27. 月の下で何を思う?
翠はいつものように弓道場から宮に帰ると、着飾った琴音がいそいそと近づいてきた。首元には赤い宝石が輝いている。あれは尖晶石というらしい。
「翠、あれ着てきなさい」
「あれ……?」
琴音が何を言っているのか翠にはわからなかった。琴音はあれやこれなど指示語が多いため、何を言っているのか不明なことが多い。
「……わたくしがこの前あげた服よ」
琴音は出来の悪い子とでも言うように眉を顰めた。
「かしこました。今日は何かあるんですか?」
この前あげた服とは梅雨時の国王誕生会に着た物だとピンときた。あの高そうな服を着るということは何か催し物でもあるのだろうか、もう夜なのにと翠は首を傾げた。
「月見よ」
どうやら今日は一年で一番美しい月が昇るらしい。その月を見ながら妃達で宴を行う、何とも雅なことだ。翠はチャッと服を着替えて琴音のところに戻った。
「行くわよ」
利子も共に行くようで琴音の隣に控えていた。彼女達に付いていくと、槙子をはじめとした妃が集まっている場所に着いた。ここが宴会場なのだろう。外の庭には池があり、大きな月が映っている。
「月が綺麗ですね」
翠は空にある月と池に映っている月があって何ともまあ見応えがあると外を眺めた。
「……ええ、そうね」
琴音は少し間をおいて返事し、席にあったお酒を口に入れた。
「かんぱ~い!みたいなことはしないんですか」
勝手にお酒を飲んでいいのかなと感じた翠は琴音に聞いた。
「各々で月を愛でればいいのよ」
「そーですか」
翠は後宮の決まりに疎いため、琴音の言うことが正しいか図りかねた。周りを見ると、妃達が一つのテーブルを囲っている。そのため、どんな会話をしているのかと気になった翠は注意を向けると、琴音を除いた槙子、晶、優華、そして凛が談笑?していた。
「あら、凛さんはお飲みにならないの?」
槙子が淑やかに話しかけた。秋刀魚にかぶりついていた人と同一人物とはとても思えない。
「凛は体調があまりよくないみたいなんですの」
晶が凛に代わってにこっと答えた。
「それは心配ね」
槙子もにこっと口角を上げた。二人が話していると一触即発の雰囲気が流れるなと翠はそわそわした。
「一口もですか?凛さんはお酒が好きと聞いていましたのに……、随分お悪いのね」
優華は険悪な空気を読むことなく、無邪気に凛を心配した。
「医官には診てもらったのかしら?」
凛の方に槙子は目を遣った。
「いいえ、そこまででは……」
凛はまごまごしながら槙子の視線から逃げた。
「あなたたちも飲みなさい」
そんな会話も雰囲気も無視して琴音が利子と翠にお酒を促した。
「はい、ありがとうございます」
利子は恭しく杯を受け取った。
「すみません。私は下戸なんで……」
翠はお酒を受け付けない体質であるため辞退した。
「そうなの」
琴音は翠の下戸事情には興味を示さず、杯を引っ込めた。琴音は他の人よりもお酒を飲むペースが速いように見える。きっと強いのだろう。
「琴音様の勧めを断るの?飲みなさい」
大人しく引いた主を無視して、利子は目尻をきりりと上げて翠を叱った。
「本当に飲めないんですって」
翠は何でこんなに利子は怒っているのだろうと疑問に思った。妃連中の前で怒って恥をかかせようというのか、もしくは勧められた酒は絶対飲むべき思想の過激派なのだろうか。前者であれば性根が腐り過ぎているし、後者だとしても何事も過激なのは嫌だと翠はげんなりした。
「一口くらい大丈夫でしょう」
何にせよ、利子は下戸に理解がないようだ。一口くらい大丈夫ではない。ちょっと飲むだけで、顔が火照り、頭痛、吐き気に襲われるのだ。毒と何ら変わりないのだ。
「利子さん、責任取ってくれます?」
「何の?」
「私のゲロ」
ゲロだけではなく、頭痛の責任も取ってほしいと翠は思った。
「……そんなの知らないわよ」
利子は何を言っているの……とふるふる震えた。
「では、飲めませんね」
翠は平然と宣った。飲めないものは飲めないのだ。利子にはその事実をすんなり受け入れてほしい。
「翠、下品なことは口にしないでちょうだい」
ゲロ発言に耐えられず、琴音が口を挟んだ。
「申し訳ありません」
翠はいけしゃあしゃあと謝った。
「利子、あなたもよ。お酒の無理強いは品がないと知らないなんてね」
「……申し訳ありません」
利子の心臓に毛は生えていないらしく、琴音に睨まれて身体を縮こまらせた。もしかしたら、人前で怒られ、恥をかかされたと思っているのかもしれない。
「ねえ、凛さん、大丈夫?」
