2.日常の終焉
放課後。
ウダウダとその後の顛末を話そうとするトーマを制止して、教室にいない吉田さんの居場所を尋ねる。
しつこいようだが、僕の彼女となった吉田琴音。
僕と彼女は今年から別のクラスになってしまった。ついでに言うとトーマとひとみさんも、吉田さんと同じクラス。
高一の時は僕を含めたこの四人は同じクラスだったのだが、二年生のクラス替えで僕だけ別のクラスになってしまったのだ。
別にこれは先生の嫌がらせという事ではなく、単にそれぞれの進路の違いによるものだった。とはいえ、また方向転換して三年生で同じクラスになる可能性もあるにはあるのだが。
とにもかくにも吉田さんと一緒に下校する為には、トーマ達がいるこの教室を訪れてナンボである。
「しらねー」
しかしトーマが彼女の居場所を知るはずもなく。
「つーか付き合ってんならそんなの先に約束しとけよ」
「正論はやめろ! 僕は吉田さんの居場所を聞いてるんだ!」
「だ、ダセェ……」
「僕は彼女のためならいくらでもダサくなる覚悟なんだよ?」
「キモイからやめとけって。付き合ったっていう事実がなかったらお前結構ヤバい付きまとい……、いや、お前まさか」
「桐島くん、琴音になにか用?」
「あ」
トーマが冗談でも言ってはならないような事を言いそうになっていた矢先、ひとみさんが割って入ってきた。
昼休みの事があったので、一瞬ビクついてしまう。ごめん、ひとみさん。
「いや、ちょっとね」
「ふーん。琴音ならホームルーム終わってすぐに職員室行ったわよ。先生に話があるんだって」
「そっか! ありがとう!」
どっかの使えないゲームオタクと違って、ひとみさんは苗字の通りまさに神だ! 本人としては、仰々しく感じるその苗字があまり好きではないらしいけど。
「どういたしまして。でも桐島くん、あまりよその教室で騒いじゃダメだよ」
「気を付けます!」
言うや否や、僕はすぐに職員室へ向かった。
あれ。でもあの様子だと、ひとみさんもまだ僕たちが付き合っている事を知らないのかな? トーマがまだ知らないと思って知らないフリをしていただけだろうか。
なにか引っかかる気がしたが、今はそんな事より吉田さんの元へ向かわねば。
◇
職員室のドアの前に、彼女はいた。
肩甲骨あたりまで垂れ下がった、トレードマークのポニーテール。そしてそれを束ねるト音記号のヘアゴム。
いつもと変わらぬ出で立ちの吉田さん。しかし僕は、ほんの少しの違和感を覚えた。
いつも明るく笑顔の彼女が、見たことの無い表情で俯いている。それはなにか、暗く落ち込みそうになる気持ちを無理やり笑顔で上書きしようとしているかのような、複雑なものだった。
そんな風に彼女を見つめる僕の視線に気付いたのか、ふいに顔を上げて僕の方を向いた。
ニコっ、と微笑む吉田さん。
可愛すぎる。
この笑顔があれば、ご飯三杯はイケる。それどころかエナジードリンクなみの活力までも与えてくれる勢いだ。
生きる無限エネルギー供給体、完全を超えた究極生命体。太陽よりも太陽。
天使、いやさこれがホントの神!! (ゴメンひとみさん)
「詩音くん。どうしたの?」
彼女の少し潤んだ瞳がキラキラと輝き、その美しさはより神々しさを帯びる。こんな人が僕の彼女だなんて!!
「……詩音くん?」
「は!」
いかん、半分意識がトんでいたようだ。
限界突破している彼女の美しさにヤラれてしまったのだから仕方ない。
「ごめんごめん。今日は吉田さんと一緒に帰ろうかと思って」
「ごめんなさい!」
あ、あれ? 速攻で断られたぞ?
あまりの不意打ちに、告白してフラれたかのようなショックを受けてしまう。
「ちょっと先生との話が長くなりそうだから、詩音くんは先に帰ってて」
感じた事が顔に出ていたらしく、僕の表情から察した吉田さんは慌てた様子で言葉を繋げた。
だ、だよね。僕たち付き合ってるんだもんね。
「じゃあ僕、それが終わるまで待ってるよ」
「それだと私が気になっちゃうから、今日はホントに帰ってていいよ」
「……そっか、わかった」
言葉や態度は優しく、僕への気遣いを感じる。けれどなんとなく、どこか有無を言わせぬ固い意思を感じる彼女の眼差しに負けて、僕は大人しく帰る事にした。
◇
荷物を取りに自分の教室へ戻りがてらトーマのクラスを覗くと、「アイツ、副委員長の仕事を私に押しつけてサッサと帰ったわよ」とひとみさんが教えてくれた。
そういえばトーマは、今のクラスでは副委員長だった。ひとみさんと違って優等生でもないアイツが副委員長になったのは、ひとえに人望のおかげだろう。それこそ皆に押しつけられただけ、とも言えるが。
とにかくそんなわけで、今日は一人帰宅が決定した。まあいい。自分から友達より彼女を優先する姿勢を見せたのだから、文句は言うまい。
吉田さんと帰る予定がなくなってヒマになったし、やっぱり今日もトーマの家でゲームでもやろうかな? などと考えながら、僕は自分のクラスの教室に入る。
「あれ?」
やけに静かだ。
なんだかんだ帰りのホームルームが終わってから30分も経っていないのに、教室には既に誰も居なくなっていた。
いつもならグループでお喋りしている者や、のんびり部活の準備をしている者がパラパラと残っている時間帯。
たまたま教室にいないだけなのか、カバンが置き去りになっている席もいくつかある。
なんとなく黒板の上にある壁掛け時計が目に入ったので、時間を確かめる。
15時50分。本格的に夏が始まろうとしている今の時期は、まだ陽が沈むような気配はない。……はずだった。
「え?」
僕は驚いて、大きな声を出してしまう。
窓の外に見える空は、異様としか言えないものだった。
ほぼ紫色に見える、どんよりとした赤色。
雲は見えないのに、空の色がまだら模様に変色し、グシャグシャに絵の具を混ぜている途中のパレットの様だった。
おかしい。明らかにおかしい。
ついさっきまでは普通の空だったはずだ。こんなことになっていたなら、絶対に気付いただろう。なにより誰かが騒ぐに違いない。
そうだ。こんな事になっているのに、どこからも誰の声も聞こえない。
それどころか、よく考えたら運動部の掛け声も吹奏楽部の楽器の音も、鳥のさえずりも風の吹く音さえも聞こえてこない。
「ま、マジでどういう事……?」
心拍数が急上昇する。
何かとんでもないことが起こっているのでは?それとも僕の頭がおかしくなってしまったのだろうか。
ぐにゃりと視界がぼやけているのか、それが変な色の空が引き起こした目の錯覚なのかもわからない。
「おい、お前なんでここにいるんだ!」
僕の背後から、なんの前触れもなく大声が聞こえた。
心臓が飛び出しそうになるくらいビビってしまう僕。
「え、誰?」
振り向いた視界の先に居たのは、見知らぬおっさんだった。