31,お出かけをすすめられる
カンカンと階段を踏む音が響き、私とシエルが店の奥に顔を向けた。
「戻ってきたのね。シエル」
シェスティン、いや、シエルの母が顔を出した。
「母さん、休んでてくれた」
「もちろんよ。ちょっとお昼寝できてよかったわ」
「父さんは?」
「もう、降りてくると思うわよ」
(この方が、本来の公爵家のご令嬢。叔父上と婚約を解消された方なのか……)
婚約解消されてなお交流がある。さらに、あいての平民とも親しくしている。叔父の懐の深さが分かる。
過去に婚約解消している公爵家の所縁の者を、なぜ父は私の婚約者に選んだのだろう。当たり前に考えれば、過去にそのような前例がある家の者と再度縁戚を結ぼうなどと考えはしないだろうに……。
階段を降りる音が、私の思考を止めた。シエルの父が、あくびをしながら顔を出した。
「シエル、ありがとうな。ベン君も、ありがとう。娘を助けてくれて」
「いえ、なんてこともないです。こんなに重い荷物を一人で持つことはできないので、お役に立ててなによりです」
粗相があってはいけなと、義父に声をかけられると緊張してしまう。いや、ここにいるのは私だから、私とは関係ないのだが……。
目の前では、義母と娘が荷物の確認をしている。義父は、厨房に入っていく。カウンター越しに、義母が義父へと品を渡してゆく。
「ねえ、シエル。折角、ベンさんがいるんだから、今日の夜出かけたら」
「夜って?」
「今日は海で花火をあげるでしょ。前から見たがっていたけど、うちは仕事が仕事だから連れて行ってあげれないじゃない」
「でも、私……」
「歩いて見に行ったことはないでしょ」
「……歩いてはないわね」
シエルがちらりと私を見た。
なんだろう。それは期待する視線なのか、私の反応を探る視線なのか、判断できないぞ。困った。
「ベンは、花火を見たことある?」
「花火とは」
「隣国の文化で、火薬を詰めた玉を空に飛ばして、爆発させる様を眺めるの。とってもきれいなのよ。この時期は、晴れ間が多いから、二日ある休日のうち一日はうちあげるの」
「待て待て、夜だろ。いいのか、母さん」
厨房から身を乗り出してくる義父が慌てている。
「突然なによ。私たち、いっつも連れて行ってあげれないんだからいいじゃない。ベンさんがついているのだもの、大丈夫よ」
「でもな、でもな……」
「見えないところは気にしなくても、見えるところに来たら、途端に気にするのかしら、お父さん」
にやにやする義母に義父が口元を歪めて、黙ってしまう。義父の視線が私に向けられる。こういう場合は、なんと答えるのが妥当なんだ。
「見に行ったことないなら、綺麗よ。一度は見ておいて、損はないと思うわ」
隣のシエルが追い打ちをかけてくる。
義父の表情が引きつっているように見えるのは気のせいか。
「気にしなくていいのよ。私たち、仕事だもの。これからのお手伝いもいいから、ベンさんと楽しんでいらっしゃいな。ねえ」
両手を合わせて、胸元に寄せ、くいっと横に曲げる。義母、強し。笑顔ですべてを説得する。義父や私の戸惑いなど、嵐の中の小舟のように、押し流していく。
「……私も、なかなか行く機会ないから、行きたいな」
シエルが横で呟く。
私がぐっと拳を作った。
「じゃあ、行こうか……」
シェスティンに切なそうに呟かれて、私が遠慮できるわけもない。
これで、また私の株をあげてしまう。私のせいで、私が危うくなるばかり!