23. 翠の秋刀魚
翠は琴音に言われた通り、一週間で『よいこの毒草図鑑』をマスターした。しかし、琴音に想定よりも早すぎる、何なの?しばらく経ったらまた忘れるといちゃもんをつけられ、もう少しだけ毒草と向き合うことになった。自室で分厚い『よいこの毒草図鑑』をパラパラ見ていたが、弓の練習も禁止されていることもあって、翠はとっても退屈していた。
元気が有り余っているため、翠は外に出て息抜きをすることにした。外には、にょきっと彼岸花がぽつぽつと咲いていた。赤い花が幻想的で美しいと佐知子が気に入っていた。よく墓場に生えており、恐らく佐知子の墓の近くにも花を咲かせていることだろう。そんな彼岸花にも毒があり、特に球根部分に強い毒がある。翠は『よいこの毒草図鑑』で見たと振り返った。
そして、翠は人気のないところに行くと、火を起こし、厨房で譲ってもらった秋刀魚二尾を取り出した。暑さも落ち着き、秋刀魚が美味しい季節になったのだ。翠は塩をかけた秋刀魚を焼き始め、団扇でパタパタとあおいだ。大変おいしそうだ。
「いいにおいね」
背後から落ち着いた声で話し掛けられた。振り向くと、顔を布で隠した女がいた。秋刀魚の匂いに誘われたのだろうか。
「……旬ですからね」
この人、どこかで見たことあるなと翠は既視感を覚えた。着ている服はそこそこよさそうだ。どこかの妃の女官かと翠は記憶を辿った。
「おひとつどうですか?」
「……いいの?」
少々の申し訳なさを滲ませた控えめな返事が返ってきた。悪い人ではなさそうだと翠の勘が囁いた。
「二尾ありますからね。誰かにあげようと思っていたんですよ」
本当は自分一人でぺろりと平らげる予定だったが、この状況で食い意地を張る翠さんではない。
「ありがとう」
女性は手を合わせていただきますと一言添えた後、あっつあつの秋刀魚を口に入れた。猫舌ではないようだ。
「……おいしいわ!こんなにおいしい秋刀魚は久しぶりよ」
「よかったですね」
余程おいしいのだろう。ガツガツと見ていて好ましいほどに秋刀魚を次々と口に入れている。
「どこの秋刀魚なの?」
声を無邪気に弾ませながら聞いてきた。
「さあ……、厨房でいただいてきたものですよ」
「そうなの……?」
女性は不思議そうに首を傾げている。
「おいしいのは余計な手間をかけていないからかもしれませんね」
塩をかけてただ焼いただけ。お手軽、簡単でとてもおいしい。
「……そうね。ここの食事はあれやこれやと手間をかけすぎなのよ」
力強く実感がこもったように女性は言った。
「みなさん、あなたに気を遣っているんですよ、槙子様」
「……気づいていたのね」
いたずらっ子のような笑みを浮かべながら槙子は布を取った。
「何となくですよ」
既視感のある雰囲気と聞き覚えのある声だった。槙子も息抜きがしたかったのだろうかと翠は秋刀魚をほうばった。
「あなたは琴音さんのところの翠よね」
「ええ、覚えてくださって光栄です」
妃、国王をはじめいろいろな人に名前を覚えられたもんだと翠は首を捻った。
「あまり嬉しくなさそうね」
「そんなことはないですよ」
ただ、そんなに名前を覚えられるようなことをしたか?と解せないだけである。
「それにしてもおいしいわ」
槙子は国王の隣にいるよりも気を抜いているように、もしくは自分をさらけ出しているように見えた。
「秋刀魚をおいしく召し上がりたければ、ただ焼いただけのが食べたいと陛下にお願いしたらどうですか?」
「……陛下には言えないわ」
槙子は目を細めてフッと曖昧な笑みを浮かべた。
「どうしてですか?」
「言ってはいけない気がするの……」
どこか遠くを見つめ、寂し気な雰囲気を纏っている。寵妃の悲哀でもあるのだろうか。
「翠、今日のことは誰にも言わないでね」
秋刀魚を食べ終わると槙子は翠に釘を刺した。
「槙子様も琴音様に言わないで下さいね」
翠も槙子に念押しした。『よいこの毒草図鑑』から逃げていたことが琴音にバレる事態は避けたい。
「……ええ、もちろんよ。あなたはいい子ね」
槙子は再び顔を布で覆うと人目を避けるようにその場を立ち去った。
あれが後宮で女官から寵妃に成り上がった女性かと翠は物思いに耽った。それにしては大人しいというか、女たちの妬み、僻み、羨望を潜り抜けた御仁のようには見えなかった。人は見かけによらないとは言うが、女官の身分から国王の目に留まろうと画策した、強かさ、胆力、権力志向すらも無さそうに見えた。
国王の方からうっかり迫られたのだろうか。それは、棚からぼたもちというべきか、白羽の矢が立ってしまったと捉えるべきか、翠にはわからなかった。




