらはキッと翠を見つめた。
「……もしかして、心配かけた?」
「当たり前だろう!」
ぶっきらぼうにくじらは吐き捨てた。
「それは悪かった、本当に」
紫苑に同様のことを言われたのもあって、するっとくじらの言葉が身に沁みた。
「いいかい?あんたの周りには結構人がいるもんだよ。もっと、大事にしんさい。いつもそうだよ、自分がどう思われているかちっとも気にしない」
「うん、わかったよ、わかったから」
本格的な説教モードに入った気がすると翠はげんなりした。
夕方、紫苑が屋敷に来たので、くじらからだと言って、お酒を渡した。気になったので、どういう仲だと問うと、紫苑はちょっとした常連なのだと曖昧な笑みを浮かべていた。翠は謎が深まったが、考えるのをやめた。なんかちょっと深入りしたくないというか、え、怖……みたいな手触りを感じたのだ。




