小話3. 緑の目の怪物
美登は中の中くらいの貴族の生まれだ。家の格はまずまずだったが、何分お金がなかった。それでも、できることを頑張ろうと、芸事に励み、兄がやっていた弓と刀を見様見真似でやった。そんな時に手を差し伸べてくれたのが鈴蘭家だった。
「近いうちに私の娘が後宮に入るんだ。彼女の助けになってほしい」
鈴蘭家の当主・東弥はそう言うと美登の家にお金を渡した。何でも、貴族令嬢で芸事だけではなく、武芸もできることは特別で、是非力を貸してほしいらしい。美登の家族は喜んで、是非助けになってやりなさいと咽び泣いていた。美登は初めて自分の努力が認められた気分になり、嬉しかった。
「あなたが美登ね」
そんなこんなで、鈴蘭家の御令嬢、優華に出会った。緑の目が大きく、キラキラと輝いて、可憐な方だった。少し話しただけで、この人の役に立ちたいと思わせる不思議な力があった。
「あなたには養成所に入ってほしいの!」
どうしてあんなところにと美登の持つ貴族のプライドが不満げな顔をした。養成所は主に平民が王宮で働くために、弓や刀、礼儀作法などを学ぶところだ。自分はそこで学ぶ必要はないと感じた。
「わたくしね、一番優秀な方を護衛にしたいのよ」
どうしてですかと美登は尋ねた。
「だって、王妃様の隣には最優がふさわしいでしょう?」
優華は無邪気に笑っていた。美登はならばやってみようと思った。優華の願いは何でも叶えてあげたかった。それに、養成所で一番になるなんて簡単なことだろうと思った。
だが、その考えは甘かった。化け物みたいに何でもこなす奴がいたのだ。名は翠といった。その名の通り、緑色の目をしていた。美登は翠のことを観察した。彼女は自分よりも刀も座学も、美登の得意な弓さえも凌駕しているのではないかと感じた。そして、翠は微塵も美登に興味がないようなどろんとした目をしていた。美登はあんな平民には負けられないと必死で努力したが、翠には届かないまま、最終試験の時期を迎えた。
美登はどんな手を使ってでも一番になりたかった。だから、何でもすることにした。翠に誤った座学の試験範囲を伝えた。それでも、美登と並ぶ成績を打ち出した。翠は何食わぬ顔をしていた。美登は手段を選んでられなかった。弓の試験の前に翠の矢羽をぼろぼろにした。狙い通り、翠は本来の実力を発揮できなかった。
そして、トーナメント形式の刀の試験。準決勝まで翠は上がってきた。準決勝の時、翠の相手の刀を真剣に入れ替えた。それでも、翠は勝ち、思ったよりも怪我は負わなかった。しかし、手当の間に、翠の刀を一振りで折れるような木刀にすり替えることができた。これで決勝は負けるだろう。つまりは、私の勝ちだと美登は自信満々で挑んだ。だが、負けた。手も足も出なかった。格の違いを思い知らされた。美登はすっかり腰が抜けてしまった。
「大丈夫?」
翠は座り込んだ美登に向かってにっこり笑いながら手を差し伸べてきた。
「もうこんな真似しないでね」
翠は美登をグイッと引っ張り上げると、こそっと耳打ちした。この女は全てわかっているんだと彼女の笑顔が悍ましく感じた。
それでも、最終試験の結果は一位だったため、美登は安堵した。優華の護衛になることが美登にとって至上の喜びだった。
「美登!あなたがわたくしの護衛なのね!嬉しいわ」
優華は飛び上がって喜んでくれた。翠はどこぞの門番の下っ端に配属されたらしい。よかったと美登がほっとしたのも束の間。翠は鈴蘭家と同格の梅家の妃、琴音の護衛になっていた。噂によると、琴音がわがまま過ぎて、彼女の護衛が頻繁に辞めるらしい。だから、翠もすぐやめるのではないかと思ったが、やはり、しぶとかった。そんなこんなで、翠が琴音の遣いとして、新米妃の優華によくわからない物を携えて、鈴蘭ノ宮やって来た。
「美登さん」
翠は美登に向かって他人行儀に笑っていた。それが心底恐ろしかった。
それから、しばらくして、何を思い立ったか、優華は妃の一人、八重の元を訪れた。優華の可憐さにほだされ、少し話すだけで八重は警戒心を解いていた。
「浮かない顔していますのね……。何か悩み事でも?」
そして、優華は心底心配するように八重の顔を覗き込んだ。
「賭弓の代表をうちから出せなくなってしまって……」
「もしかして、琴音様がいなくなればあなたが梅家の代表を選べるお立場になれるんじゃないかしら!」
優華はいいことを思いついたというように手を叩いた。
「え?」
八重にとってその案は青天の霹靂だったようだ。
「ごめんなさい、わたくし、変なこと言いました?」
優華は緑の目を瞬かせながら、こてんと首を傾げて笑いかけた。それから、八重は魔がさしたように、あの手この手でよからぬことをし始めた。だが、それは翠のせいで失敗に終わったようだった。
夏のある時、優華はふわふわな茶髪がよく似合う綺麗な緑色の服を着て、はちすの池に向かった。
「琴音様がいるみたいなの!行きましょう!」
そんなこんなでなぜか優華は翠とお茶をすることになっていた。優華が翠もわたくしの護衛になればよかったのにと言った時は、頭から冷や水を浴びせられた気分だった。
