4. 伯楽相馬
言われる前に粛々と雑用をこなしていると、翠おいでと琴音に呼ばれた。この人は声だけは甘くて優しい人だなぁと翠は何言われんだ?と身構えた。
「お呼びでしょうか」
「今日はね、いつもと違うことを頼むわ」
琴音は張り付いた笑顔を浮かべていた。これは先回りがバレて~らとやましい心があった翠は背中に変な汗が流れた。あからさま過ぎたな、もう少しあなたのために頑張ってます感を出した方がいいのだろうか、そういうのは向いてないんだよなぁと翠は微調整を検討した。
「この前、鈴蘭家の優華さんが新しく妃に来たでしょう?それで、梅家がこれを送って来たの。ついでに、槙子さんの分もあるから渡して来てちょうだい」
「はぁ……」
そこに置いてあるからと言い放って、琴音は立ち去った。翠は途方に暮れていた。ユウカとマキコって誰だ?話の流れ的に妃の人だよなぁ、たしか、ユウカは養成所の礼儀作法的な授業で聞いたことのある名前なんだが……と翠は困り果てた。翠は短期記憶に優れているが、興味のないことはすぐに忘れる人間なのだ。
「翠、大丈夫?」
利子が戸惑っている翠に話しかけて来た。大丈夫ではない。
「えっと、槙子様と優華様とはどのような方でしょうか?」
「えぇ?」
そんなこともわからないの?みたいな顔を一瞬された気がしたが、すぐに切り替えて必要事項を教えてくれた。
「槙子様は陛下の寵姫、実質の王妃と目されている方で、優華様は名門の鈴蘭家出身の高貴なお方だから、失礼のないようにね。あと、他には名門の葵家の妃様がいるわよ」
「はい、わかりました」
ありがとう利子さんと翠は素直に感謝した。では、マキコ→ユウカの順番で行こう。翠はサッと行ってサッと戻りたいなと面倒事を迅速に終わらせようと思った。
「琴音様からです」
無事に翠は槙子の宮に着いて、預けられていた贈り物、仏像を渡した。なぜ仏像なのかは知らないが、なんとも信心深いことだと翠は思った。この女、神仏にはとんと縁のない人間である。神も仏もいないと思っているわけではないが、見えないものは見えないからねと興味がないのだ。
「ありがとう、琴音様によろしくお伝えください」
槙子は翠を気遣うように笑いかけた。穏やかで優しそうな人だなと多くの人が思うような雰囲気がある。派手派手しい感じや驕り高ぶった風もないが、さすが寵姫、まだ日が高いにも関わらず、国王陛下が隣に寄り添っていた。金髪、金眼の美中年だなぁ、あの男には特に不敬がないようにすればいいんだなと翠は思った。
「かしこまりました。失礼いたします」
お邪魔しました~と翠は長居は無用とばかりに足早に去ろうとした。
「待て」
「はい」
うわっ、国王に話しかけられたよ、やだなー怖いなーと翠は思った。
「琴音は元気か?」
「はい、お変わりなく過ごしていらっしゃいます」
「そうか……。あの宮に配属される者は皆すぐに辞めると聞いている。お前はどうだ?」
人材の墓場は国王の耳に届くほどの噂だったのかと翠は拡散力がすごいとしみじみ思った。
「私は長く琴音様の支えになりたいと思っております」
ひとまず年季が明けるまでか、指輪の件が片付くまでは琴音の元にいる気であった。そのように答える翠を国王は眉を寄せながら眺めた。
「……年は?」
「十七です」
何を聞かれているんだと翠は疑問に思った。変なことは言っていないはずだ。問題があるとすれば、早くここから立ち去りたい気持ちが滲み出ているかもしれないくらいだ。
「この前入ったばかりか……」
王宮で働く者は十七歳以上でなければならないという決まりがある。しかし、年齢を誤魔化している者もそれなりにいる。翠も王宮に行こうと思った時が十七歳未満であっても、歳くらいちょろまかせばいいじゃないという思考の持ち主である。
「お前、本当に新人か?」
「陛下、先程からどうなさったのですか?」
槙子は不思議そうに質問した。翠はホントどうしたんですかねと槙子に同調した。
「うーむ、この女、妙に太々しいというか、初々しい感じがないというか……、どう思う?」
「……まだ幼いようですが、落ち着いていて、しっかりした子なのではないでしょうか?」
「だが、朕の前で平常心のままだ」
翠は王様は何が言いたいんだと、次の仕事もあるんだよなぁとダルくなってきた。しかし、次あるんで失礼しますとか言うと、また太々しいだの何だの言われるんだ!私は知っているんだ!と翠は心の中でじたばたしながら、早くここから解放される方法を考えた。
「陛下、私の顔が問題だと思います」
「顔……?」
「はい。太々しく、気に入らない顔で妙だとよく言われるのです……」
太々しいのは生まれつきだ、本当は子鹿のように怯えてますと翠は国王に向かってアピールした。
「そういうことではないのだが……」
うーむと国王は顎に手を当てた。髭がないツルツルの顎である。
「まあよい、名は?」
「翠と申します」
「そうか、琴音によく仕えよ。朕はあの女には嫌われてしまったようだからな」
そうですか、失礼いたしますと翠は部屋から逃げるように退出した。
「槙子、見たか?あれは否定せずに出て行ったぞ」
使えそうなおもちゃを見つけたように国王は笑った。
「……陛下はあの子をどうするおつもりで?」
「案ずるな、朕の寵姫よ。妃にする気は毛頭ない。不向きにも程があろうよ」
槙子は翠の処遇についてきちんと自分に言う気はないのだなと察した。
「あれは阿呆か大器かどちらだろうな」
国王は含みを持った笑みを浮かべた。その隣で槙子は模範の如く穏やかな笑みを湛えた。
槙子は国王が即位してから十年あまり、寵姫として大切に扱われていた。元女官という身分であるが、国王に愛され、王子二人、王女一人を産み、その地位は安泰であろう。
ちなみに、王妃の地位はずっと空席のままである。