28、溶けてきえたくない私
卵と肉を買った後、店に戻る間に、野菜を売る店を数軒回り、数種類の野菜を購入した。新たな麻袋につめてもらう。
ベンは何も言わずに、荷物を持ってくれる。
ベルンハルドのことを知っていると思っていた。いつも丁寧な接し方で、悪くとらえれば、事務的。いつも公式の場ではマナーを守り、婚約者である私を立ててくれる。
公爵家と王家の間で決められたことだから、当然のことをしてるだけの人。
私には、ずっとそうとしか見えなかった。
ふと離れれば彼の周りにはいつも人が集まってくる。女性も男性も問わない。魅力がある人だとは分かっていた。
優しい人って、誰に対しても優しいのよ。特定の誰かに優しいのではなくて、誰にでもそうな人の自然な接触を勘違いするのは、おこがましいわ。
やさしいはベルンハルドの人に対する基本姿勢。型にはまった対応。決められた範囲の付き合い。貴族や王族らしいと言えば、それらしい。
嫌われてはいないけど、好かれてもいない。
窮屈で、役割を求められるだけの飾られているだけの私なんて嫌だった。
本当の私は、こうやって市民としての暮らしが馴染む、偽物の令嬢。
祖父母が一生懸命、導こうとしても、育ちから見についたものを取り払うことはできない。
私は市民としての自由を知っている。
豪華な衣装を着てても、誰かに見られて、他者に映る姿を気にして生きる。そんな生き方をずっと続けられるとは思えない。
ベルンハルドの婚約者に、私は最も適さない。
(ねえ、分かるでしょ。こんな生活は半分抱えて生きる女の子が、あなたの隣に立てるわけがないことぐらい)
「どうしたの、シエル」
私の視線に気づいたベルンハルドが不思議そうに問う。今はベルンハルドではなく、ベンね。
「今日はありがとう」
「持つと言って、ついてきているし……。このぐらい軽いよ。女の子が持つには重いもの」
「そうね。一人だと、三往復はしていたと思うわ」
「いつも、そんな風にしているの?」
「うん。私、ここにいつもいるわけじゃないもの。父さんと母さんと離れて暮らしているの。休日の特別な日しか帰れないのよ」
「……寂しい」
「そう見える?」
「少し……」
「子どもの時、これが一番良い選択だと思ったのよ。今も、半分だけ、これでよかったと思っているわ」
「もう半分は?」
「不本意、かな……。思ったように、うまくいかなかったことが半分ということよ。子どもの頃の判断だもの。半分ぐらい期待が外れるのは仕方ないわ」
「シエルは、その半分のために、寂しいの」
私は頭をふった。
勉強することは満足している。自領を受け継ぐには必要なことだし、父と母が暮らすこの地区に寄り添っていくには、勉強していないときっとできないことがたくさんある。
寂しいのは、家族が離れて暮らしていること。
私の望んだ関係とはちょっと寄り添い方が違うこと。
予想が外れた半分は、あなたよ、ベン。いいえ、ベルンハルド王太子殿下。
あなたと私が、公爵家と王家の間で結ばれた縁のせいよ。
私は、ここで生まれて、ここに寄り添って生きたい。
ここで暮らすことは無理でも、ここに近いところで、家族を得て、母と父みたいに生きたい。
王城で、あなたの婚約者になって、王太子妃になって、王妃になるような道を歩きたいわけじゃないのよ。
私には私の生まれにあった、相応しい人生があると思わない。
あなたには、あなたの人生に相応しい人生があると思わない。
今の私を見てよ。
これが、本当の私だよ。
あなたがエスコートする私は、偽物だ。
あれも私だけど、あれだけが私じゃない。
この私がいるから、私なの。
あなたの隣で、偽物の私で居続けるなんて、息が詰まって、苦しくて、私がどこかで溶けてなくなってしまうような気がしてしまうのよ。
大切なものが溶けて消えてしまうのは、とても怖いのよ。
ベルンハルドは別世界の人だ。
私とは相いれない人。
でも、今、こうやって、隣にいるベンは……。
ベルンハルドも、ベンも、同じ人。でも、ベンはまやかしだ。彼の本当の姿は、ベルンハルド。本当の彼は、王族の一人で、次代の王様。
公爵令嬢シェスティンの本当の姿は、最下層の地域育ちで、ただの平民。
こんなに釣り合わない婚約者も他にいないでしょう。