16. 嫉妬はしても狂っちゃダメ
翠は元晴に連れられ、きれいな剣道場に着いた。元晴の様子をうかがうと、準備万端、やる気満タンのようだ。だって、伏し目がちタイプの糸目がガバッと開眼しているんだもの。翠はチャッとやってチャッと帰りたい気持ちでいっぱいになり、手早く準備を終えた。
「では、始めようか」
「……はい」
元晴は翠にそう言うと、力強く足を踏み込み、竹刀を打ち込んできた。翠はこれはやばいぞ~と焦った。決して、見くびっていたわけではないが、元晴の強さに翠は素直に感嘆した。当たり前のことだが、養成所にいた人間、教官も含めて、元晴にかなう人間はいないだろう。翠が考え事をしながら元晴の相手をできるのも、恐らく、こちらを様子見してくれているから何とかなっているのだ。しかし、彼が本気を出したら、翠も本気を出さざるを得ない。さもなくば、最悪命が危ういなと翠は冷や汗をかいた。
「やはり、やるな」
にこにこと元晴は笑っている。あんなに目がかっぴらくのは反則だ。さっきまでは概ね人当たりのいい兄ちゃんであったのにひどい変わり様である。生粋のファイターなのだろう。
「……あなたにかなう気がしませんよ」
「謙遜か。私も君もまだ本気を出してはいないはずだ」
「…………」
翠は本心で無理無理ーと言ったつもりだったが、元晴は違うように捉えたらしい。残念なことだ。絶対にあなたの方が強いですよと翠は確信しているにもかかわらず、元晴は何が見たいのだろうか。
「では、始めようか」
元晴はちょっと困った様子の翠にそう言って、最初の頃とは比べ物にならない程の気迫で向かってきた。
「待て」
よく通る静かな声が二人の緊張感を霧散させた。
「……紫苑様」
翠は背筋に冷たい汗が流れた。ちょっとの間ならばいいだろうと元晴の誘いに乗ったが、こんなに早く、否、そもそも紫苑が探しに来るとは思わなかった。
「何をしている?」
紫苑は元晴の方をじろっと見た。
「悪い。私がこの子を誘ったのだ」
元晴は平常心にスッと戻ったらしい。落ち着いた糸目になっている。切り替えが早いなと翠は感心した。
「私の方こそ、紫苑様との約束を伝えそびれていまして……」
「知っている。有名な話だ」
元晴がさも当然のように言った。有名?何が?どのように?と翠は嫌な予感がした。杞憂であると信じよう。
「……私は先に戻る。片付けもきちんとするように」
紫苑は生真面目なことを言い残して、その場を後にした。それから、翠と元晴は言われた通りに諸々の片付けを行った。
「そういえば、元晴様、勝負したら何でもしてくれる約束でしたね?」
「ああ、そうだ」
元晴に二言なしと堂々とした態度である。
「梅家の指輪について何か知っていることはありませんか?」
そろそろいろんな人に探ってもよいだろう。翠にやましいことはないのだ。
「……紫苑のことか?」
「いいえ、梅家の指輪です」
翠はキッと元晴を睨み付けた。どいつもこいつも梅家のことを聞くと紫苑、紫苑と宣いやがる、ふざけやがってと翠は元晴に八つ当たりした。
「あ、ああ、悪い」
ピャッと驚いたように元晴は動揺した。さすがに八つ当たりはよくなかったなと翠は反省した。
「……紫苑様も持っていらっしゃるのですか?」
「さあ、私も詳しいことは知らないが、梅家の本筋に近い人間が持っていると聞いたことがある」
「では、紫苑様とその兄君、父君、母君……」
翠は該当者を指折り数えていく。
「そして、琴音様とその妹君、父君、母君は持っているはずだ」
「はず?」
「あまり使わないものらしいから、付けているところを私は見たことがない」
「へぇ」
紫苑、出家兄貴、紫苑父、琴音父の四人が指輪の持ち主だろうか。翠はやっと範囲が絞れたと安堵した。有力候補は出家兄貴だなと翠は目星をつけた。それにしても、琴音には妹がいたのか、あまり姉って感じはしないなと翠はしみじみした。
「何がしたいのだ?」
元晴はじっと翠を見つめた。生憎だが、翠は指輪の持ち主を特定しても何か行動を起こす気はない。ただ知りたいだけで、その先は考えていない。意味のない、ただの暇つぶしにすぎないのだ。
「断じて悪用などしません。約束します」
翠はちょいと小指をあげた。
「……わかった」
元晴は一旦翠を信用する気になったようだ。また、何でもすると言った手前、追及しづらいのだろう。
「そういえば、紫苑様はどれくらいお強いんですか?」
話を変えようと翠はテキトーに話を振った。
「紫苑は下手したら私より強い」
嘘だろと翠は紫苑の万能さに驚いた。逆に何か苦手なことはあるのだろうかと翠は変な興味が湧いた。紫苑の話はよく耳に入るが、できないこと、苦手なこと、不出来なことはないようなのだ。
「正確に言うと、私の方が体力・筋力に分があるが、瞬発力、勝負勘はあいつに軍配が上がる」
体力、筋力は努力である程度どうにかなるものだが、特に勝負勘は天性のものがある。これは、天才型の紫苑、努力型の元晴ということかと翠は解釈した。
「嫉妬などはなさらないんで?」
同じ年頃にあのような万能人間がいると大変だろうと翠は気軽に聞いた。
「したさ。だが、嫉妬をしても、その気持ちをどのように己が糧とするか大事なのだ。……私はそのおかげで強くなれた」
元晴は当然のように堂々と言い放った。
「そうですか……!」
翠は思いがけない答えを聞けたと喜んだ。嫉妬とどう向き合うべきか考え、それを実行し続けようとする姿勢に翠は崇高さを感じた。
「……強い人ですねぇ、もっさんは」
もっさん呼びを解除しようと思うほど、翠は元晴の実直さに感嘆した。
「そう呼んでくれるのか!皆あまり呼んでくれないのだ」
「当たり前でしょう」
呆れたように翠は言った。不評ならやめたほうがいい、皆困っているんだと元晴の周囲の人に同情した。
「そんな堅苦しい口調でなくていいぞ!」
「……はあ」
元晴は嬉しそうに笑いながら肩をバンバン叩いてきた。翠は距離感の詰め方が丸っきりわからない人だと戸惑った。