33. またいつかと思っても、その日はいつ来るのだろうか
翠は寒いから今日は宮に引き篭って七輪の傍にいようと思っていたが、その予定は琴音によって簡単に覆された。
「翠、あれ食べたいわ」
「あれって何ですか?」
「蟹よ」
「……今からもらってきますね」
というわけで翠は寒い中、後宮の厨房に向かった。どうやら、蟹がおいしい季節になったらしい。琴音だけではなく、この王宮の人たちは季節物を楽しむ趣味?風習?があるようだ。また、季節の先取り が粋だねみたいな考えがあるらしい。
「こんにちはー、蟹あります?」
翠は勝手知ったるように厨房に入った。彼女は今まで秋刀魚や柿をはじめ様々なものをお裾分けしてもらっているのだから、当然なのかもしれない。
「いろんな蟹ちゃんがいますよー」
大小さまざまな蟹ちゃんが生簀に入れられている。元気に動いてあわや逃げ出そうとしている蟹ちゃんもいた。
「琴音様に頼まれて来たんですよ」
自分用ではないと翠はキリッとした顔をした。
「……では、これをどうぞ!最近解禁したばかりなんですよ」
「ありがとうございます」
蟹や秋刀魚などは水産資源の減少を防ぐために禁漁期間が設けられているらしい。厨房の魚介好きの人が言っていた。
「この蟹ちゃんは冬の王様と称されていましてね。鍋にするとおいしいですよ。身もプリップリで蟹味噌も濃厚なんです!」
「そーですか」
厨房の人は蟹ちゃんについていろいろ説明してくれた。いつもありがとう。では、おすすめどおりにと翠は宮の台所で蟹鍋を作った。翠は料理もそれなりにできる。もう一度言うがそれなりにだ。器用な奴である。
「琴音様、できましたよー」
翠はアツアツの鍋を琴音の部屋に運んだ。
「翠、これ」
琴音は当然のように蟹を指差した。
「毒味ですか?」
「……もうしたでしょう」
琴音が顰め面になった。たしかに、ここに持ってくる前、毒とか大丈夫かなと翠が確かめた。はいはいわかりました、剥けってことねと翠は素直に殻を剥いた。足やはさみの付け根の柔らかいところを切って、切り離す。それらを二つに分けて、下の部分から切れ込みを入れる。そして、殻をべろんと取る。
「はい、どうぞ」
やり方を厨房の人に聞いといてよかったと翠はほっとした。初めてにしては手際よくできた。それにしても面倒な作業である。琴音があまり量を食べる人ではなくて良かった。
「おいしいですか?」
「ええ、……あなたにもあげるわ」
「ありがとうございます」
琴音は蟹の足を翠の口元に持ってきた。これも私が剥いた奴なのだと思いながら翠はパクッとありがたくいただいた。
「おいしいですね」
翠は蟹を初めて食べた。淡白な味だ。たしかにプリプリでふんわりしている。
「そういえば、蟹味噌も濃厚って言ってましたよ」
厨房の人が濃厚でおいしい、蟹味噌姫と言っていたことを翠は思い返した。
「わたくしは……いらないわ」
琴音は気が進まないようだ。
「蟹味噌ってどれですかね……」
翠は蟹の胴体?部分をむんずと持ち、甲羅を外した。そこはふんどしと呼ばれているところだ。
「この茶色い奴ですかね……」
すると、茶色いぐちゃぐちゃしたものが中にあった。その蟹の内蔵が蟹味噌である。翠はこぼれないように甲羅に移した。
「そうよ……、多分」
琴音は自信なさげに言った。実際に蟹味噌を見たことがないようだ。
「味噌ってことは味噌汁にできるってことですかね」
「しらないわよ」
「ちょっとやってきますね」
翠はいそいそと台所に行き、蟹味噌汁を作った。普通の味噌を溶かして次に蟹味噌、蟹の足・殻とかをを入れてみる。これでは寂しいからネギを少々と一工夫した。一応二杯持って戻ると、琴音が興味深そうにこちらを見てきた。
「お飲みになりますか?」
「まずは翠が飲みなさい」
「そうですね」
翠は琴音の早くという圧に促され、蟹味噌汁を口に入れた。
「おいしいですよ」
蟹の豊かな風味が広がり、ちょっと苦みがきいてクセになる。身体があったまる。
「どうぞ」
翠の様子を見て安全を確認した琴音がお椀を口に運んだ。
「……悪くないわ」
琴音は猫舌なのもあって、ゆっくり味わって飲んでいる。
「それはよかったです」
満足そうで何よりと翠はにっこり笑った。厨房の人は雑炊にしても美味と言っていたので、またいつか試してみようと翠は考えた。
蟹鍋もひとしきり落ち着いたところで琴音が話を切り出した。
「優華が催し物を開くのよ」
「そうなんですか」
あれだな、槙子の言っていた琴を弾く奴かなと翠の頭の中で情報が結びついた。
「そこで皆で琴を弾くことになったらしいの」
らしいって琴音には無許可なのかよと翠は驚いた。
「琴音様も弾くんですか?」
「ええ……。でも、気が進まないわ」
自分の知らない内に琴を弾くことが決まっているとなれば、気持ちが乗らないのも当たり前だ。あまりいい気分ではないだろう。だが、翠は興味があった。琴音が琴を弾いているところはおろか触れてているところすら見たことがない。どんなもんか翠はしりたかった。
「琴音様は琴がお上手と紫苑様に聞きましたよ。是非聞いてみたいです」
翠は本心を言った。あの紫苑が上手と言った人、そして、恐らく佐知子に琴を教えた人のことがしりたかった。
「そう……?」
「ええ」
翠は強く頷いた。琴音は満更でもなさそうな感じである。この調子であれば弾いてくれるだろうと、翠は楽しみになった。




