6,泥棒猫の正体
公爵令嬢シェスティン・エールソンがしなやかに退室する。
彼女に袖にされた王太子殿下が、その背を見送った姿のまま、唖然とし固まっている。
「殿下~」
私はメルタ・サンドベリ。伯爵家の長女たる私は、殿下の情けなさにため息をついてしまった。
その重々しい嘆息を聞き逃さない殿下が、機械人形のようにカクカクとこちらを向く。
「殿下。なんで、一か月先の予定確認で終るんですか」
「いや、それは……」
「殿下。その前の夜会なんて、何か月後の話ですか」
「それも……」
詰め寄る私に、殿下は一歩二歩と後退する。
「昨日、中庭のベンチでご助言した内容はどこに行ったのです」
「すっ、すまん。本人を前にすると飛んでってしまったんだ」
「夜会も茶会もほぼ公式行事です。公爵家のご令嬢または婚約者という立場で参加するわけです。殿下は、シェスティン様と親しくなされたいのですよね」
「うぅ、うん」
「せめてです。せめて、明日と明後日の休日に予定は入っているかどうかぐらい聞いてくださいませ。そうしなくては、一歩も前に進まないではないですか。
殿下が歩み寄らなければ、どうにも、始まらないのです。お分かりではないのですか」
私と殿下の間に、両手を広げて近衛騎士が立った。
「まあまあ、そんなに目を吊り上げないで、メルタ」
「カール。これは難題よ。殿下が変わらなきゃ進まないの。どんなにご助言しても、実行力が乏しければ、私にはどうにもならないわ」
始業開始五分前の予鈴が鳴った。
私たち三人の動きがピタリと止まる。
「殿下、この話はまたお昼にしましょう」
「わっ、分かった。よっ……、よろしく頼む」
「ここでダメなら、突撃しますわよ」
私がビシッと言い放つと、王太子殿下は情けなく薄ら笑い、近衛騎士の伯爵令息カール・ルーマンは目を閉じ額に手を当てた。
廊下を歩き私は、下級生の教室を目指す。
本鈴直前に教室に飛び事にこんだ。私はほっと息を吐く。
席は決まっていないので、手近な場所に座る。
偶然、前に座っていた同級生が二人振り向いた。
「メルタ。ぎりぎりね。大丈夫?」
「なんとかね」
「Bクラスから、殿下の傍に呼ばれるなんて名誉なことなのにね」
私たちは貴族の階級と資産などにより、三クラスに分けられる。Aクラスが王族、公爵家、侯爵家。Bクラスが伯爵家や子爵家。Cクラスが男爵家や資産家の豪商の子息になる。
「カール様のお願いでも、手を焼いてるのが顔に書いてあるわよ」
私は、ぱっと両手で頬を覆った。
「やだわ。顔色は整えてきたつもりなのに」
「あなたのその顔を見たら、誰も羨ましいなんて思えないわね」
同級生の気の毒そうなねぎらいの言葉と、講師が扉を開く音が重なる。
気を取り直した私は背筋を伸ばし、授業に向き合うことにした。
(結局、最後は、殿下がどうするかしかないのだから、私が気をもんでも仕方ないわね。どんなにシェスティン様と仲良くなりたい。気持ちを伝えるにはどうしたらいいだろうか、と言われて、相談に乗っても、あれじゃあ、始まるものも始まらないわ)