21. 綺麗は汚い、汚いは綺麗
日差しがじりじりと照りつけている。今日も今日とて暑いと翠は頭からざばっと水をかけた。いくらか火照りがマシになる。翠は濡らした髪をぶんぶん首を振って水気を飛ばした。
「何をしているの?犬みたいだからやめなさい」
何やら用があるらしい琴音が近くまで来て、翠の行動に眉を顰めた。
「すみません」
次は見つからないところでやろうと翠はあまり反省していない。
「何かご用ですか?」
「髪やって」
「はい」
琴音は翠のヘアアレンジが気に入ったらしく、よく声を掛けてくる。翠は暑いため、首元が見える涼やかな髪型にした。
「行くわよ」
琴音がそう声を掛けたので、翠は一緒に付いて行くことになった。いつもの散歩かなと思えば、今日は違うらしい。普段とは異なる道を進んでいる。琴音は赤い日傘を差しながら、はちすの園と書かれた庭園を鑑賞しながら歩いて行った。
「ここで休むわ」
池が見える休憩所に着くと、琴音は疲れたと言ってそよっと腰を掛けた。池の水面には白色や桃色の花が浮いている。
「あの大きな花は何ですか?」
「蓮の花よ」
「綺麗ですね」
蓮は聞いたことがあるなと翠は思い返した。花を見たことはないが、根なら食べたことがある。蓮根は煮ても良し、焼いても良し、すりおろしても良しの魅惑の食材。シャキシャキしていておいしいと翠は気に入っていた。ちなみに、蓮根は根ではなく、地下茎だ。翠は植物には疎いため、勘違いをしている。
「蓮は泥より出でて泥に染まらずとはよく言ったものよね……」
「はぁ」
琴音は花の話をしていたが、翠は蓮根で頭がいっぱいだった。やっぱりきんぴらですかねと口に出そうになった。
「それはどういう意味ですか?」
「汚れた環境にいても染まらず綺麗なままということよ」
「勉強になります」
翠はひねくれているため、汚れた物である泥を養分にして咲いている花は本当に綺麗なのかと思った。
日陰で風通しも良いところで、蓮を見ながらゆったりと時間が流れた。穏やかでほっと一息つけるような大事な時間。その静寂を壊す人間が現れた。
「ご機嫌よう、琴音様!」
国王の妃の一人、優華がやって来た。夏らしく、鮮やかで青みがかった緑の裳を着ている。いつ見ても明るく可憐だ。その隣には美登が控えていた。
「ご一緒にお茶でもいかがですか?」
優華はふわっと周りのお花が咲き誇るような笑顔を浮かべた。
「わたくし、一人でゆっくりしたい気分なの、ごめんなさいね」
琴音はにっこり笑って、微塵も申し訳なさを感じない様子できっぱりと断った。しびあこである。
「そうですか……」
素気無く断られた優華はしょんぼりと肩を落とした。
「では、翠さんをお貸しいただけませんか?」
翠は飛び火をくらった。
「よくてよ」
何もよくないと翠は頭を抱えた。琴音は翠を生贄にして帰って行った。最近、このパターン多いなとげんなりした。
「恐れ多いのでご遠慮したいのですが……」
翠は精一杯の困った表情を浮かべた。
「そんなに緊張しないで!美登と養成所で一緒だったと聞きました。ぜひお話を伺いたいの」
「そうですか……」
どうしようかなと翠は困り果てた。美登に関して知っていることといえば、一に養成所の最終試験の嫌がらせ、二も三もなく、四に美登は人だかりの中心にいたことくらいだ。つまり、話せることはあまりない。
「だめかしら?」
上目遣いできゅるんと優華は微笑んだ。断られること想定に入れていないようにみえる。断る者は例外にあたるらしい。翠は波風を立てたくなかったため、ちょっとお茶してテキトーに帰ろうと考えた。
「私でよろしければ、ぜひ」
にっこりと翠は笑った。口角を上げて目を細めれば笑顔になるだろうという心無い笑みである。
