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45/50

45,あなたのすべてが愛おしい

「つかまえた」


 シェスティンの首周りに片腕をまわして、彼女の肩に顔を寄せた。

 

 秒針より早く、時計塔の鐘よりも高らかに鳴り続ける心音が耳に痛い。


 シェスティンも緊張しているようだ。触れる彼女からも、私と同じぐらい早い鼓動が聞こえてくる。


(緊張しているのは、同じ……)

 

 臆病なのも一緒なのかもしれない。きっとそうだろう。人知れず、小料理屋を営む両親や庶民である自分をひた隠し、一人で背負っているのだ。それを知られてはいけない貴族の世界で、おいそれと信用したり、惚れたりなんてできるわけがない。負い目や弱みを握られまいとするなら、肩肘張るだけで精一杯であってもうなずける。


(私が踏み出さないと、始まらないんだ)


 大きく息を吸った。髪と皮膚よりもたらされる、香水よりかぐわしい、甘ったるい匂いで、肺がいっぱいになる。


「殿下」

「ベンでいい」

「……」

「シエル。ベンでいいよ」

「ベン……」


 寄せていた頭部にシエルの手が触れて、私の髪を撫でた。頭部に彼女の頬も触れる。甘ったるい、ぬくぬくとした感触を堪能する。


 もぞもぞとシエルが動き出す。名残惜しいところだが、頭部をもたげた。彼女の首周りに添えた腕は離さない。背もたれに背面をあずけ、もう片方の腕をかけた。

 

 はにかんだシエルが見つめてくる。照れくさくて、くすぐったくて、目をそらしたくなる衝動を我慢していると、彼女は私の頭部に添えていた腕を降ろした。


 余裕なんてない。怖くて、恥ずかしくて、照れくさい。でも、それは、きっと、彼女も一緒。


「久しぶり」

「……お久しぶり、です」


「シエルをほって置いてごめんね」

「ほって置くって……。こういう場では、殿下はご挨拶でお忙しいでしょ。いつも、ひっきりなしに誰かに話しかけられています」


「そうだね。昔からそれが当たり前だったから、ついつい婚約者ができても、その調子を崩せなくて……」

「それだけ、人望がおありともいえません?」


「そう? そう言ってもらえるのは嬉しいな。嬉しいけど、けどそれが、シエルを一人にしておいていいことにはならないよね」

「私は一人でも構わないわ。やっぱり、ここは気疲れするもの。ちょっとお茶を飲んで、ゆっくりする時間が途中でほしくなるのよ」


「息が詰まる?」

「そりゃあね。だって、見ているでしょ。素の私」

「うん。元気だったよね。慌てているところも可愛かった」


「慌ててって……」

「朝、すっごい勢いで、降りてって、戻ってきたじゃないか」


 私が喉を押し殺して笑うと、思い出したシエルの首筋が赤くなった。


「あっ、あれは。お客さんに布団を押し入れにあげておいてっていうのがですね。勝手がわからないだろうと、思いまして……」

「うん、あれは見慣れないよね。隣国の家に見られる様式なんだろ」

「そう、そうよ」

「なんでも、押し込んでしまいそうだよね」

「そうそう、なんでもとりあえず、押し込んでおけば……、ってなんで知っているんですか。もしかして、やっぱり開けました」

「ちらっと見ただけだよ」

「本当に、ちらっですか?」

「ちらっだよ。四角い取っ手をちょっとだけ横に引いて、戻しただけかな」

「本当ですか」

「本当、本当」


 慌てるシエルが可愛くて、ちょっとじらしてしまった。


「ねえ、シエル」


 肩に回していた腕を外し、指を曲げて、彼女の頬をさわさわと撫でる。


「私の婚約者は、あなたです」

「あっ、あのね。素の私は、でっ……」


 私は指先を立てて、口元に寄せた。

 何かを口走ろうとしたシエルがしぼむ。


「シエル。私の婚約者はあなたしかいない。素のあなたも含めて、公爵家が紡いできたことと、小料理屋の両親と、領地と王都の端っこの港町。それらすべてと繋がっているあなたがいい」

「私、本当はあんなんなのよ」

「あんなんて……」


 小料理屋で働いたり、買い出しに行く姿が浮かぶ。小気味よく動き、元気で、はっきりしていて、意志があって、いいじゃないか。


「貴族令嬢っぽくないでしょ」

「そう? 私はずっとあなたが貴族のご令嬢だと騙されてきたよ」

「騙されたって……」


「小料理屋の娘のあなたも、ここで貴族令嬢として周囲を気遣うあなたも、すべてシエルだよ」


 奥深く宿す毛色の違い。

 一見、それは別々のような存在であって、彼女のなかではしっかりと繋がっている。


 貴族令嬢として、私の見つめた時の瞳に宿す意志。

 明けすけな小料理屋の娘でありながら、気遣いや優しさを示す姿。


 すべて分断されているものではなく、彼女のなかでは融合する彼女自身。


「私は、あなたのすべてが愛おしいです」


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