5,図書室での一幕
女の子三人を振り切って、ずんずん廊下を進み図書室についた。借りた本を返しにいくの。公爵家にも本があるけど、とても古い本が多い。最新の本を求めるなら、やっぱり図書室がいいわ。入荷しやすいのよ。
語学、歴史、料理、小説、一通りなんでも目を通す。理解に及ばなくても、見るだけは見る。平民に戻れば、こんな本を見る機会もきっとないのよ。
図書室に入るとすぐそこにカウンターがあり、司書がいる。本を渡すと、返却終了。あとは、司書まかせ。
授業まで時間がある私は本棚の間を散策する。
本の香りが好き。背の高い本棚の間を歩くのも好き。何度も往復しているのに、その日によって目につく背表紙が違う。
本なんて市民の手には渡らない。本を持っている一般市民はない。手仕事や技術を実地で覚えることが多い世界。技術も大事。この建物も、本棚も、内装も、すべての物を作る技術を持っているのは彼らだ。
(本だけじゃ、伝えきれないこと、身につけられないこともあるのよね)
壁面一杯の本を眺めて、引き返す。
振り向くと、そこに王太子殿下がいた。
珍しいとは思わない。
私のルーティンを知っている彼は、なにか用事があると、この時間帯を狙うのだ。
「ごきげんよう、殿下」
私は、スカートをつまみ、一礼する。ちらりと置き時計を見る。授業時間が迫っていた。
「おはよう、シェスティン」
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「今日も天気が良くて、清々しい朝だね」
「はい。雨も夜分にふりましても、朝方に晴れてくれてとても過ごしやすい気温ですね」
「シェスティンは今日は本は借りないのかい」
「一通り読んでおります。次の新刊入荷待ちです。ところで、殿下。今日は何用ですか」
「用というか……」
歯切れ悪く、ちらっと視線を外す殿下。いつもの余所余所しい表情だ。
(家同士が決めた婚約者に気をつかう必要はないのに)
「では、ご機嫌よう。授業もありますので、先に失礼させていただきます」
「あっ、待って。シェスティン」
歩き去ろうと横を通りすぎかけた私に殿下が声をかける。
「そう遠くないうちに、城で夜会がある」
「そうでしたっけ……」
近々の予定を思い返す。思いつく日取りはなかった。
「その前に王妃主催の茶会もある」
それは覚えている。一か月以内にあることだから。つまり夜会は来月以降の話。
じっと殿下を見つめると、周囲を気にしているのか、殿下の視線が左右にぶれる。
私は殿下の返答を待つ。急かしても不敬だもの。
長い黒髪に見え隠れする朱色の瞳が左側に寄っていたので、どうしてもその先に私の視線も誘われてしまった。
殿下の影に重なる本だなの端っこに、愛らしい泥棒猫ちゃんが隠れていた。
私と目が合うと、パッと隠れてしまう。
(嫌だわ。長居して、変な言いがかりの原因を作りたくないわ)
「殿下!」
私は真っ直ぐに殿下の目を見つめる。
殿下がぴっとして、やっと私を見た。
「お茶会のお招きは王妃様より、お手紙を頂いております。養母と共にうかがいますので、ご心配にはおよびません」
「あっ、そうか。そうだな」
「では、殿下。私、授業がございますので失礼させていただきます。ごきげんよう」
踵を返すと、私はすたすたとカウンター前を横切り、図書室の出入り口まで進む。
扉そばに、殿下の護衛騎士が立っていた。私は会釈し、退室した。