2. 人材の墓場
翠が梅家のお妃様のところにとりあえず護衛として行くと決まってから、いろんな人に頑張ってね、嫌になったらいつでもやめてもいいのよ、何日持つかしらねと口々に言われた。
たしかに、国王の数ある妃の中で身分が高いとされる中の一人の宮に、下っ端の新人がいきなり行くなんてちょっとおかしいなぁとは思っていた。新人であっても養成所での成績が最優であれば、そんなこともあるらしいが……。とりあえず、前評判は聞いておくかと、翠は教育係の先輩に話しかけた。翠に梅家の妃のとこに行けと言った人である。
「梅家のお妃様の宮ってどんなとこなんですか?」
「そうねぇ、ふふふ」
先輩は嫌味ったらしい笑い方をした。紫苑に怒られたことをそんなに根に持っているのかと翠はふーんと思った。
「琴音様のところは行く人みーんな辞めちゃうから、人材の墓場なんて言われているのよ」
梅家の琴音様は人材の墓場というのが謳い文句かと他人事のように翠は思った。どうやら護衛やら女官やらとして行った人はみんな辞めてしまって、梅家から付いてきた人だけで仕事を回しているらしい。
「それはなんでですか?」
「行ってからのお楽しみよ」
ふふんと笑って先輩はどこかに行ってしまった。
「はぁ……」
どんだけ劣悪な環境なんだろうと翠は気が重くなった。翠はあまり仕事熱心な性質ではないため、なんとかサボ……、息抜きできるところがいいなぁと夢想した。
先輩に一週間持つといいわねと背中を押されて、翠は梅家の妃、琴音様のところに向かった。
「翠と申します。本日からこちらに配属されました。よろしくお願いいたします」
「顔をお上げ」
翠は言われた通りに顔を上げ、琴音をまじまじと見つめた。細い眉に、大きな目、はっきりとした目鼻立ち。従兄弟の紫苑に似ていると言えば似ているのかもしれないが、彼女には人形じみた美しさがあった。それは琴音の一種異様なほどの赤に対するこだわりもあるのかもしれないと翠は思った。彼女は赤い髪をふわりと結いあげ、赤い羽織に花の模様が入った真っ赤な裳を着ており、赤い簪や耳飾りを身につけている。それだけでは飽き足らず、宮の内装や調度品まで悉く赤いのだ。こんなに赤に囲まれて落ち着くのだろうかと翠は思った。
「気に入らない顔ね……」
天女のような顔が不機嫌そうに歪んだ。その顔もまた様になっているのだから美人はすごいなぁと翠は思った。
「よく言われます」
なんかわかんないけれどマジで言われんだよなぁと翠は冷たい目線、気まずい空気もどこ吹く風である。
「お黙り」
手に持っていた赤い扇を翠の顔面に向かって投げつけた。お姫さんの攻撃なんて屁でもないが、ちょっと大変で面倒そうな感じがするなと翠は人材の墓場と言われる所以を感じた。
そうして、あれやれこれやれのわがまま三昧が始まった。
「ウグイスに餌やっといて」
「はい」
「そういえば、花壇に水はやったの?」
「まだです。今からやります」
「なんで言われないとできないの?」
「申し訳ありません」
「ちょっと、疲れたわ」
「そうですか」
「……肩揉んでって言ってるのよ。早くしなさい」
「はい」
「痛いわ!もういい、あっち行って!」
だいたいこんな感じである。初日でこれだ。翠はこれは護衛の仕事じゃないよなぁや無茶振りじゃないかと思うことが多々あり、琴音様は難儀な人だなぁと思った。しかし、この宮という限られた場でやれと言われることなんて高が知れている。それを一つ一つ潰していけばいいだろう、なんとかなるさーと見通しを立てた。
「翠、大丈夫?」
この宮の先輩女官、利子が主に叱られたかわいそうな新人さんに心配そうに話しかけてきた。ここではみんなのまとめ役、しっかり者として通っている人のようだ。
「ええ、ご心配ありがとうございます」
「そんなに固くならないでいいのよ」
利子は表情を緩めて口角を上げ、親しみやすい雰囲気を作った。
「琴音様にはみんな困っているの」
みんな大変なのよと利子は共感と連帯感をアピールして、どういうわけかこちらの様子を伺っているように翠は思えた。
「それに、わがままがすぎて国王陛下が立ち寄らないのよ」
「はぁ……」
だからかなぁと翠はある可能性が頭を掠めた。国王陛下を遠ざけるためにわざとわがまま放題なのではないか。生来の気質も関係しているだろうが、理由の一つとしてはあるかもしれない。
「なるほど、琴音様は興味深い方ですね」
国王を遠ざける妃なんてちょっとおもしろいんじゃないと翠は興味がそそられた。翠はそこそこに好奇心が旺盛なのだ。
「では、餌やりと水やりしてきますね」
失礼しますと翠は仕事の続きをしに行った。ウグイスの餌はどれだろうか、そもそもウグイスってどれだとか、わからないことがたくさんあったが、利子はうーん、なんだかなぁ……と思った翠は別の人に聞けばいいだろうとその場を後にした。
一方、利子はなにあの子……と今までの新人とは一風変わった女が来たと思った。だが、根っこは今までと同じ、どうせ紫苑様目当てだと決めつけた。
この宮が人材の墓場と言われる所以は琴音様の振る舞いによるものが大きい。しかし、決してそれだけではない。ここに配属される女官・護衛は多分に漏れず梅家の若君、紫苑に近づきたいと思っている人間であり、そして、そんな女はこの宮に、紫苑様にふさわしくないと肚の中で息巻いている人間がいるという状況も原因の一つであろう。