1. そんなにたくさん覚えられない
くじらにほーんのちょっとだけ無理を言って、なんやかんや翠は王宮にやってきた。彼女の店で用心棒のようなものをやっていたこともあって、王宮内の武官として押し込まれたのだ。昔はあったらしい宦官制度を廃止したことで、女性を後宮内の警備に充てており、最近では、それを皮切りに兵士や治安部隊などにも身分を問わず女性を登用するようになり、軍部の出世コースもあるらしい。まあ、翠には興味のきの字もない話ではある。
なんにせよ、翠のような平民の女性を詰め込み教育で何とか働けるようなシステムが構築されている。そのおかげで、翠は養成所にぶち込まれ、弓やら刀やら礼儀作法やらいろいろみっちり訓練をこなしていた。この三ヶ月間窮屈過ぎたとげんなりし、もっと楽な道がよかったなぁとご不満である。
煩わしい訓練をやっとのことで終え、翠はついに王宮で働くことになった。地味な黒い衣服を身につけ、左の腰の帯に刀を携えた翠は量産型の下っ端武官である。
「たくさん人がいますね」
翠は教育係の先輩に話しかけた。新人には慣れるまで、いろいろなことを教えてくれる先輩が付いてくれている。そのため、これを機に、翠はいろいろ聞こうと思っていた。養成所ではみんながへとへとくたくたで、あまり情報集めができなかったのだ。
「当然でしょ!ここはどこだと思ってんの?」
「不慣れなもんで新鮮なんですよ」
翠はにこにこと相手に対して下手に出た。目上の相手にテキトーにぬるぬると懐に入り込む術は心得ているのだ。
「いろいろ教えてもらっていいですか?」
にこっと年上の女性に対して、愛嬌のある表情をした。
「ええ、いいわよ!!」
教育係に張り切っているだけあって、頼られるのが好きな人らしい。とてもいい先輩だなぁと翠は素直に思った。
「あっ、来るわ!ほら早く頭下げて」
先輩は何かに気づいたようで、翠は大人しく言われた通りに地面に膝をつけて頭を下げた。
「一体何ですか?」
「師団長達のお通りよ」
なるほど、よくわからないが、偉い人が来るらしい。翠は横目で服装が豪華な人たちが歩いて来るのを見た。
「先頭は国王陛下の弟君で、あちらは名門の葵家の若君、元晴様よ!それで、次は……」
陛下の弟ってことはめっちゃ高貴じゃん、んで、あの糸目の坊ちゃんはなんだっけ?ちょっと待って、そんなに情報量多いとよくわからないよと翠は思った。
先輩の説明を聞き流しながら行列を眺めていると、指輪と似た模様が書かれた御一行が見えた。
「あれは……」
「あの方は紫苑様よ!!名門の梅家の若君で若くして国王陛下に見込まれてね!」
先輩は際立って興奮し出した。翠は鼻息荒っと面を食らった。
「文武両道、しかもあんなにかっこよくて完璧なお方なの!!言っとくけど、あんたなんか目じゃないのよ」
先輩は小声にしては大きいボリュームで言った。
「はぁ……」
多分あれは梅家に関係ある指輪なのかと思い、翠はふーむと紫苑様とやらを観察した。眉が細く、目鼻立ちがはっきりした高身長細身の美形で、髪とお揃いの紫色の衣服を纏っている。腰の帯には刀が無いことから武官ではなく、文官とかのエリートかなと推測した。ジロジロ見ていると、かの若君がこちらを振り向いた。
「お前達、騒がしいぞ」
端正な顔立ちがこちらをギロッと睨みつけた。
「も、申し訳ありません!!」
先輩は慌てたように地に膝をつけ、頭を下げた。
「も、申し訳ありません!!」
右にならえの気持ちで先輩の動作を真似した。我ながらよく似ていると翠は思った。
「あまりたるむなよ」
そういうと、お付きの人と一緒にすたすたと去っていった。
お偉いさんの御一行が去り、先輩が立ち上がった。じゃあ自分ももういいだろうと翠も立ち、服の裾をぱんぱんとはたいた。
「ちょっと!あんたのせいで酷い目に遭ったわ」
先輩は鬼の形相で翠を睨みつけた。
「すみません」
先輩は全身で怒っていることをアピールしていたため、とりあえず翠は謝った。罰とかなかったからいいじゃん?それにうるさかったのはあんただろというのが翠の心中ではある。しかし、彼女は波風立てるのは好きではない。何事も大事にしない、テキトーに流す癖がある。
「そうだっ!!」
先輩は翠のそんな態度をよそにいいことを思いついたように声をあげた。いちいち声がデカい人だなと翠は思った。
「紫苑様に興味があるのよね!」
「はぁ、まあ……」
あの男というよりも、梅家及びその周辺なんですけどねと心の中で付け加えた。だが、あの紫苑という男が佐知子の唯一の人の可能性も結構あるかもしれない。遠い存在だし、何してもいい身分だし。年がいくつかなんて知らないが、多少年下であっても佐知子がズブズブに惚れ込む美貌があれにはあるなと翠は勘繰った。
「じゃあ、あの方の従姉妹であられるお妃様のとこに行かせてあげるわ!!」
そりゃ最高!紫苑や梅家について探るにはいい感じ!と翠は心の中でガッツポーズした。
「喜んで行かせていただきます」
小躍りしている心中を一切見せずに翠は先輩に言った。