40. 何事も使い方には御用心
翠はてくてく歩いて凛の宮に向かった。
「槙子様が様子を見に行けと言われたので来ました」
「……あなた、琴音様の護衛でしょう?」
そういうあなたは凛の護衛だなと翠は心の中で呟いた。
「そうですが……、流れで槙子様に頼まれたんですよ」
翠はにっこり笑って下手に出た。それにしても、琴音のとこの人って顔が割れているとは思わなかったなと驚いた。服装も全然違うのになあと不思議に思っているが、翠はあの琴音と上手くやれる護衛としても名を馳せているのだ。
「……で、でもダメよ。凛様はおやすみになっているから」
凛の護衛は辿々しく言った。
「お加減は?」
「心配ないと槙子様や琴音様にお伝えしといて」
「はい」
はいとは言いつつ、翠は凛に直接会えないのは不安だと感じた。
「いつからおやすみになっているんですか?」
翠はもう少しだけ話を続けることにした。
「朝に一度起きて……、それからね」
今は昼過ぎ、お昼寝?にしては長いなと翠は思った。
「長くないですか?様子を見に行った方がいいと思いますよ」
翠はにっこりと笑った。老若男女言うことを聞かざるを得ない圧を感じさせる笑みである。
「あ、あたしもそろそろ行こうと思っていたのよ!」
「では、私も行きますよ。構いませんね」
ゴゴゴゴと圧力を感じさせる笑みである。
「わかったわよ!でも、あたしより先に行かないでね!」
「もちろん」
交渉の末、凛に会えそうだと翠は安堵した。護衛の後ろにピタリと付いていき、凛の部屋の扉を開けた。
「ちょっとどうしたの?」
すると、女官が一人、床に倒れていた。凛は寝台に横になっている。翠はこれはやばいなとささっと口元を覆った。窓や扉が閉め切られた空間で七輪が使用されていたのだ。
「早く凛様とその人をここから出して」
この部屋は小さい窓しかない。換気はできなさそうだ。それにしても、密室における七輪の使用はあまりよろしくない。よく使うはずであろうに知らないのだろうか。七輪や火鉢などを換気をせずに使用をすると、頭痛、めまい、脱力感、失神などの症状が表れることがあり、最悪の場合は死に至る。
「何で?」
そんな危険性も知らずに、凛の護衛はきょとんとしている。
「いいから!」
翠は使えないなぁと思いながら、凛と倒れている女官二人を抱えて換気されている部屋に運んだ。
「医官を呼んで」
「何でよ?」
「あなたのご主人がぐったりしているからだよ」
女官の方は息をしている。凛の方は……どうだろうかと翠は眉を寄せた。
「わかったわ」
凛の護衛が医官を呼びに行くと、それから、すぐにわたわたと医官がやって来た。彼女は動くと早いようだ。医官が凛の様子をあせあせと診ると、顔面蒼白になった。そして、護衛と医官が凛を別室に運んで行った。
「何があった?」
次いで、紫苑と保名がやって来た。
「凛様が休んでいた部屋で七輪が使われていました。扉も窓も閉め切られた状態で」
「なに……!」
紫苑は密室での七輪の使用の危険性を知っているようだ。
「凛様は……、御子のこともあるので、医官が別室で診ています」
「この女官は?」
「脈はありますよ」
そして、息もある。さっき手早くだが確認した。すぐに、医者に診せた方がいいが、恐らく、この女官は命に別条はないだろうと翠は感じた。
「紫苑様、槙子様の女官みたいに二の舞は嫌ですよね?」
翠ははちすの池の件を思い出していた。はちすの池に水死体が上がった。どうして、彼女は、成瀬は死んだのか。成瀬と共謀して槙子のお金を横領していた加美子が死んでしまったせいで、その件は有耶無耶になってしまった。同じことは繰り返したくないものだ。
「そうだな。匿っておく」
紫苑がそう言うと、保名が凛の女官を抱え、どこかに運んで行った。阿吽の呼吸である。あの女官を匿う理由は紫苑達がなんとかするだろう。だって、梅家ですもの。
「君はなぜここに?」
残った紫苑は翠に状況説明を促した。
「ひょんなことから槙子様に凛様の様子を見るように言われてここに来ました。凛様の護衛にご様子を聞くと、長い時間、起きてこないらしいと。で、私も一緒に様子を見に行くと、凛様は寝台に臥せていましたが、床に女官が倒れていました」
「そうか……、何か気になることはあるか?」
「さあ……、何で今になって七輪で事故ったのかくらいですかね」
翠はもう冬も真っ只中、しかも、凛にとって後宮で迎える冬は初めてではない。何度も七輪を使用したことがあるだろうに。それでも起きるのが不慮の事故なのかなと翠は首を傾げた。幸運にも、国王の子どもを宿しているにもかかわらず、不運なことだ。
「では、なぜあの女官が鍵だと思った?」
保名が運んでいった女官が何かを知っていると翠は考えている。恐らく、紫苑も同様だろう。
「仮にこれが事件ならば、誰かが七輪を密室で使うよう仕向けた。それが明るみになりたくないならば、殺すしかない。死人に口無しですね。ですから、あの女官に入れ知恵をするが最適解ですよ」
「そうだな……」
紫苑は深く頷いた。そういえば、翠はあの女官の顔はどっかで見たなぁと記憶を探っていた。直近半年に見た記憶はないな、それよりも前か、思い出すのが一苦労だ。
「……常々気になっていたのだが、君はなぜ王宮で働こうと思ったのだ?」
紫苑はやけに真剣な顔をしている。
「なぜそんなことを聞くんですか?」
「君は王宮で誰かに仕えるような人ではないと思ってね」
たしかになと翠は下を向いた。
「……大事な人が死にましてね。……だから、そこから離れたくなったんです」
翠は目を細めて、自嘲気味に口角を上げた。佐知子の殺風景な部屋には思い出が多すぎた。
「最近になって思い出しても、懐かしめるようになりましたよ」
「そうか……」
紫苑はただ相槌を打った。翠にとって、うんうんとどんな話でも聞いてくれる存在はありがったかった。
「凛様の様子でも見に行きます?」
翠は話を戻した。
「……女官の脈は確認したそうだが、凛様はどうだった?」
「医官でもないので確実なことはわかりませんよ」
「君はどう思った?」
紫苑はいいから答えなさいと顎をしゃくった。
「……脈も息もありませんでしたよ」
「わかった」
紫苑は凛の様子を見ずにどこかに行った。そっちは国王がいるところだから、何か報告をしに行くのだろう。翠ももうやれることはないなと思ったので、琴音の宮に帰った。賭弓、素晴らしかったわと珍しく率直に琴音に褒められたが、嬉しい気持ちにはどうしてもなれなかった。
その日の夜に、凛はお腹の子共々亡くなったという報せが届いた。
つまりは、一酸化炭素中毒。




