28. どうして彼女は死んだの?
琴音の花壇で金木犀が咲き始めた。オレンジ色の小さな花がポツポツと顔を出している。どことなく甘い香りが肌寒い空気を漂っている。そんな秋真っ只中のある早朝。翠はいつものように起きて、水やりをやっていると、琴音が声を掛けてきた。
「翠、朝露を取ってきてちょうだい」
「……何に使うのですか?」
心底不思議そうに翠は首を傾げた。
「お茶を淹れるのよ」
「そうなんですね」
翠はなぜ朝露でやる必要があるのか意味がわからなかった。しかし、琴音に言われたのだ。意味があろうがなかろうが関係ない。翠はよっこいせと朝露を求めて、はちすの園に行った。到着すると、先客が三人ほどいるようだった。みんな葉っぱから朝露を取っている。朝っぱらからよくわからない命令に従っているんだなと翠は妙なシンパシーを感じた。
「ねぇ、あれ何かしら?」
「何でしょうね……」
二人の女官が池の中央付近を指差して、ひそひそと話している。翠も釣られて目を凝らした。何か黒いものが浮いている。翠は目がいいため、それが何であるかを察知した。
「あの、すみません。朝露の瓶を持ってもらってもいいですか?あと、誰か呼んでもらっても?」
翠はへらっと笑いかけて、二人の女官に話しかけた。
「え、ええ」
「な、なんて言えば……」
戸惑ったように二人は翠を見上げた。
「変なものがはちすのお池に浮いているとかですかね」
「わかりました……」
二人は翠の有無を言わせない笑顔に唯々諾々と従った。
「ちょっとすみません」
翠は二人の女官とはやや離れたところにいた女官一人に声を掛けた。
「何かしら?」
「ちょっと服持っててもらいます?」
お願いをしながら、了承を得る前に翠は上着を脱いで女官の手に渡した。
「え、ええ」
仕方なくというように女官が服を受け取ると、翠は池に飛び込み、何か浮いているところに向かって泳いだ。池の中央に行くにつれて水深が深くなっている。そして、その何かを引き上げて翠は戻ってきた。
「そ、それって……!!」
翠の服を握り締め、女官が素っ頓狂な声を上げた。
「どこの人でしょうね」
何か浮いていた黒いものは女の死体だった。衣服からしてどこかの妃に仕える級の女官だろう。無残な水死体である。
「服、ありがとう」
「え、ええ」
翠は返してもらった服で遺体を覆った。
「呼んできました!」
女官がやや酒臭い後宮の警備担当の武官を連れて来た。
「何ィ?こんな朝っぱらからさァ……」
眠そうに眼をこすっている。見るからにやる気がなさそうだ。
「池に女官が浮いていました」
翠はにこやかに微笑みかけた。もちろん、ちゃんと仕事しろよという圧をかけた。
「あ、うん……、はい」
どうやら彼女は素直に聞いてくれるらしい。翠は満足そうに頷いた。
「この人、どちらさんですかね」
「……もしかしたら、槙子様のところの女官かも……。誰かいなくなってたって聞いたわ」
警備担当を呼んできた女官が口を開いた。
「そう。じゃあ、槙子様に伝えてきてくれます?」
「え、ええ。……わかったわよ」
彼女はまた行くのという雰囲気を醸したが、ずもももと笑いかけてくる翠に根負けした。
「でェ?あんたは誰?」
「私は琴音様のとこの翠です。よろしくお願いします」
「そォ……、状況だけ話して」
警備の人は翠と聞くと一瞬身体をビクッと硬直させた。なぜだろう、何もしていないのにと翠は片眉を上げた。これは、後宮では翠の噂が本人の知らぬところでわだかまっているためだ。琴音のわがままに耐えている奴、紫苑に気に入られている奴、八重の悪事を暴いた奴、優華の服がヒ素含有と見抜いた奴などなどの噂がある。要は、後宮の女官にしては異色な奴と思われているのだ。
「琴音様に朝露を取ってきてと言われてここに来たら、二人がなんか浮いてるって話してたんで、池の中央を見るとなんか黒いものが浮いていたんで、引き上げたんです」
翠は雑に状況説明をした。
「どうして引き上げのオ?」
「もしかしたら人かもしれないと思いましてね。目は良いんですよ」
翠は自分の瞳を指差した。
「槙子様がお見えになられました」
槙子を呼びに行っていた女官が帰ってきた。
「翠、その子は……」
少々憔悴した様子の槙子が現れた。
「どこの方か見てもわからないと思いますよ。何か身元がわかる物とかないですかね」
「……成瀬ならば、御守りを身に着けているはずよ」
翠は遺体の女官の懐を漁ると、衣服に縫い付けられている濃い紫色の御守りを見つけた。
「この子はわたくしの女官の成瀬よ」
それを見ると、確信したように槙子は頷いた。持ち物一つで分かるとは槙子にとって近しい女官だったのだろうか。
「いつから姿が見えないんですか」
「三日前からよ」
月見の宴の後くらいからいなくなったんだなと翠は頭を整理した。
「何かトラブルなどは?」
「特には聞いていないわ……。加美子は何か聞いていないかしら?」
槙子は連れてきた女官・加美子に声をかけた。この成瀬という女官と仲が良かったのだろうか。遺体を見るやいなや唇をぶるぶると震わせていた。
「実はその……」
声を震わせながら加美子は話し始めた。曰く、成瀬の実家は金に困っているため、彼女はそのことに関して非常に悩んでいたらしい。
「なぜ……、わたくしに言わなかったの?」
槙子は拳を握り締めた。成瀬の主は槙子である。お金の便宜や給料の先払いなどの相談を槙子にした方がいいはずだ。きちんと対話ができる良好な関係を築けていればの話ではあるが。
「その……」
加美子は気まずそうに目を逸らした。暗に、あなたには何もできまいと批難しているようにみえる。槙子は主としての資質に欠ける人だったのだろうかと翠は首を傾げた。
「彼女は言えなかったんでしょう」
翠は常と変わらない覇気のない顔で槙子と加美子の会話に割り込んだ。
「どうして!」
槙子は自分の女官を救えなかったと取り乱して、声高に叫んだ。
「彼女の髪を見てください」
翠は遺体の髪を指差した。
「随分お綺麗ですね。そして、爪も泥で汚れていますが、よく整えられている」
「そうね」
槙子は翠が何を言いたいのかと必死に頭を巡らした。
「そして、身につけている首飾り、とても豪奢ですね」
「もういいわ……」
翠がこれが金に困っている者の姿か?と言いたいと分かった槙子は手を上げて制止させた。
「……槙子様、どういう処理をなさるかは知りませんが、きちんとお調べになってからの方がいいですよ」
「そうね、ありがとう」
槙子は険しい顔で遺体となった成瀬と連れて来た女官の加美子を見つめた。翠は用事が終わったーやれやれと朝露を琴音の元に持って帰った。琴音になぜずぶぬれなのかとぎょっとされてしまったが、頼まれた仕事は果たせたからいいだろう。また、翠は彼女が何故死んだのかなどの事情には全く興味がなかったため、深く考えないことにした。
噂によると、池に浮いていた女官・成瀬と槙子が連れていた女官・加美子は槙子の金を懐に入れていたらしい。それで贅沢三昧をし尽くしたようで、彼女達の部屋には高価な品が上手く隠されていたそうだ。槙子は寛大な心でその罪を許し、彼女達の困窮している家族に手当金を送ったらしい。嗚呼、何とお優しい方と皆口々に褒めそやしている。




