35. つまりは孫弟子
琴の催しが終わり、翠は琴音達と一緒に宮に帰ろうと足を向けた。
「翠さん、陛下がお呼びです」
すると、国王のお付きの人に呼び止められた。琴音は自分が巻き込まれないようにサッと遠くに行ってしまった。翠は仕方なく一人でお付きの人に従い、案内された部屋に入ると、国王がどっかりと椅子に座っていた。
「琴音の演奏は実に見事だった。というわけで、褒美だ」
くれてやると国王は赤い琴を指差した。偉そうな人だ、事実偉いのだから当然か?と翠は妙な感覚を覚えた。
「お前も見事だったな。何かやろうと思う。欲する物はあるか?……何でもいいぞ」
翠は王様から欲しい物は今のところないなと困った。佐知子の指輪の持ち主も判明したし、他に願うもの、欲しいものは翠の中になかった。だが、特にありませんと言うのも面倒そうだな、朕がやると言っているのにないとは不届きすぎるとか言われそうだと翠は頭を巡らせた。
「では、私のような者が陛下をご指名した無礼をお許しください」
「それでいいのか」
「はい」
翠がきっぱりそう答えると国王は満面の笑みを浮かべた。大当たりを引きすぎたかもと翠は不安になった。翠は特に印象に残らない感じのいい塩梅を狙いたいのだ。
「ああ、許そう許そう。……紫苑並みに無欲な奴だ」
紫苑は無欲の代名詞のようだ。たしかに、欲とは無縁の清廉な感じがあるなと翠は思った。
「もったいないお言葉です」
「琴音によろしくな」
王様がもう用は終わりと告げた。特に変な無茶振りをされなくてよかったと翠はすたこらさっさと赤い琴を持って、琴音の宮に帰った。
「国王陛下から赤い琴をいただきましたよ」
「ちょっといいかしら」
陛下の琴なんてどうでもいいと言わんばかりに琴音は翠を自室に引っ張り込んだ。二人きりである。何の用だろうかと翠は不思議に感じた。
「弾いて」
琴音は翠がとりあえず机の上に置いた赤い琴を指差した。
「ですが……」
国王から琴音にともらったんだが……と翠は渋った。
「いいから」
琴音は言う事が聞けないのとしびれを切らした。
「……はい」
仕方ない弾こうと翠は諦めた。王様から賜ったものを琴音よりも先に触るのはどうかと思うが、琴音のご機嫌の方が大事だ。翠は先程と同じ曲を弾いた。
「誰に琴を教わったの?」
琴音は静かに問うた。もう、答えが解っている瞳をしている。ある域に入ると、誰が琴を弾いているのか、誰に教わったのか、ちょっとした癖からわかってしまうことがあるらしい。琴音ほどの腕前ならばそうあってもおかしくはない。
「……とある女の人です。佐知子と名乗っていました。私に琴や三味線、読み書きなどを教えてくれました」
翠は思ったよりも佐知子のことを知らないなと目を伏せた。いつ、どこから翠のいた街に来たのか、生まれ、年齢について……、誰かに佐知子のことを説明する情報が翠の中にほとんどない。まあ、人となりはしっているからいいかと翠は切り替えた。知らないものは知らない、仕方のないことだ。
「今、佐知子は何をしているの?」
琴音は翠を真っ直ぐ見つめた。そりゃあ聞くだろうなと翠は腹を括った。伝えるしかないようだ。
「……昨年のちょうど今頃亡くなりました」
秋の終わり、冬の到来を感じる季節に佐知子は死んだ。
「……そう」
琴音はごっそり表情を落としたような顔をした。
「彼女はこの指輪を大事にしていました。唯一の人からいただいたと、嬉しそうに話してくれました」
翠は懐から佐知子の持っていた指輪を取り出した。
「これは琴音様の物ですか?」
「……そうよ」
「お返しします」
翠は琴音の手の平に指輪を置いた。それを琴音はじーっと見つめ、意を決したように立ち上がって、指輪を引き出しにしまった。
「あなたは何のために後宮に来たの?」