「まあ、嬉しいわ!」
優華は心底嬉しそうに無邪気に笑った。
「ですが、私は美登さんとはあまりお話したことはないんです」
「そうなの」
「私は自分のやることで精一杯になってしまって、誰かとお話しする余裕はありませんでしたから」
にっこりと笑って翠は嘘をついた。ただ、人の輪に入るのだるいなーと思っていたら三ヶ月過ぎていただけである。
「じゃあ、これから仲良くなれるかもしれないわね」
「あはは……、そうですね」
翠の口から乾いた笑いが出た。美登は表情一つ変えていない。
「琴音様はあなたが来てから穏やかになられたと評判よ」
「そうですか」
あれで穏やか?と翠は首を傾げそうになった。また、だから、王様は琴音のもとに寄ったのかと合点がいった。今までとは違って少しは相手してくれると考えたのだろう。
「誠心誠意仕えている気持ちが伝わっていれば幸いです」
翠は常にないくらい口角を上げた。優華の前だと笑顔であらざるを得ないと肌でひしひし感じる。
「賭弓の代表になさるくらい信頼なさっているもの。きっと伝わっているわ」
優華はお茶を一口コクっと飲んだ。その様も可憐である。
「優華様はどなたかお選びになられたのですか?」
「ええ、美登にお願いしたわ!」
「そうですか」
他愛のない話をしながら翠はお茶をぐびっと飲んだ。すっきりしていておいしい。
「でも、わたくし、翠さんにも護衛になってほしかったわ」
「私ではとても務まりませんよ」
それは何という地獄絵図だと翠は半笑いになった。美登も何とも言えない顔をしている。
「そうかしら?でも、美登はとてもしっかりしていて助かるわ」
翠はこの気まずさにそろそろ耐えられなくなってきた。優華は無邪気に美登の地雷を踏み荒らしている。気が気でない。お茶も飲み切ったことだしそろそろお暇したいものだ。
「そういえば、優華様、そのお召し物は珍しい色合いですね」
翠は優華の明るい緑色の裳に目を遣った。
「綺麗な色でしょう?お父様が贈って下すったの!」
優華はその色を気に入っているようだ。緑の瞳を輝かせて笑った。
「ねぇ、翠さん、もしよかったらこの布で作った服をもらってくださらない?お父様が多めにくださったからちょっと余っているのよ!」
まるで素敵な考えを思い付いたとでもいうように優華は手を打った。
「私にはもったいないですよ」
「そんなことないわ!綺麗なみどり色よ。あなたにピッタリではなくて?」
「…………はあ」
緑色は嫌いなんだよなと翠はうんざりした。
「花緑青という色はご存知ですか?」
「はな……、それは何ですの?」
こてんと優華は首を傾げた。
「その色は恐らく花緑青です。染料がヒ素に由来すると耳にしたことがありますよ」
たしか佐知子がそのようなことを言っていた。ちなみに、ヒ素は人体に非常に有害な影響を及ぼす物質だ。微量であっても長期間摂取すると中毒症状を引き起こす毒である。佐知子は毒があっても綺麗ならいいとおかしな後付けをしていた。
「翠!優華様になんてことを言うの?」
美登がたまらず声を張り上げた。主人に毒のあるものを身に着けさせたとあれば一大事であるからか、ひどく焦っている。
「どうぞお好きなように捉えてください。違うのであればいいんですよ」
翠はお茶ありがとうございましたとその場を後にした。着ている服が毒じゃない?と言われたらお茶会どころではないだろう。
あの服が本当にヒ素由来の染料で作られているか、翠に確証はない。そうかもしれないねと言っただけである。ただの推測、可能性の提示にすぎない。しかし、その後、本当にあの服にはヒ素が含まれていたらしく、ちょっと大きな問題になっていた。自分には関係ないことだと翠は素知らぬ顔である。




