1.日常①
昼休み。
生徒の少ない特別教室棟、正門側の階段を登りきった先の突き当たりにある、四六時中施錠しっぱなしの屋上へ続く扉の前。ここが僕らの定位置だ。
たまに人が来ても、ここで陣取って昼メシを食べている僕らの姿に気付くと引き返していく。そりゃそうだ、こんな場所を選ぶような人間は、他人と関わりたくはないだろうから。
「脈絡なさ過ぎだろ!」
僕の話をひと通り聞き終えた水森冬馬、もといトーマが渾身のツッコミをしてくれた。
早朝ランニング中にたまたま会ったクラスメイトに告白する。
そう聞けば確かに脈絡がないかもしれない。
でも『あの公園で再会したら告白する』と決めていたんだからしょうがない。
「その無謀さで人生一度の初告白をムダに使っちまったわけだな。かわいそーに」
そう言いながら優しく僕の肩に手を置くトーマ。
うーん、こいつは何か勘違いをしている。
「いや、OKもらったんだけど」
「みなまで言うな。放課後は俺ん家で、お前の気が済むまでモンパン付き合ってやるから」
「いや、それお前がゲームやりたいだけだろ」
「まぁまぁ。あ、それかあれだな、コックリさんで運命の相手を占ってみるか。いや、壮大な宇宙の法則について語り合ってちっぽけな失恋の事は忘れるってのもアリだな」
「いやだからゲームもオカルト話も全部お前がやりたいだけだろ! ほんで僕、OKもらったんだって!」
「……ほへ?」
漫画でしか聞いた事のないような言葉を吐きつつ、感情のない顔でトーマは僕を見た。
僕はトーマを見つめ返し、彼の容姿についてコメントしてみる。
「いやー改めて見るとトーマって結構イケメンだよね。コンタクトに変えて髪伸ばしたらモテるんじゃない?」
彼女ができた余裕だろうか。トーマにこんなアドバイスだってできてしまう。
こう言ってはなんだが、彼の見た目はボウズにメガネという非モテセット。
とはいえ二次元の沼にハマらずにモテ要素にパラメータを振っていれば、こいつは普通にモテるハズなのだ。
トーマはオタクだろうがヤンキーだろうが分け隔てなく接する気の良い男だ。本来なら僕なんかと仲良くならなそうなこの陽キャは、ゲームの趣味がバッチリ合うというキッカケに始まり、僕とつるんでいる。
今の僕ならそんな陽キャ相手にでも助言ができるのだから、人は変わるものである。
そう。なぜなら僕には、彼女がいるから!
「フツーにムカつくのは置いといて、お前マジで言ってる?フラれて頭おかしくなっただけだよな?」
「ふん、なんとでも言いなさい。疑われたって事実は変わらんよ!」
「キャラ定まってねーな! いや、てかマジか? そんなん時空ゆがめたって叶わぬ恋だろーよ」
「でも実際叶っちゃってますからねぇ」
「つーかそれがマジだったら朝イチでひとみが言ってきそうなもんだけどな……」
「そんじょそこらのウワサ好き女子と違って、ひとみさんの口は軽くないってことだろ」
神ひとみ。
トーマの幼なじみにしてクラス委員長、そして僕の彼女こと吉田琴音の親友だ。
トーマと同じくメガネルックだが、彼女のそれは知的アイテムとして機能している。地味な容姿だが(失礼)しっかり者で、まさに委員長タイプ。
髪はいつも三つ編みのおさげ髪。勉強ができて先生ウケも良い優等生である。
そんな彼女が軽々しく、親友の恋愛事情を言いふらす訳もないだろう。
「いや〜、アイツ意外と恋愛脳だからなぁ。そういうハナシ、大好物だぜ?」
「そうなの? それは意外だな」
「そういうこと。だからそんな格好のネタがあれば俺に言わないとは思えねーけどなぁ。あ、でもアイツ腐女子だっけ?」
「いや、だから知らないよ」
そんな話をしていると、急に周囲の空気が張りつめたような感じがした。
そう思うと同時に、コツ、コツ、と階段を上がってくる音が聞こえてくる。なんで急にホラー展開?
僕らが居る屋上前の扉側から見下ろす形になっている階段の踊り場に、ぬっと現れる人影。階段を一段飛ばしに上がっているのか、一歩一歩の間隔は長く、ゆっくりとした足取りでこちらにやってくる。
さっきまで元気よく喋っていたトーマも、踊り場の方を見つめて固まっている。
壁に映ったシルエットから、それが女生徒であることは見てとれた。その影は階段を登りきって姿を現すよりも先に、声を発する。
「ワタシノハナシ、シテタ?」
怒気を孕んだ声音に、思わず震え上がってしまう。
夏休み前の七月、真っ昼間だというのに寒気を覚えた。
音量は大きくないはずなのに、耳元で凄まれているような迫力が僕らを戦慄させる。
「ねえ、私の話、してた?」
いよいよ踊り場から姿を現したのは、案の定、神ひとみだった。
しかし、その声色とは裏腹に、表情はニッコリと朗らかだ。逆に危険なヤツだこれ。
「やべ」
何かに思い当たった様子のトーマ。何かやらかしていたのか。
こう言っては悪いが、よかった。あの恐ろしいまでの怒りは僕にぶつけられるものではなかったようだ。助かった。
「桐島くん」
「!?」
唐突な呼びかけに僕はビビり散らかしてしまう。
今の彼女は、湯気が立ち上るようにゆらめく漆黒のオーラをまとっているような気がする。
「桐島くん。今、トーマが何か言ってた?」
あ、そういうことか。
これはあれね、あーハイハイ。完全に理解した。トーマのヤロウが勝手にひとみさんの秘密を喋っちゃったパターンのヤツね。
じゃあ僕、巻き込まれただけじゃん!!
「あー、いや、その〜……。たはは、なんだっけ? 忘れちゃったや」
必死に笑顔を作って、ひとみさんに答える僕。恐怖で顔が引きつっております。
「そう? 恋愛脳がどうとか聞こえた気がしたんだけど、勘違いだったかしら?」
そっから聞こえてるんかい!
詰んだ。全部聞こえてたんですね。
「そ、そんな事をトーマ君が言っていたような気もするけど、僕は覚えていません!」
「! てめぇ!!」
悪いなトーマ。お前の味方をするメリットがひとつも無い。
というかそもそもお前が悪いだろ!
「そっか。じゃあ桐島くんは完全に、なにも覚えていないのね?」
「もちろんであります!!」
僕は即答し、直立不動の姿勢で天井を仰ぐ。
よく訓練された下僕よろしく、完全降伏の態度を示す。この窮地を脱するにはこれしかない!
「よし。じゃあそろそろ昼休み終わるから教室戻った方がいいよ」
「ありがとうございます!」
ひとみさんは僕に優しく微笑んだ。
だが今の僕には彼女の方を見ることさえ恐れ多かったので、真っ直ぐ前だけを見て階段をかけ下りる。背中の方で誰かが「薄情者〜!」と言ったような気もするが、気にしないでおこう。
さらば友よ。またいつかゲームやろうぜ。
これから散りゆくトーマに心の中で別れを告げ、僕は教室へ戻る。
本人のいないところで勝手に腐女子とか言っちゃダメだよな。
あ、そういえば。
いつも放課後はトーマとゲームをしていたけど、彼女ができた僕はもうヒマじゃない。今日はさっそく吉田さんと一緒に帰る事にしよう。
さっきまでの事を忘れ、恋人と歩く帰り道を想像してニヤける僕だった。