37. 人は都合の良いことを抽出する生き物
翠は手が空いたので琴を弾くことにした。別に、嫌々弾いているわけでは決してない。しかし、思わぬ弊害があったことも事実だ。それは、今までは翠はどこをほっつき回っているかわからない存在だったが、琴の音で翠がどこにいるか丸わかりになり、仕事を回されることが増えたのだ。琴音から頼まれるのは構わないが、利子らにそれはあなたがやるべきだよねみたいなものも頼まれて、断るのが億劫だ。
心が荒んできた、いけない、綺麗なものを見て心を落ち着かせようと翠は琴音の花壇の方を見遣った。冬で咲いている花は少ないが、椿の他に小さめの黄色い花が咲いていた。香りがほのかに漂っている。あれは蝋梅というらしい。とても良い匂いがする。知り合いのくじらの店の香りと似ているような気がする。
「翠、雑になっているわよ」
翠は琴をちゃんちゃらちゃんと弾いていると琴音に声を掛けられた。うっかり何か考えながら琴を弾いていると音ですぐバレてしまう。きちんと琴と向き合わなければの懈怠の心が表れてしまうのだ。
「賭弓の時の服を決めるわ」
翠の区切りの良いところで琴音は言った。
「ありがとうございます」
翠は以前に琴音からもらったおめかし用の服は夏物の風通しの良いものだったため、さすがに一月だとちょっと寒いかもなと懸念していた。
「何か希望はあるかしら?」
琴音は機嫌良さげに聞いた。
「あったかいものがいいです」
「そう……」
琴音は少しだけ眉を寄せた。
「色は?」
「黒がいいです」
「あなた黒しか持ってないじゃない。……他の色にしなさい」
琴音は仕方ない子とでも言うように叱った。若干呆れているようにも見える。
「はぁ……、濃い目の紫とか……」
他の色ならば黒に近い色がいいなぁと翠は気軽に口に出した。
「む・ら・さ・き?」
琴音の中で絶対にダメな色、ドボンのようだ。紫が大嫌いなのかなと翠は首を傾げた。
「……濃い目の色がいいんです。群青とか焦げ茶とか灰色とか……」
翠は別に紫ではなくてもいいので他の色をランダムにつらつらと続けた。赤は琴音の色だから避けておこう。また、緑色は勘弁だが、わざわざ嫌いな色を伝えるのもなんだしな~、この前もらった首飾りも昼は緑色だったしと翠なりに気を遣った。
「……もういいわ。模様は?」
「琴音様からいただいた服の鳥みたいな模様、あれは綺麗で好きです」
あの服はかっこよくて見たこともない鳥がバーンとあって素敵だったなと翠は思い返した。
「あれは鳳凰をあしらったものなのよ……」
ついに、琴音は頭を抱え出した。翠はどうしたのだろうと不思議そうである。琴音が戸惑っているのは翠が想像以上にオシャレに興味がないからである。模様には意味や季節があるのに……と琴音は呆れた。このままでは、この前の服のあったかい版でもいいと言いそうである。
「……わたくしが選んでもいいわね」
「ありがとうございます」
それが一番丸い気がすると翠は思った。ただ、翠の服だからと言ってわざわざ希望を聞く琴音の優しさをありがたいなとは感じた。
「……そういえば、佐知もあまり興味なかったわ」
琴音はポロッとこぼした。遠いところ、ここではないどこかに目を遣っている。
「……そうですか」
思い出してみれば、たしかに佐知子は洒落っ気のない格好をしていたような気がする。単にお金がなかっただけかもしれないが、恐らく自分にお金を使うタイプではなかったのだろう。翠は佐知子の殺風景な部屋を思い出した。必要最低限の物しかない寂しい部屋だった。その中で、琴と三味線が浮いていた。
「あなたは少し似ているわ」
そう言って琴音は立ち去った。もう用は終わりらしい。翠からすると、またこれは事実でもあるが、翠と佐知子はあまり似ていない。見た目も中身もだ。周囲があまり見えていないという共通項はあるが、翠は佐知子ほど繊細でも従順でもない。佐知子は翠ほど覇気がないわけでも、諦めが良いわけでもないのだ。
その後、琴音からあげるわといただいた服には鳥があしらわれていた。この鳥は鶴よ、いいわねと琴音に教えてもらった。鶴の頭の赤色がよく映えている。生地は触り心地がやはりとてもよく、ふわふわと分厚かった。あたたかそうである。そして、服の色は真っ白だった。どうして?と翠は狼狽えた。模様の鳥は採用されたが、濃い目の色は却下か……。翠は色の薄い服をあまり着ないため、汚さないようにしようと妙に緊張した。次いで、これが自分に合うのか不安になった。変な風にならないか、白が異様に似合わない人だったらどうしようと心配になった。だが、琴音からもらったものだから大丈夫だろう、大丈夫なはずだ、大丈夫に違いないと自分を落ち着かせた。




