30、積み重ねて今がある
シエルと二人きりで歩く。
市場を抜け、メイン通りに向かって進む。
彼女の両親が営む店に帰ってきた。がらりと入り口を開ける。
「ただいま、母さん、父さん」
がらんとして、店内には誰もいない。
「シーグルおじさんも帰られたみたいね。父さんと母さん、ちゃんと休んでいたかな」
シエルがカウンターに品を置いたので、私も同じように卵が入った麻袋を横にそっと置いた。重なっている卵が割れないように注意する。
横に立つ彼女が私に顔を向けた。
「今日は夜遅いんだから、若いつもりで休まず働いてたら、どこかで倒れちゃうわよ。ねえ、そう思わない」
同意を求められても、一般の人々の生活はよく分からず、困ってしまう。
「シエルの両親は、働き過ぎなのか。市民とはそういう生活をしているものなのかな」
「そうね。普通の市民はいっつも仕事しているわ」
「休みもなしに?」
それでは身が持たないだろう。市民がそんなに仕事ばかりになってしまっているのは、なんだか申し訳ない。
「違う、違う。うちは平日に休むから、休日忙しい仕事ってだけよ。お休みが普通の人とずれているだけだからね。人が休む時に働き、人が働くときに休むのよ」
「休みなしに働いているわけではないのか」
「もちろんよ。一般市民が休みもなく、働いてばっかりと言うことじゃないから、安心して」
「へえ……。私も、まだまだ知らないことばかりだね」
苦笑すると、シエルが笑む。シェスティンの時と違い、親し気に私を見る。
これが私ではなく、私に向けられたものなのだと思うと少し胸苦しい。
「国が把握するような大きな数字上の経済と、市民が体感する経済には違いがあるわ。私たちは、仕事と家庭のバランスがとれていればいいのよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものよ。家族と、住んでいる街がすべてだもの。そういう意味では、こうやってちゃんと生活が営める場があることが大事なの。活気があることは、本当にいいことなのよ」
シェスティンが面白いのは、私の知らない目線で話をするからかもしれない。言葉にはしなくとも、彼女はいつも私とはまったく違う目線で世界を見つめている。
隣国という異文化に慣れ、市民と貴族を往来する彼女だからこそ、いつも出会う貴族のご令嬢にない刺激がある。
「活気は大事なのか?」
「活気があるって、余裕があることなのよ。
一見、荒れているように見えたさっきの男の子たちだって、近いうちに、このままじゃいけないとどこかで働き始めるわ。誰かが、働き口を与えてくれるのよ。仕事してお金を得て、また変わるわ。余裕があって、おおらかだから、人に手を差し伸べられるのよ。余裕がないところでは、助け合う前に、奪い合うことになるもの」
「それは由々しいな」
「昔、ここがそういう場だったのよ」
「そんな時代、あったかな」
「あったんだけど、見向きはされてなかったのよ。丁度、隣国が争いを始めて、漁船が海に出ると、巻き込まれて、落とされちゃうの。それで一気に仕事が減ったのよ。船が無くなること、海へ出れないこと。色々重なっていたのよ」
「……歴史の授業ではあまり学ばないことだね」
「そうね。争いはほんの数年間だもの。そのあおりをくったのも、限られたこの地域だけ。見向きもされなくて当然よね。仕事を失う打撃に加えて、隣国から流れてくる人々もごった返して、人口密度も高くなり、衛生面も悪くなって病気も流行って、子どももたくさん死んだわ。水道も通わないため、水さえ手に入れられない時代よ。どれだけ大変だったか、想像にかたくないでしょ」
「もしかすると、その時期に、公爵がこちらに移り住んできたのだろうか」
「御名答。自領の廃棄するか、出荷できないか、間引いた食べ物を流して、少しづつ仕事と食料を増やしていったのよ」
凛としたシェスティンの声が私の胸に響く。彼女は私の知らないことを教えてくれる。真っ直ぐに意見し、臆することもない。
私にとって、得難い何かがそこにあり、そのすべてに触れたくなる。
「ベン。どうしたの? なにか、変」
「いいや。とても勉強になった。ありがとう」
「そう。ここに住んでいたら、誰でも知っていることよ」
「でも、私は、知らなかったよ」