6.調査
一晩考えた僕は、当たり前の結論に至った。
【吉田さんには何か事情がある】。
それが何なのかという肝心なところは分かっていないが、その謎を解明すればまだチャンスはあるのではないだろうか。まだ付き合えるチャンスが。
昼休み、いつもの場所でトーマと弁当を食べながら僕は切り出した。
「トーマ、一昨日……僕が休んだ日の放課後ってさ、吉田さん何してたか知ってる?」
「なにその記憶力テスト?いやーどうだっけな……」
そう言いつつ、弁当を食べ進める手は休めないこの男。本当に記憶を探ってくれているのか怪しい。と思っていると、「あ」と言ってトーマの手が止まった。
んぐ、と口の中のものを飲み込み、続いて水筒に入った水を勢いよく飲んで、ふう、とひと息。
「思い出した!そーいや吉田さん、陸上部辞めたんだってよ。確かその日にひとみが言ってたわ」
「え、マジ?」
時間が巻き戻る前の世界のその日、吉田さんは放課後に職員室を訪ねていた。そして時間がかかる用事があるという事で、僕は先に帰るよう促されたのだ。
つまりあの日、吉田さんは退部する話をしに行っていたという事になる。それはこちらの世界と元の世界で共通しているイベントなのだろう。
「これから大会とかもあるのになんでこの時期なんだろうな。俺は詳しくないけど、確か吉田さんってめちゃくちゃ足速いんだろ?」
「僕が知ってるだけでも、中学の時は無双しまくってたね。スポーツ全般得意みたいだし」
「なんかあったんだろうな〜。陸上部の先輩にフラれたとか」
「……」
フラれたのは僕の方だし、もし本当に好きな先輩とやらがいたんだとしたら。そんな吉田さんに告白した僕が滑稽過ぎて泣けてくる。
というか吉田さんをフる事が出来る男なんぞいるものか!
「お、おい冗談だって!ツッこむ元気もねーんかよ」
「……それはそれとして、何かあったっていうのはそうだろうね」
もちろん詳しくは知らないけど、最近部活で活躍できなくなったとか調子が悪いなんて話は聞いた事がない。陸上がイヤになったんだとしたら、高校に入った時点で部活に入らなければよかっただけのことだ。友達に誘われたとかで断りきれなかったのかもしれないけど。
とにかく、その理由を知る事ができれば、何かキッカケが掴めるかもしれない。
「つーかもうそんなに吉田さんの事気にかけんなよ。幸か不幸かお前はクラスも違うんだし、新しい恋を探した方がいいって」
正論である。
(この世界では)既にフラれた僕が失恋から立ち直るには、別の誰かを好きになるのが手っ取り早いのかもしれない。しかしそもそも、僕にとっては誰かを好きになるという事自体が手っ取り早くないのだ。
「って言っても小学生の頃からの恋だしなぁ。代わりなんて考えられないよ」
「ま、そりゃそうか。でもとりあえずは吉田さんに関わる情報は入れないようにでもして、早いとこ忘れるこったな」
「いや、恋愛マスターの口ぶり!」
自分だって彼女がいる訳でもなんでもないクセに、ずいぶん偉そうに言ってくれる。
あ、でもコイツにはひとみさんという女子の幼なじみがいたか。この裏切り者め!
トーマは恋愛の教科書に載っていそうな事を言っているだけだが、だからこそ正解ではあるのだろう。
しかし僕はまだ、諦める事なんてできなかった。
もし、ただ告白してフラれただけだったなら、少しずつにでも諦められたのかもしれない。
でも僕は知ってしまっている。
何か少しの歯車が違えば、僕と吉田さんは恋人になれるのだという事を。
僕の体験として、記憶として刻まれているこの事実が、一縷の希望であり呪いだった。
◇
その日の放課後。
昼休みが終わってからも吉田さんが退部する理由について考えを巡らせてみたが、答えは出なかった。
陸上部の顧問に話を聞こうかとも考えたが、帰宅部の僕がなんの接点もない女子の情報を教えてくれと言っても難しいだろう。そもそも、そんなコミュ力も持ち合わせていない。
トーマからひとみさんに探りを入れてもらうのがベターかもしれないが、吉田さんのプライバシーに関わる事だと教えてくれないかもしれない。
逡巡しながらもどうすべきかは分からず、とりあえず身支度をして教室を出た僕。
なんとなく陸上部が練習している校庭の方へ向かってみる。
「あれ?」
練習に励む数十人の部員に紛れて、吉田さんの姿を見つけた。
右へ左へ踊るように跳ねる彼女のポニーテール。
部活をする上では邪魔になるだろうその長い髪は、いつも通りト音記号のヘアゴムで束ねられている。
いつもと変わらぬ彼女は、退部する生徒には見えない。
(どういう事だ?)
ただのトーマの勘違いだったのだろうか。またはまだ辞めていないだけで、辞める事は決定しているのか。
「おーい詩音、先帰るなら言っとけよ」
そう言いながら、噂のトーマが駆け寄って来ていた。
「ごめんごめん、ボーッとしてた」
「なんじゃそりゃ。今日は俺んち来ないんだっけ?」
クラスが違う僕たちは、お互いどちらかの帰りを待って一緒に下校するのが日課になっていた。なので、今日は僕がすっぽかした形だ。
「いや、行くよ。ていうかさ、アレどういう事?」
「ん?」
僕は校庭のグラウンドを指さした。
その先にいる吉田さんの姿を見つけて、トーマも驚いた。
「なんでフツーにいるんだろうな?ひとみの話だから退部するのは間違いないと思うけど……」
そしてトーマは小さく「あ、やべ」と呟いた。
「すまん詩音、吉田さんが退部するって話、一回忘れて!」
「え?」
「そーいや、ひとみが誰にも言っちゃダメって言ってたわ」
ガハハ、とどこぞの中年オヤジのように笑い飛ばすトーマ。
コイツは……。そういえば前の世界でも勝手にひとみさんが腐女子だとバラしていたし。
「無意識に人の秘密を漏らす特技でもあるのかお前は。」
「まぁまぁ、そういうことで内密に頼むよ詩音クン。」
こうなると余計に探りが入れにくくなってしまった。
なぜひとみさんからコイツに情報が流れているのかはわからないものの、人が内緒にしている事を暴くのは至難の業だ。しかもそれが、一度自分がフラれた相手なら尚のこと聞き出しにくい。
……仕方ない。気が進まないが、これも僕たちの未来のためだ。
「悪いトーマ、やっぱり今日は先帰ってて。用事あった」
「あ、そ? その後は?」
「うーん、遅くなるかもだから今日はやめとこうかな」
「りょーかーい。じゃあなー」
言うや否や、トーマは手を振りながらさっさと帰っていく。彼は放課後になるとゲームの事で頭がいっぱいになり、最優先事項が『帰宅してゲームする事』になるので、僕が言った『用事』について言及するような事はしてこない。
僕は横目でチラチラと吉田さんの走る姿を視界に入れながら、西陽が差す校舎へと歩き始めた。