琴音たちのやり取りに一区切りがついた後、優華が隣に座っている凛を気遣った。琴音は凛と離れた位置に座っている。そのため、ここからでは凛の様子に変わりがないように見えるが、何か異変でもあったのだろうかと翠は目を遣った。
「え、ええ……」
凛は心底心配してくれている優華に気まずそうに対応した。
「でも、顔色が悪くてよ。心配だわ!」
優華はやっぱり医官を呼んだ方がいいのかしらと首を傾げた。
「いいえ!大丈夫です。ご心配なさらず!お酒も飲めますわ」
凛は強く首を振ると、お酒に手を伸ばした。
「凛!無理してはいけないわ」
不自然なほど焦ったように晶が止めに入った。
「……晶さん、もしかして何か隠していらっしゃる?」
槙子はにこりと晶と凛に微笑んだ。
「何が言いたいの?槙子さん!」
うわ~、バチバチしだしたよと翠は神妙な気持ちになった。
「体調が悪いなら医官に診てもらった方がいいわ。……御子がいる可能性があるならなおさらです」
「なっ……!」
晶と凛は隠し事には不向きなタチらしい。あからさまにビクッとした。恐らく、凛の腹には子がいるのだろう。やけに晶がピリピリしているのも、凛が具合が悪いのもその影響だ。そういえば、前に凛がグレープフルーツをやたら食べていると聞いたなと翠は思い出した。妊娠中にはグレープフルーツがいいと佐知子が言っていた気がする。
「え……?どうして隠していらしたの!」
優華は興奮したように凛の手を握った。ひどいわと仲間に裏切られたように悲しんでいる。
「……八重さんの件など、いろいろなことがありましたから」
うん、八重一件だけかなと翠は首を傾げた。お腹の子が槙子だけではなく、琴音にも狙われていると焦燥にかられたのだろかと翠は考えを巡らした。
「もしや、わたくしが何かするとでもお思いになって?」
琴音が会話に割り込んだ。高圧的に凛に笑いかける姿が美しい。この世で一番、様になっていると翠は感じた。
「い、いいえ、そのようなことは……」
凛は臆するように言い淀んだ。
「ええ、そうよね。わたくしも被害を受けたんですもの。ねぇ、あなたはどうして隠したのかしらね、翠」
「私!?」
なぜか琴音は翠に水を向けた。酷い方向転換である。槙子、晶など一同の注目が一斉に集まった。
「……私にはわかりませんが、凛様は隠した方が良いと判断したのでしょう。そちらの方が、御子の安全が図れるとお考えになられたのではありませんか?」
翠は知らないよ!!!うわーーん!!!と叫びたかったが、ぐっと我慢した。
「なぜかしら?隠しておいた方が角が立つわ」
無茶振りしてくる琴音の様子を窺うと、首筋がうっすらと色付いている。もしかしなくても酔っているなと翠は片眉をひょいと上げた。
「ねえ、どうしてかしら、翠」
絡み酒か~と翠はため息をついた。
「ええ、そうですね。では、もしかしたらいらっしゃるのかもしれませんねぇ。嫉妬に身を任せ、国王陛下の御子を殺してしまう亡霊が……!」
翠はわざとらしく目をカッと見開いた。
「な、なんですって!」
皆が焦ったようにざわざわとした。恐らく、先王の寵妃、嫉妬に駆られて妃が身籠る度に子供を殺していたらしい春日のことでも思い出したのだろう。お彼岸も過ぎて近しいしねと翠は心の中で舌を出した。そして、このざわめきに乗じて帰ってしまおうと赤く色づいている琴音に水を渡した。
「あの、琴音様、結構酔っていません?」
「どうかしらね」
うふふふふ……と機嫌が良さそうに琴音は笑っている。
「宮に帰りましょうよ」
是が非でも帰った方がいいなと翠は判断した。
「運んで」
「え?」
琴音が翠に向かって手を伸ばした。梃子でも動かなそうな雰囲気だ。仕方がない、言う通りにするしかないだろうと翠は腹を括った。
「では、失礼しますね」
翠は琴音をお姫様抱っこした。琴音はこの体勢に文句はないらしい。大人しくしている。翠はそそくさと宴会場を出た。
「見て」
「何ですか」
「月が見えるわ、……綺麗ね」
琴音は翠の瞳を見ながら言った。
「ええ、綺麗ですね」
翠はテキトーに酔っぱらいの戯言を流した。それにしても、相変わらず琴音はいい匂いがする。もう記憶が薄れがかっている佐知子と近い匂いなのだろうか。どこか懐かしい。あの人は月を愛でる風流なところがあったなと思い返した。
「いつどこで誰と見ても、月だけは変わらないの……」
琴音はよくわからないことを言うとそのまま寝てしまった。安らかな顔をしている。
妊娠時に何が良いかは人によると思う。




