50,二人の約束
「これで分かったでしょう。あなたが、ベルンハルド王太子殿下の婚約者に選ばれた理由もね」
私ははっと背後に静かに立っていたベルンハルドを見つめた。
静かに笑んで、彼は私を見つめる。
「シェスティン。そろそろ、会場に戻ろう。私はまだ、あなたと一曲も踊っていない」
ベルンハルドが手を差し出す。ためらいながらも彼の手を取った。
「先に行って、シエル。父さんと母さんは、もう少し休んで、晩餐には参加する予定だからね」
「そうなの……」
「ええ。父さん、ダンスできなの。いたら、恥をかいちゃうかもしれなので、さがっていることにしたのよ。次は晩餐でしょ、まだまだ父さんは、王子様を演じなくてはいけなくて、大変なのよ。きっと明日は父さん、知恵熱出して寝込んでいるわね」
「明日は店、お休みするしかないね」
「ええ、明日はお休みしますって、ちゃんと張り紙してきたから、大丈夫よ」
「なに、俺。知恵熱って、子どもじゃないんだからな」
「出すだろ。調印式だけで、ぐったりしてたら、次の晩餐は真顔で挨拶しっぱなしなんだから」
「やめてくれよ、シーグル。命が削られる」
「父さん、寡黙ないい男風を装って頑張りましょうね」
シーグルおじさんのつっこみと、母さんの励ましに、父さんは半泣きになっている。
両親を置いて、私はベルンハルドと一緒に部屋を出た。
ダンスホール会場へ向かうのかと思いきや、彼はずんずん別方向に歩いているように感じた。さっきと歩く廊下の風景が違う。
「殿下、殿下。私たち、どこに向かっているの」
「どこって、一緒に踊れるところだよ」
「だって、この廊下。会場へ行くための廊下と違うじゃない」
「ああ、分かったの?」
ずんずん歩く殿下がぴたりと立ち止まり、私を覗き込む。今さらながら、綺麗な尊顔にどきどきする。
「黙って、ついてきてよ」
殿下に戸惑いながらついていく。
広いホールに出た。今まで見たなかで、一番大きな窓があった。繋いでいた手を離し、殿下は窓へ近づく。両開きの窓を自ら開けてゆく。
外気がふわっと流れてきて、かすかに音楽が響いてきた。
開け放たれた窓向こうに、月と星が輝く。殿下は振り向き、手を伸ばす。
「おいで、シェスティン」
花に誘われる蝶のように、ベルンハルドの傍へふらふらと向かう。あがらうことなんてできないんだ。
(私は、殿下が……、ベンが、ベルンハルドが。好きなんだ)
近づく私に一歩近づくベルンハルドが私の手を取った。
「おいで」
流れてくる音楽。
輝く月明かり。
星が無数に光る。
そんなベランダへとベルンハルドは私を連れてきた。
ベランダの端まで来る。
見下ろすと、城下が一望できた。
彼方には海が見える。大きな港の端っこにある小さくちかちかと光る市民の漁港が私の故郷だ。
そして、この海の向こうに、父の生まれた国がある。
眼下には、私が暮らす小さな飲食街以上に広い広い人の営みを映す明かりが星よりもたくさん瞬いていた。
「殿下」
「ねえ、シェスティン。あなたも色々背負っているように、私もけっこう色々背負っているんだ」
「はい」
そうだろう。
この人は、この国の王太子。いずれは、王になる方だ。
「あなたも、父や母、その昔から続く人々の思いの上に生きているように」
殿下は私の手を両手で握りしめ、胸元に寄せた。
向き合う私は、燃える朱の瞳に魅入られる。
「私と貴女が背負うものを、はんぶんこして一緒に生きていこう」
「はんぶんこ?」
「そう。一人で背負うのがつらかったら、分かち合おう。ねっ、寄り添って、分かち合って、苦楽を共にして、生きて行こう。
ううん。私が、あなたと一緒に、いたいんです」
優しい言葉と瞳に包まれて、私はふわっと身が軽くなる。一人で背負おうとしているものを、分かち合える人。
そんな人が、目の前にいる。言い知れない悦びに震えた。
「はい。殿下、私も……。私も、殿下と、一緒にいたいです」
ベルンハルドが満足そうに笑う。
私は気恥ずかしくて、照れてしまう。
「シェスティン。いいや、シエル。愛してます」
私の握った手を口元に寄せる。身を屈めた殿下の額と私の額が、月明かりの下で、こつんとあたった。
最後までお読みいただき、心よりありがとうございます。