3. 真の下僕にはなれません
翠が琴音の宮で働き始めてから二週間ほど経った。仕事のコツを掴み、余裕が出てきた頃合いである。
「翠、花壇は?」
「先ほど、水をやりました。桃色の花が咲いてました。琴音様、あれなんですか?」
「……ツツジよ。ウグイスはどうしたの?」
「さっき餌やりました。元気に鳴いてましたよ」
「……今日は暑いわね」
「あおぎますねー」
「…………」
琴音はぷいッと黙り込んでしまった。翠はそこそこの無茶振りじゃ困りませんよ、フフンと心の中で笑った。さすがに顔に出したら怒られる。
「じゃあ、あれ取ってきて」
「アレ?」
「鯛のお造りよ」
決まっているでしょと琴音は得意気に扇をバサっと開いた。知らないよ~と翠は思ったが、今から学習すればいいやと前向きに捉えた。知らないものは知らない、それは仕方のないことであると翠は思っている。
「鯛のお造りがお好きなんですか?」
「ええ、そうよ」
お姫様は違うなと翠は思った。くじらの飲み屋ではすこぶるめでたい日に鯛のお造りモドキが出されていた。本物はさぞ珍重品なんだろう。
翠は指示されたことをこなそうと早速王宮の厨房に向かった。そこは、主に位が高い妃の食事を担当しており、余程のことでない限り、どんな料理でもはいよ~と出してくれる。
「すみませーん、鯛のお造りあります?」
「あ、あの、申し訳ありません。えっと、今、その……、鯛がなくて……」
「……へぇ、そうですか」
アレ、鯛の旬は春とか秋ではなかったか?と翠は鯛がないことに違和感を覚えた。だが、無いというなら仕方ない。なぜ、無いかを考えるのではなく、ならばどうするのかということに思考を割いたほうがよいと翠は切り替えた。
「では、代わりのものないですかねぇ」
「えぇ?」
「それくらいはありますよね。無いなら無いで何とかしてくださいよ。ここは王宮なんでしょ?それすらも出せないなんてねぇ……」
翠は近所のスジモンの真似をした。「金がねェ?無いなら無いなりに代わりのモン用意するとかしてくださいよォ。こちとら、どんだけ待ってると思ってんだ、ああん?」と借金の取り立てをしていたのだ。このアレンジ版である。
「ヒッ……、すみません、すみません!でも、鯛はなくなってしまって……、スズキちゃんならあります!!!!」
「というわけで、スズキちゃんです。ほら、綺麗に飾りつけしていただきましたよ」」
「ふざけているの?」
やっぱりダメかと翠は思った。だが、無いものは無いんだ、諦めてくれと翠は頭をぐるぐる回転させた。
「そうですよね、申し訳ありません。いりませんよね……」
「当たり前でしょう。鯛のお造りすらも持って来れないなんて……、あなた、それでもわたくしに仕える気はあるの?」
琴音は非難の声をつらつらと上げた。いつになくよく喋るなと翠は思った。
「じゃあ、私がいただきますね」
「なんですって……?」
琴音は意表をつかれたようだった。あんなに目を丸くした琴音は見たことがないと翠は思った。
「もったいないですし、美味しいらしいですよ」
琴音様は鯛ちゃんがお好きなようですけど、スズキちゃんも美味しいんですよ!と厨房の子に熱弁されたのだ。翠は一切れ口に運んだ。
「スズキちゃん美味しい~!ほんのり甘くて、すごいぷりぷり~。レモンも合う~」
翠は一生分の食レポ力を使い果たして、琴音にスズキの美味しさをアピールした。これ美味しい、本当に美味しい、もうやばーいと翠は必死である。
「……それ、わたくしのよね」
琴音はわかっているわよねとキッと翠を睨みつけた。翠の頑張りの甲斐あって、琴音はスズキに興味を示したようだ。
「……はぁい、どうぞ」
翠は名残惜しそうに、仕方なさそうに琴音にスズキを手渡した。
琴音は小さい口で味わいながら、スズキをゆっくりと食べ終えた。
「片付けといて」
「はい、……今から鯛探して来ます?」
