前世の記憶3
私が高校生になるとお姉ちゃんは東京で就職すると言って出て行った
おじいちゃんとおばあちゃんは勝手にしろと言いつつも保護者としての手続き、引っ越しにかかる費用や交通費、今後の生活費等してあげられることは全部していたから、複雑ではあるものの孫への愛情はあったのだと思う
私は、簡単には顔を合わせることはなくなるのだと思うと少しホッとしたような、寂しくなるような、よくわからない感情だった
お姉ちゃんが家を出る前日、珍しく私を殴ることは無かった
お兄ちゃんが寝静まってから私の部屋に入ってきて…
「私はあんたが羨ましかった
お母さんに似てて美しい見た目も、おじいちゃんやおばあちゃんに愛されていることも、私には無いものだから、妬ましくて虐めたの
お母さんが死んだことまで花のせいにして…
…謝って許されることじゃないし、許してもらえるとは思ってないから、だからせめて遠くで暮らすよ
もし今後ばったり会うことがあっても、家族だと思わないで…他人だと思って無視してほしい
私は何もかも新しくやり直すつもりだから、縁を切るって前提で東京で暮らせるようにしてもらったの
…良いお姉ちゃんになれなくて、ごめん」
初めてちゃんとお姉ちゃんの本音を聞けた、最初で最後の時間だった
(お母さんが死ぬ前みたいに仲良くしたかったな…)
でも私は今までお姉ちゃんにされてきたことをあっさりと許せるのかと言われると、きっと無理だから
この日から私はお姉ちゃんを死んだことにした
私から家族がまた一人いなくなった
お姉ちゃんを送り出してから1年後、相変わらず兄に殴られたり学校でいじめられながらも勉強や家事手伝いを頑張ったりして過ごしていた
急だった、おばあちゃんに脳腫瘍が見つかった
頭が痛いとよく言うようになったので、病院に行ってとお願いしたところ、検査で影が出て…
運悪く悪性だったために、検査からずっと入院していたものの、癌の転移が見つかり余命3ヶ月と診断された
おばあちゃんには治療してほしかったが、保険で高額の医療費を払うよりは痛くないように安らかに死にたいと本人が願ったため延命治療はせずに麻酔で痛みを誤魔化し余生を過ごす事になった
私もおじいちゃんも治療してもらえるように説得したがだめだった
せめて少しでも苦しまないよう願うしかできなくて…
入院してから一ヶ月後、急激に悪化しておばあちゃんは亡くなった
おじいちゃんと一緒にたくさん泣いた、お葬式の準備も手伝ったし、これからは家事も農業も私がおばあちゃんのように頑張ると決めた
お葬式にはさすがにお姉ちゃんも出ると思ったけど、現れることはなかった、そこで初めてお姉ちゃんは本当に私達と縁を切ったのだと実感した
父方のおじいちゃんやおばあちゃんのように、おじいちゃんもおばあちゃんを追いかけてしまうのではないかと心配していたが、おじいちゃんは花がいるから、まだしばらくは頑張らないとなとおばあちゃんの仏壇に話しかけているのを聞いてホッとした
おじいちゃんまでいなくなってしまったら、私はきっとおかしくなっていただろうから…