そして、翠に再び向き直ると、不思議そうに琴音は聞いた。
「佐知子の唯一の人……、この指輪の持ち主をしるためです」
「どうして?」
「ただ……、しりたかったからです」
翠の知らず知らずのうちに言葉尻が震えた。
「そう……」
琴音は顎に手を当てて、翠を見ながら、何やら考え込み始めた。
「ねぇ、わたくしは佐知子に琴を教えて、佐知子はあなたに琴を教えたのよね……」
しばらくの間、琴音はじっと真剣な顔をしたまま黙っていたが、悠然と口を開いた。
「はぁ……」
いきなり何の話だと翠は首を傾げた。
「もしや……、あなた、わたくしの孫弟子にあたるの?」
「そうなりますかね」
たしかに弟子の弟子みたいなもんだからねと翠は琴音が何を言いたいのかいまいち把握できなかった。
「あんなに下手なのに?」
「そこまで言わないでくださいよ。ちょっと久しぶりに弾いたんですから」
翠は予想外のことを言われたので面を食らった。そして、少々傷ついた。面と向かって下手!と言われるのはさすがの翠でもへこむ。事実かもしれないと思っているだけに、その言葉は翠の心に突き刺さった。
「……最低限はよかったわ」
明らかにしょげた翠をフォローするように琴音は言った。
「どういうことですか?」
「優華の護衛よりも上手かったのよ」
「そうですか……」
翠はそうかなと首を傾げた。
「でも、わたくしの孫弟子とあれば話は違うわ……。下手。……許せない」
そんなに言わなくてもいいじゃん、うわーんと翠はしょげた。
「このわたくしが琴をあげるから、空いた時間は練習に励みなさい」
「えぇ……!」
翠はどうしてと悲しい気持ちになった。
「あなたがふらふらしているのをわたくしが知らないとでも思って?」
琴音は顎を上げて翠を見下した。
「うッ……」
サボりは泳がされていたようだと翠は焦った。琴音は翠の想定よりも翠のことを見ていたらしい。
「わかりました……」
これは言う事を聞かねばならない。さよならサボりライフ、こんにちは琴、これからよろしく。
「そういえば、もう少しで賭弓が近いわね」
「はい、そーですね」
賭弓は新年から十五日経った日に行われる行事である。今は十一月の終わりだから、もう二ヶ月は切ったなと翠は時間の流れのはやさを感じた。
「一番を目指しなさい。いいこと?」
琴音は翠にふっと目を遣った。
「晶様のところには絶対かないませんよ」
たしか、晶は葵家出身、武の家である。弓が上手な人が必ずいるはずだ。そんな人を差し置いて一番は無理ですようと翠は気弱な表情を作った。
「葵家は別枠なのよ」
「え?」
知らなかったそんなこと……と翠は驚いた。要は、葵家・そして葵家に近い家は武において別格なので、別のグループでやるらしい。
「紫苑から聞いてるわ。筋が良いそうね……」
紫苑の奴、余計なことを言いやがってと翠は理不尽な怒りを覚えた。
「絶対に他の家の代表者……、特に、鈴蘭家に負けてはだめよ、いいわね?」
琴音は艶然と笑った。となると、美登には負けられないのかと翠はため息をついた。だ~るっ、め~んどっという気持ちが溢れてきた。
「そんなに対抗意識があったんですね……」
琴音は優華など他家の妃はどうでもいいです、我関せずですだと思っていたので、翠は少々意外に感じた。
「今日の催しを見たでしょう?あなたがもし、琴を弾けなかったらどうなっていたか……。わたくしに恥をかかせる算段だったのよ!」
琴音は珍しく少々大きめな声を出した。恥をかかせられるのは大嫌いなのだろう。たしかに、琴音からしたら、優華にそういう算段があったと見られても仕方ないな、あれはと翠はうんうん頷いた。
「日々精進します」
とりあえず、賭弓で琴音の満足する結果を収められるように、そして、琴音の孫弟子として恥ずかしくないように努力しようと翠は心に決めた。