「お腹いっぱいだから、もういいわ」
これはこれでありだなと思ってくれたんだと翠は計画通りと笑った。美味しそうに食べたら興味示して食べてくれないかなぁ、そんでお腹いっぱいになって鯛のこと諦めてくれないかなぁという即席で雑な計画である。スズキが本当に美味しくて助かったと翠は厨房の子に心の中で感謝した。
翠はどうやらここで何とかやっていけそうだなと確信に近いものを感じた。無茶な命令に翻弄されることはあるが、いつもの雑用をこなして、琴音の様子を注視していれば、何を頼まれるかわかるし、予想外なことが来てもある程度はコントールできる。先回りと臨機応変な対応を心掛ければサボりタイムも作れそうだと、翠の心に余裕が生まれた。そして、じゃあ、あの指輪の件でも探りますかと本来の目的に立ち戻った。
「翠、大変だったみたいね」
「……ええ、ですが、琴音様がご満足されたようでよかったです」
都合の良い人が話しかけてきたと翠は思った。彼女はこの宮のしっかり者、琴音の信用が厚い利子だ。何か聞くのにおあつらえ向きの人物だ。
「新しい子で二週間も続いたのはあなたが久しぶりよ」
利子は感慨深そうに言った。働き手がいなくならなくて嬉しい気持ちか、部外者がいてうっとうしい気持ちか、翠にはわからなかった。
「ちょっといいですか?聞きたいことがあるんです」
「ええ、いいわよ、なんでも聞いて」
利子は先輩らしく笑顔で快諾した。
「ありがとうございます。琴音様のご実家のことについてなんですけど……」
現在指輪についてわかってることは、なんか高そう、太さ的に男物、梅家関連しかない。これでは誰があの指輪の持ち主で、佐知子の唯一の人かはわからない。情報が少なすぎる。正攻法として、紫苑にこれあなたの?と直接聞くのもありだ。しかし、紫苑に佐知子?誰だ?なんて反応であれば、腹立たしいことこの上ないし、佐知子?知ってるよ、今どうしてる?という返しであっても、佐知子はこの前死にました、なんて答えるのも気まずい。どう転んでも微妙だし、そもそも、佐知子が誰かに本当にもらったのかどうかも確証はない。この指輪、お前が盗んだのかなんて言われて死刑なんて嫌すぎる。あの人はそういう嘘を吐くタイプではないが、もらったということが思い込みの可能性も否めない。
「梅家……?ああ、紫苑様のことね」
利子はむすっとした表情をした。これは面倒な人間をしっしっと邪険にしている顔だと翠は思った。それでも、利子は了承した手前、ちゃんと答えてくれるようだ。できれば梅家の話をしてほしいんだが……。
「紫苑様は文武両道を極められた方で、国王陛下の信頼も厚いの。文官をまとめる師団長の一人に任命されているわ」
それはおおよそ既出の情報です、違うのがほしいと翠は思った。紫苑が何をしているかよりは梅家について知りたいのだ。
「そして、梅家の御当主様の次男のお生まれで、名門梅家の後を継がれる方よ」
おっと、これは新規情報だと翠は水を得た魚のようになった。
「あの、ご長男様は?」
「出家されているわ」
出家!翠は予想外の返しに心の中で、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。これで、遠いところに行った梅家人間男が増えた。きっと、長男は紫苑、琴音から見るに順当に行けば、見事な美坊主のはずだ。世を儚んで出家したみたいな面に違いない。
「だから、いいこと?紫苑様はあなたとは別世界の人間なのよ」
「そっすねー」
翠に念押しするように言い捨てて、利子は立ち去った。それ、いろんな人に言われているような気がするなぁと翠は呑気に思った。やっぱり利子には嫌われたかなと感じだが、些事、忘れよう、知らないふりと切り捨てた。
翠はなぜかよくわからない人に煙たがれ、嫌われることが多々あるのだ。そして、人間関係が翠には理解し難い様で拗れることもよくあった。