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32. できないことは人に聞いた方が早い

 最近、めっきり冷え込み始めてきた。そろそろ七輪を出そうかなと思いながら、翠はふらふら歩いていると、槙子に出会した。女官を二人ほど連れている。あれと翠は違和感を抱いた。もしかして、いつもそばにいる面子は違ったりするのだろうかと女官の顔を見て思った。

「翠、少しいいかしら」

 槙子は穏やかな笑みを湛えている。

「槙子様、どうなさいましたか?」

「話を聞いてほしいのよ」

 そんなこんなで翠は槙子の宮に連れて行かれた。秋刀魚の時はただの槙子であったが、今回は国王の寵妃としての槙子に声を掛けられたと感じた。はちすの池で死んだあの女官の件だろうか?と翠は心当たりを探した。

「翠……、あなたにお願いがあります」

 翠は槙子の宮で二人きりとなった。面倒なことになったぞと片眉を上げた。

「私に琴を教えて……!」

 翠は想像していた事柄と全く違うお願いであったため面を食らった。

「……どうして、私に?」

「琴音様の護衛でしょう?」

 君も梅家の関係者たるもの琴くらい弾けて当然ってことか、梅家の信頼度が高すぎると翠は額に手を当てた。

「私は琴音様から琴を教えてもらったこともありませんし、素人のお遊びくらいにしか弾けませんよ」

 翠は佐知子に琴を教わっているのでそれなりには弾ける。重ねて言うがそれなりだ。

「それでもいいわ」

 槙子は中々に切羽詰まっている様子だ。

「で、急にどうなさったんですか?」

 とりあえず、話だけは聞こうと翠は耳を傾けた。

「みんなで琴を弾くことになったのよ。でも、全然上手くできなくて……」

「いつ弾くんですか?」

「に、……二週間後です」

「大変ですね」

 おっふ、結構近いじゃないかと翠は肩をすくめた。

「だから、大至急教えてほしいのよ」

「他の人の方がいいですよ」

 翠には槙子の琴の腕を急激に上達させる力はない。そんなに琴が上手いわけでも指導力があるわけでもない。

「ええと……」

 槙子は目を泳がせた。誰にも聞かれたくないくらい、目も当てられないほど途轍もなく下手なのだろうかと翠は一抹の不安を抱いた。

「わかりました。ちょっと、一回弾いてみてください」

 あまりにも下手だと恐らく国王の妃のくせに、これだから女官上がりは……などと陰口を叩かれるのだろう。結果が見えているにもかかわらず、力を貸さないのは忍びないと翠は観念して、ひとまず槙子の演奏を聞いてみることにした。

「ありがとう」

 槙子はテキパキと琴を準備し、そして、弾いた。バンバラバン、ぎゃんぎゃんぎゃんと不協和音を奏でた。

「ちょっと待ってください」

 翠は顔を顰めながら早々に槙子の演奏を止めた。

「もうダメだった?」

 槙子はしょげっと翠の様子を見た。

「そんなことはありませんが……。調絃(ちょうげん)しますね」

 槙子の指使いに大問題はないにもかかわらず、これだけ残念な音が出るということは琴に問題があるかもしれない。琴柱(ことじ)の位置が適切ではないため、音がズレているのだろう。琴糸(こといと)も古くなっているし、何でこんな琴を渡したんだ、誰かちゃんとしている人はいないのかと翠は疑問に思った。

「これでどうぞ」

 槙子は再び琴を弾いた。ちゃんちゃらちゃんと先程とは打って変わって美麗な音がする。上手、多分、佐知子のしか聞いたことないけどと翠は頷いた。

「どうかしら?」

「私は素晴らしいと思いますが……、もっと上を目指すならば、他の方に教えてもらうべきですよ」

 こちとら趣味というかちょっと齧っているだけなんだ。

「わかったわ……。それにしても、あなたこんなこともできるのね」

 槙子はすごいという尊敬の眼差しで見てきた。()というのはよくわからないが、こんなこととは琴の調絃を意味しているのだろう。

「ちょっとだけですよ」

 できるというほどではない。佐知子にちょっと教えてもらっただけだ。それに、翠は琴よりも三味線の方が好きで、ちんとんしゃん、ベベン、ベベンとしていた時間の方が長い。琴は佐知子がやけにやれと言ってくるから辟易していたのだ。

「でも、他の子は音がズレていることにも気づかなかったわ」

「それはそれは……」

 寵妃の女官のわりには質が悪いんじゃないかなと翠はぼんやりと笑った。高貴な方にとって、琴が弾けることは平民とは違うという一種のステータスになっているらしい。翠は貴族の意味不明な誇りはどうでもいいと吐き捨てているのであまり詳しくない。

