『九識湊』
さて、突然だが僕は少々焦っていた。何故かと言えば、僕が今夢を見ているという自覚があるからだ。
熾天使である僕の夢での時間経過はかなり引き延ばされる。普通の人でも6時間程度の睡眠で6時間以上の時間を夢で過ごしたことがあると思う。僕の場合はそれが極端で、天界での15分程度の休憩を寝て過ごした時は数年分の夢を見たりした。
そして今僕が夢で過ごした時間は…人間として生きていた頃の記憶から天使として過ごした時間。つまり50億年以上の時間を夢で過ごしていた。
いくら天使の思考能力が高く、夢での時間が加速されているからとはいえ…50億年以上が経過したら現実でどれだけ時間が経っているのかわからない。天使になってから長時間寝たことないし。
「目覚ましなんてかけなかったからなぁ…」
そもそも寝る時に何時起きる!と決めていればその通りに起きれるけど、そんなこと考えずに寝てしまったから本当にどれだけ寝ているのかわからない。
「何時まで続くのかなぁこれ」
そんなことを呟きながら、夢をぼんやりと見続ける。今は僕が母さんとの買い物から帰ってきた後、溶けるように眠りに落ちた場面から変わり、今までの夢の中で唯一見ていなかった場面を追体験していた。
「昨日上がってた動画見た〜?」
…僕が、『九識湊』が死ぬ前の最後の時間。僕は今となっては懐かしい男の体で、懐かしい友人の隣を歩いていた。性別は違えど僕と似たような境遇でありながら、努力とその精神性で自分の幸せを手繰り寄せている友人。
僕のようなしみったれた人生よりも、よっぽど価値のある人生を送っている友人。
…悲鳴が上がる。友人が見せてきたスマホの画面から道の先へ視線を移す。
視線の先にはフードを深く被って、ナイフを持ってこちらに走ってくる人物。すぐに『通り魔』という単語が頭に浮かぶが、まさか僕らには襲ってこないだろう…と思いながらも通り魔から庇うように友人の前に立つ。
「ねぇ…何かあったの…?」
後ろからの声に振り向かずに「大丈夫」とだけ返して視線は通り魔から外さない。道の脇に居た僕らは素通りされるだろう…そんなことを考えていると、通り魔と視線が合う。背筋に寒気が走った。
こいつは人から奪う人間だ。一方的に、理不尽に。
自分が殺されるかもしれない状況でも、案外冷静に思考が巡っていく。
ナイフを持った人間に勝てるわけがない。…そもそも戦おうとするのが間違いだ。でも…
「ひっ…」
後ろに庇った友人が、腰を抜かして座り込む音がする。…だめだ、もう僕は逃げられない。この友人を置いて僕が逃げるなんてできるわけがない。
「うわあぁぁぁぁあああ!!」
通り魔の叫び声がすぐ近くで聴こえる。…どっ、と鈍い衝撃が体を襲う。「刺されたな」なんてぼんやりと考えていた時、至近距離にあった通り魔の顔が目に映る。
「……は?」
僕を刺した通り魔は、僕の後ろに目を向けていた。腰を抜かしてへたり込んでいる僕の友人に。ずるり、と僕の体からナイフが抜けていく感覚を感じた瞬間に、僕はそのナイフを通り魔の手ごと捕まえていた。
「な…何を…!ひっ?!」
お前は何をしようとしているんだ?ふざけるなよ?
僕だけなら殺されてやっても良い。僕だけで満足しておけばよかったんだ。僕みたいな価値のない人間なら、お前みたいな訳のわからんやつにでも殺されてやってもよかったんだ。それだけは許せない。
「は…放せっ!…ぶっ?!」
通り魔の手をしっかりと左手で捕まえて、空いた右手で思い切り通り魔の顔面をぶん殴る。通り魔が何かを言っているが、もう酸素の回っていない頭では何を行っているのかも判断できない。…ただ本能のままに通り魔を殴り続ける。いつの間にか通り魔に馬乗りになって殴り続ける。
殴る、殴る、殴る。通り魔が動かなくなっても殴る。殺す、殺す、殺す。僕が殺されても殺す。壊す、壊す、壊す。僕が僕じゃなくなっても壊す。
「…ん?」
気付くと周囲を通り魔に囲まれている。全員がこちらを恐怖の眼差しで見ているが、そんなことはどうでもいい。あの素晴らしい人間から全てを奪おうとしたお前は殺す。何時の間にか天使に変わっている僕の体もどうでもいい。お前の存在だけは僕が絶対に許さない。夢だろうがなんだろうがどうでもいい。僕が僕である以上、お前のようなモノだけは絶対に許せない。
殺す手段が増えたのは好都合だ。構成力を全力で振り回して力場を作り出す。周りに立っている通り魔達をぐちゃぐちゃにしていく。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ…その存在が無くなるまでぐちゃぐちゃに。
「……」
ひたすら無心で構成力を振り回し…ん?僕の一色に染まっていた思考にノイズが挟まる。…というか視界に映り込んできた何かによって思考が少し正常に戻る。
「…隕石?」
僕が振り回していた力場の隙間を縫うように、空から降ってくる炎の塊。っていうかアレって…葵?
そこまで思い至った時、これが夢だったことを思い出す。
「…マズくね?」
久しぶりになってしまってすいません。
はい。少しだけ湊君について深掘り回です。




