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43. 花に嵐

 琴音の怪我は順調に快復に向かっているらしい。感染症の心配もないようだ。包帯の面積も減り、以前は顔の上半分が包帯によって覆われていたが、今は左目付近に止まっている。右目で物を見ることができるようになったので、翠があれやこれや何でもする必要はなくなった。そして、相変わらず、琴音は翠には絶対に包帯の下は見せなかった。

「翠、ちょっといいかしら」

 いつも通り、琴音といると、突然利子に呼ばれた。

「そこで用件お願いしまーす!!」

 大したことない用で呼ばないでほしいなと思いながら、扉越しに翠は叫んだ。

「うるさい」

 琴音に出来の悪い子どもを叱るようにキッと注意された。

「……すみません」

 翠は仕方なく、琴音の部屋からにゅるっと出た。

「何ですか?」

「陛下がお呼びよ」

「琴音様といるのでお断りしてください」

 大したことないじゃんと翠は思った。

「国王陛下が呼んでいるのよ!」

「利子さんの腕の見せ所ですね」

 頑張って断ってこいと翠は親指を立てた。

「翠、行ってきなさい」

 部屋から琴音の声が聞こえた。

「でも……」

 翠は部屋に戻り、琴音の様子を窺った。どういうつもりで言っているのだろうか。

「わたくしに我儘という烙印を押すつもりかしら?」

 琴音は高圧的に笑っている。相変わらず美しい人だった。それにしても、その烙印はもう手遅れでは?と翠は首を傾げた。だが、そこまで言うなら行けってことなんだろうなと翠は悟った。ずっと、翠は琴音の傍にいた。一人になりたい時もあるのだろう。

「滅相もありません。ついでに何か厨房からもらってきましょうか?」

「……鯛のお造りが食べたいわ」

 そろそろ鯛の季節だっけと翠は首を傾げた。琴音が怪我をしてから時間感覚がよくわからなくなっている。

「わかりました。いってきますね」

「……いってらっしゃい」

 琴音は底抜けに穏やかな声で翠を見送った。


 王様がいるらしい安養宮に翠はそれなりに急いで向かった。そこには、王様の他に、槙子と晶、優華、そして、紫苑の姿があった。

「琴音は大丈夫か?」

 いつ見てもキンキラキンの王様が心配そうに尋ねた。

「お怪我は快復傾向にあると医官から聞いております」

「そうか……」

 王様はふっと目を伏せたのも束の間、すぐに顔を上げた。切り替えが早い。

「朕がお前たちを集めたのは紫苑からある報告を聞いたからだ」

「槙子様の女官がはちすの池で発見された件と、凛様が亡くなった件、この二つの事柄についてご報告があります」

 ゆっくりと紫苑は話した。聞き取りやすい声だ。この感じだと、八重の件と琴音の火傷の件は証拠不十分か、一連の事件とは無関係なのだろう。

「いずれも鈴蘭家の関与がありました」

「えっ!」

 優華が驚いたように声を上げた。自分は何も知らないと全身で訴えている。その様子も可憐であった。

「まず、はちすの池の件ですが、槙子様の女官、成瀬が水死体で発見されました。実は亡くなった女官と加美子という女官が槙子様の財産を横領していたことがわかり、我々が詳しく調べようとすると、加美子は殺されてしました。そして、その下手人は鈴蘭家の手の者と判明しました」

 翠は誰が加美子を殺したのか分かったのね、すごいと思った。だが、それはそれとして、自分はなぜ呼ばれたのか、理解できなかった。帰りたくなってきた。……帰ればよかった。