「信頼できる方は子供たちのところに回しているのもあるんでしょうけど」

 槙子はフッと口角を上げた。

「そうですか」

 たしか三人子どもいるんだっけと翠は頭の中で情報を引き出した。何にせよ、王の子どもについて深入りはしたくない、面倒だからと思った翠は話の方向転換を図った。

「他にはどの御方がお弾きになるのですか?」

「晶さんと優華さんと琴音さんは弾くそうよ」

 琴音も何か弾くのかそれは楽しみだと翠は思った。

「他の方は何を?」

「みんな琴よ」

 バリエーションがない、楽しいのだろうかそれと翠は残念に感じた。みんな違う楽器を弾いた方が妙な競争意識が生まれず、平和そうである。

「槙子様は今まで弾いていなかったんですか?」

 琴音が出るということは恒例行事ではないのかと翠は疑問に感じた。琴音は妃で集まるのが嫌なようで極力不参加を通しているはずだ。

「……今回の催しは優華さんの思い付きなのよ」

「それはそれは……」

 嫌がらせか、いいや、恐らく偶然だろう。そんな気がすると翠は優華のほんわかした顔を思い浮かべた。

「優華さんが琴音さんの琴を聞きたいと言い出したの……」

 槙子はそのとばっちりを食ったということか。運の悪いことである。

「では、紫苑様に琴の先生になってもらったらいかがですか?」

 人前で、しかも妃達の前で弾くならばもっと上達したほうがいい。紫苑は芸事に秀でている梅家の人だし、琴は弾けると言っていたなと思い返した。適任だろう。

「……彼は私の女官が亡くなった件をひどく気にしているようなの」

「へぇー、そうですか」

「……知ってて言ったでしょう?」

 槙子は皮肉気に顔を歪ませた。

「ははは、槙子様にとっても悪い話ではないと思いますよ」

 槙子は琴が上達する、紫苑は水死体の女官の件を調べやすくなる。双方利点があっていいじゃないかと翠はうんうん頷いた。

「ええ、そうね。紫苑殿にとってもね」

 槙子は拗ねたようにぷいと顔を逸らした。

「……そりゃあ、私も琴音様の護衛ですし、紫苑様にも世話になっていますから。完全に中立なわけではないですよ」

「わかっているわ」

 秋刀魚を食べた仲とは言え、当然、翠は槙子の絶対的な味方ではない。

「あなたと解り合える方はあまりいらっしゃらないでしょう。……もしかすると、晶様が近いのかもしれませんね」

 王の子供の母同士、何か通じ合うものがあるだろう。絶対的な味方にはなれないが、共鳴する何かがあり、後宮で生きていくためのよすがにはなり得るかもしれない。

「……晶さんは私を警戒なさっているわ」

「政敵みたいなもんですからね」

「…………ええ」 

 槙子は曖昧な笑顔を浮かべた。敵対せざるを得なかったのだろう。

「お互いのスタンスを確認してみるのも一興だとは思いますよ」

 ガンガン争うのか、無用な争いを避けるタイプなのか、探ってみるのもありだろう。晶は一本気っぽいし、直接腹を割って話すのも案外悪くないかもしれない。

「そうね……。でも、今は無理よ」

 でしょうねと翠は頷いた。晶は凛の妊娠で槙子達が何かしてこないかと警戒している。

「この緊張状態を打破するには……、紫苑様はいい手だと思いません?」

 そして、槙子も薄々感じているはずだ。この後宮で何かが起きているという違和感を。その解消に紫苑は役立つに違いない。

「……わかったわ。陛下にお話しして、梅家の方に琴を教えてもらうわね」

 槙子相手に教えるなら紫苑か保名が候補に挙がるはずだ。その機に乗じれば、彼らは調査がしやすくなるだろう。

「槙子様の演奏を楽しみにしています」

 翠はにっこり笑った。

「余計な圧をかけないで……」

 槙子は恨みがましそうに頭を抱えた。

「ねぇ、翠」

 ふっと顔を上げると槙子は意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「私はあなたの演奏も聞いてみたいわ」

「お耳汚しになりますので、ご辞退しま~す」

 では失礼と足早に翠は散歩に戻った。あれ以上八つ当たりはされたくない。

 それから、槙子は紫苑から琴を教えてもらっているようだ。保名曰く、紫苑は槙子に対してかなり手厳しいらしく、彼女は辟易しているらしい。大変なことだなぁと翠は思った。










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