終. そうだ!!!!
翠はあー暇だなぁ、やることないなぁと虚無感に襲われている。冷たくなった琴音の傍でうずくまり、立ち上がれなくなった。生来の死んだ目で死化粧に彩られた傷一つない琴音をぼんやり見つめた。辺りには線香の匂いが漂っている。
これは彼女の悪い癖の一つである。大事な人の死に浸り続け、次にやることを見つけるまで動かなくなってしまう。誰が話しかけても碌々反応を見せない。
目を閉じれば琴音の顔が目に浮かぶ。翠と存外に柔らかい声で呼んでくれた。耳をすませばその声がまだ残っている。梅に似た香りが蘇る。
「翠」
面倒見の良い紫苑が声をかけてきた。そういえば、他にも誰かに呼ばれた気がするなと翠はぼんやりとした頭で思い返した。
「翠、せめて何か口に入れてくれ」
翠は乾いた目で紫苑の手元を見た。透明な液体に湯気が立っている。白湯だろうか。
「みんな心配している」
みんな?誰のことだろうかと翠は顔を上げた。
「陛下も槙子様も晶様も元晴も保名も……、そして、私も」
紫苑は必死そうな顔をしていた。翠は仕方なく、白湯を口に運んだ。あたたかさが身体に染み渡った。
「何か食べたい物はあるか?」
紫苑が何か聞いてきたが、翠の頭では処理できなかった。それでも、白湯を口に入れ、頭の靄が薄れてきた。だが、何のために動けばいいのか、翠にはわからなかった。琴音の顔に火傷を負わせた奴の復讐か?それとも、なぜ琴音が自殺に至ったか考えるべきか……。翠は前者に関して、自発的な復讐は趣味ではないと却下した。機会があればやろう。後者については、翠は一つ答えが出ていた。よくわからないが恐らく自分のせいで死んだんだろうなと悟っていた。
「翠、これは食べられるか?……粥だ」
紫苑は滋養がつきそうな粥を差し出してきた。病人食の鏡のような食事だ。事実、自分の状態は病人そのものなのかもしれないと翠は思った。紫苑がそー扱うならそーなのだろう。翠は素直に粥を口に入れた。やけに美味しく感じる。食べ終わると、頭がスッキリした。もしかしたら、お腹が空いて力が出なかったのかもしれない。では、頭がしゃんとしてきたことだし、考えよう。これからどうしようか。琴音のことは一旦置く、この後宮からは出るとして……と翠は頭を巡らした。そして、ある男の言葉を思い出した。「僕のとこ来ない?」とか言っていた気がする。王弟・遮那が翠を戦争に誘っていた。恐らく、桜はまだ咲いていないだろう。
戦死した父のいた地獄、父の最期の景色をしるために、戦争に征く気持ちはあるか?まあ、あるな、興味もある。父は国のために喜んで死んだのか、死にたくないと思いながら死んだのか、何も考えられなかったのか……。それをしるために、戦場に行く。いい暇つぶしだ。悪くない。翠は考えがまとまると、急にお腹が空いてきた。
「鯛のお造りが食べたいです」
翠の想定よりも掠れた声が出た。久しぶりに声を出したから仕方ない。
「……そうか!持ってくる」
翠がいきなり喋り出して紫苑は驚いたようだった。
「もらってきますよ」
翠はふらっと立ち上がった。後宮の厨房にはあるだろう。外を見ると、雨が降っていた。鯛は初めて食べるなぁと翠はポツポツと冷たい雨を頬に感じながら、ゆらりゆらりと歩き始めた。
「傘はどうした」
紫苑がさっと駆け寄って、翠を傘に入れた。
「ありがとうございます」
翠はいつものようににっこりと笑った。翠は紫苑と上質な鯛のお造りを食べた。美味しかった。
そのおよそ一週間後、翠は戦争に行った。翠が再び王宮に戻るのは、それから三年後のことだった。