「そんなこと、しらないわ」

 優華は大きな目を瞬かせた。

「あなたのお父君、鈴蘭家当主の東弥(とうや)殿が御命令なさったようです」

 ああ、狸みたいな人ねと翠は紫苑が言っていたことを思い返した。

「お父様が?」

 優華は紫苑に涙でうるうるしている瞳を向けたが、紫苑は無視して話を進めた。

「次に、凛様が七輪の不適切使用により亡くなった件ですが、換気の悪い密閉空間で七輪を使用するように教えた者は、優華様の護衛の美登だそうです」

 そうだろうなと翠は思った。凛の部屋で倒れていた女官はどこかで見たことがあると思ったが、そういえば、養成所の同期だった。たしか、美登と比較的仲が良かった気がする。

「美登、どうしてそんなことをしたの?」

 優華は無垢な顔をしている。ケガレのない透明さを感じさせる。

「私はそんなことをしていません!あの女と聞き間違えたのではありませんか?」

 美登はビシッと翠を指差した。

「私……?」

 突然のご指名に翠は片眉を上げた。

「そうよ!凛様を殺したのも、鈴蘭家に罪をなすりつけようとしているのも、全てあなたの仕業よ」

「……どうしてそう思うのですかね?美登さん」

「梅家と……、紫苑様と通謀しているのよ!!」

「何のために?」

 翠は偉そーに足を肩幅に開き、腕を組んだ。

「琴音様のために決まっているでしょ!!」

 申し訳ないが、翠は誰かのために動けるような人間ではない。自分がやりたいなぁと思わなければ行動しない奴だ。

「……あの女官は美登に教わったと言っていた、彼女ではなくな」

 紫苑はちょっと怒っているような声音で言った。しらばっくれている美登が気に入らないようだ。

「フフッ、お聞き間違えになったのでは?今際の際の言葉でしょうし、美登と翠を間違えるのも無理はありませんよ」

 澄ました顔をしている紫苑を美登は鼻で笑った。美登は凛の女官、そして、養成所のお友達だった彼女は死んだと思っているらしい。

「では、本人に聞いてみようか?」

「え?」

 美登はきょとんと間抜けな顔を晒した。

「……どういうわけか噂では死んだことになっているが、彼女は一命を取り留めた。今は安静が必要だが、美登と翠の確認くらいはできる」

 いけしゃあしゃと紫苑は宣った。存外、腹黒さもあるなと翠は感心した。

「美登、どうしてそんなことを?」

「…………」

 美登は震えるばかりで優華に答えなかった。

「お父様のご命令?」

 そうよね?と美登が肯定すると優華は信じて疑わないように見えた。

「すべてお前のためだろうな」

 王様が美登と優華の会話に口を挟んだ。げんなりした顔をしている。

「え?わたくしの?」

 きょとんと汚れのない純真な顔を晒した。

「お前の忠実な部下だろう……?」

「でも……、わたくしはそんな命令しておりません!」

「……優華様は関係ありません。すべて私が悪いのです!」

 美登が跪いて、罪を告白した。犯してもいない罪まで背負おうとしている。どうして、優華のためにそこまでできるのかなと翠は疑問に思った。

「優華様」

 翠が口を開いた。こっちは琴音を置いて来てんだわ、好き勝手喋らせろという気持ちだった。

「亡くなった槙子様の女官のことをどう思っていらっしゃいますか?」

「痛ましいことよ……、あんな暗い水の中で」

 優華は芝居がかったように顔を下に向けた。

「凛様のことはどう思っていらっしゃる?」

「……お気の毒にと」

 優華は眉を寄せ、悲しげな顔をしている。

「あなたの護衛、美登のことは?」

「不憫に思うわ……」

 これは誰の手にも負えないなと翠は諦めた。どんなに罪を犯しても、自分のためにどんなに人が犠牲になろうとも、自分は関係ないと純真無垢に笑っている。周りの人間を養分に美しく花開こうとしている悍ましさを感じた。

「優華様は槙子様の女官が亡くなった時の状況をご存知なのですね」

 紫苑が優華の方に目を遣った。凍てつくように冷たい目線だ。

「え……?」

「優華様、あそこの、はちすのお池の日当たりは実にいい。お茶会に適した場所でしたね。夜か、天気が悪い時でないと暗くはなりませんよ」

 翠はにっこり笑って茶々を入れた。

「陛下、鈴蘭家当主の東弥殿、優華様、そして、美登らは槙子様の風聞を貶めようとし、果てには、凛様と御子を亡き者としました。何卒公正なお裁きを!」

 紫苑は優華と話しても仕方ないと思ったのだろう。王様に裁きを求めた。

「……美登とやらは死罪、鈴蘭家当主たる東弥を鬼魁ヶ島(きかいがしま)へ流罪」

 王様一人で罪を決められるのはすごいなぁと翠はぼんやり思った。鈴蘭家という格式のある家を裁けるのは王様しかいないのだろう。大変なことだ。

「そして、優華」

「陛下!見捨てないでくださいまし!」

 優華はわっと王様に駆け寄り、許しを乞うように足にしがみついた。

「どうしてそんなに冷たい目で……。わたくしを愛してくださったのではないのですか?」

 優華はほろほろと泣いている。その様も不気味なほどに可憐だった。

「わたくしを王妃にしてくださるのではなかったのですか?」

「そのような約束はしていない!」

 王様は大きな声できっぱりと断じた。

「槙子さんを王妃になさっていないのは……、このわたくしがいるからではありませんか?」

 優華は恍惚そうに王様を見つめた。

「断じて違う!朕がお前にしてやれるのは王妃の座に据えることではない」

「え?」

 きょとんと間抜けな顔を優華は晒した。

「死を賜わらせてやる」

「そ、そんな……」

 力なくうなだれた優華は警備の者たちによってどこかに連れてかれた。もうお目にかかることはないだろう。さようなら、優華様、そして、美登さん。残念なことだ。

「陛下、優華さんとそのようなお約束をしていらしたのですか?」

 槙子は淑やかに笑いかけた。

「してない!してないからな!」

 焦るように、慌てるように王様は槙子の宮から出て行った。

「あれはお酒でご記憶にないのよ」

 槙子は鼻頭を指で押さえて、ため息をついた。

「晶さん、少しいいかしら?」

「何かしら……?」

 晶は憔悴していた。親しかった凛が死んだばかりだから当然だろう。それでも、凛と背筋を伸ばしている姿は胸を打つものがあった。

「わたくしはあなたとそして陛下との御子を傷つける気はないわ」

「……信じられないわ」

「本当よ。わたくしもそんなことされたくないもの。ですから、もう争いたくはないわ。疑われるのも嫌なの」

「わたくしもたしかに嫌よ……」

 晶は額に手を当てた。心なしかやつれているように見える。

「でも、あなたのことは信じられないわ」

 キッと晶は鋭く槙子を見た。

「では、信じていただけるまでお話ししましょう」

「え?」

「時間は有り余っているでしょう?」

 槙子は少々皮肉気に笑った。

「……そうね」

「まずは、凛さんのお話を聞きたいわ」

「わかったわ」

 晶はフッと毒気を抜くように笑った。二人の話はまとまったようだ、ぜひ仲良くしてくれと翠は満足そうに笑った。翠は何様のつもりなのだろうか。

「翠さん!至急、梅ノ宮に!」

 槙子のところの女官が慌ただしく翠を呼んだ。

「梅ノ宮?」

 翠ははてな?聞きなれないなと首を傾げた。

「君のいる宮だろう?」

 紫苑が呆れたように息を吐いた。

「わ、忘れていたわけではありませんからね」

 琴音の宮だと思っているから、梅ノ宮などと言われてもピンとこないだけである。鯛のお造りは後で持ってこようと、ひとまず翠は急いで琴音の元に戻った。でも、遅かった。どんなに急いでも琴音にとっては遅いらしい。

 琴音は自室で首を吊っていた。




















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