「その色は恐らく花緑青です。染料がヒ素に由来すると耳にしたことがありますよ」
お茶会に飽きた翠が優華にテキトーなこと言っている感じて、美登は憤慨したが、結局、翠の言っていることは正しかった。
「これが身体に良くないものだって、翠さんは見抜けたのに、ね」
困ったわね……と美登は優華に笑いかけられた。美登は翠より自分の優秀さを示したくなった。
優華と二人で夜のお散歩をしていると、槙子の女官二人に遭遇した。
「こんな夜に何をしているの?」
優華は不思議そうに聞いた。美登も夜、人気のないところで何をしているのだと二人の様子を探った。
「それって……、槙子様の腕輪じゃなくて?」
優華が驚いたように手を口に当てた。
「もしかして、盗んだの?槙子さんに伝えないと!」
「それだけはお許しください!」
女官二人は必死に頼み込んだ。
「わかったわ……」
優しい優華はその願いを聞き入れた。
「じゃあ、その代わりに、お願いがあるの。わたくし、この前、はちすの池に大事なものを落としてしまったの、拾ってきてくれないかしら?」
優華は可憐に笑いかけた。女官の内一人が池に入って拾いに行くことになった。
「もう少し奥よ!」
優華は女官を池の奥へと促した。美登は何を落としたのだろうかと心配になった。月が雲に隠れた暗い夜の池で探し物が見つかるだろうかと不思議に感じた。美登は目を凝らしながら見ていると、女官が暗い水の中に消えた。バシャバシャと音が聞こえる。
「成瀬……!」
もう一人の女官がけったいな声を上げた。しばらくして、水音は聞こえなくなった。
「あら?いなくなってしまったわ……」
優華はこてんと首を傾げた。
「じゃあ、あなたが拾ってきてくれる?」
「ヒッ……」
「嫌なら違うお願いがあるわ」
優華はもしあの女官が発見されたら、彼女の実家が貧しいため死んだと伝えほしいとお願いした。
「これで陛下も槙子さんがひどい方だってお気づきになるわよね、美登!」
優華は可憐に笑っていた。緑の目がらんらんと光っている。美登ははい、そうですねと肯定するしかなかった。優華のことは全て肯定しなければいけない気がした。そして、自分もあの女官のように見捨てられたくなかった。
だが、優華の目論見は翠によって失敗したようだった。
「どうして槙子さんがいい人なんて持ち上げられているのよ!本当は妃に相応しくないってみんな知らしめてやるんだから!」
優華は子どものように地団太を踏んだ。
そして、優華は琴音の琴を聞きたいと言って、琴の演奏会を主催した。そこで、美登があることを提案した。
「素敵な考えね!」
美登は優華が自分の考えに賛同してくれたのが嬉しかった。だが、その喜びも束の間だった。会が終わると、優華は少しむすっとしていた。
「槙子さん、あんなに琴を弾けたなんて知らなかったわ……、紫苑様に教わっていたなんて」
不満そうにブツブツつぶやいている。
「それより……、翠さんも上手だったなぁ、琴音さんに教わっていたのかしら」
そんな話は美登の耳に届いていなかった。翠は平民だから琴を弾けないと思っていた。梅家の護衛なのに弾けないと恥をかかせようと思ったのに!鼻を明かそうと思ったのに!自分の方が優秀なんだと思い知らせたかったのに!と美登は顔を赤くした。
「ねえ、美登」
緑の目がこちらを見つめた。
「養成所で本当にあなたが一番だったの?」
美登は必死にそうだと訴えた。
「翠さんの方がいいわ」
優華はつんとそっぽを向いた。美登はまだ賭弓があると優華に告げた。自分は弓が得意だからそこで挽回させてくれと縋りついた。
「そう……、信じているわ、美登!」
優華はにっこり美登に笑いかけた。
「そういえば、凛さん妊娠しているのよね……」
優華は意味深に笑った。美登は王妃になりたい優華のために何とかしなければと思い、考えた。そして、凛の女官になっていた養成所の同期に嘘を吹き込んだ。七輪は密室で使った方がよく温まるのよと。
そして、賭弓の日を迎えた。前回のように翠の矢に細工したが、なぜか新しい矢で翠は弓を引いていた。美登は動揺した。全く、弓に集中できなかった。
「翠さんが勝ったわね……」
優華は悲しそうに言った。信頼を裏切ってしまって申し訳ないと思った。自分よりも何でもできる翠が心底妬ましかった。そして、美登は見捨てられたくないという恐怖に縛られた。
「陛下はあなたがすぐに外してがっかりしてらしたわ……」
優華は本当にあなたにはがっかりしたと機嫌を悪くしていたが、その後、凛がお腹の子共々亡くなったという報せが届いた。共にいた女官、美登の養成所の同期の子も死んだらしい。
「まあ、可哀想!」
優華の機嫌が見る見るうちに戻っていった。天は味方したと美登は安堵した。
しかし、悪事は明るみになり、優華共々美登も死んでしまうことになった。美登は優華だけでも助けてくれと縋ろうと思ったが、翠の無関心な緑色の目が身体を硬直させた。狼の目のように鋭く、冷たかった。
優華が涙ながらに陛下に訴えている。可憐な緑の目からぽたりぽたりと大粒の涙を流していた。どんなことをしても優華は可憐なままだった。




