22,煩悶する王太子
海へと続くメイン通りを背にして、シエルが歩く。
私は彼女の後ろをのこのことついていく。
街娘の姿でも髪は艶やか。いつも学園に通う彼女の見慣れた髪艶を思い出す。背格好も同じだ。
市民と同じような服装をしていても、シエルの衣類にはつぎはない。母親の衣装には大きな布地を当てたつぎが括り付けられていただけに、彼女だけ整った服装をしている違和感はぬぐえない。
(やはり、シエルはシェスティンか……)
声をかければいいのかもしれない。常連客の甥っ子と一緒に行っている風体で、気軽に話しかければ、シエルを通して、シェスティンと仲良くなれる。
しかし、この関係はあくまで、ベンとシエルの関係である。
ベルンハルドとシェスティンの関係が進展したことにならない。
さらに、ベンの好感度を上げてしまったら、本当の私であるベルンハルドはどうなるのだ。
本物の私を差し置いて、シエルがベンを好きになったとしたら、シェスティンから好きな人ができたから婚約を解消してほしい、なんて言われたらどうなるのだ。
私のせいで、私は奈落に突き落とされるのか。
シェスティンとは仲良くしたい。シェスティンがシエルなら、親しくなりたい。
しかし、今ここで、彼女と親しくなったら、私の恋敵が私という状況になるのではないか。
悶々とする私の方に、前を歩いているシエルが振り向いた。
「ごめんなさいね。荷物もってもらうなんてお願いして」
まっすぐな彼女の笑顔がむけられる。嬉しいのに、これは私ではなく、私に向けられたものであると思うと、途端に胸苦しくなる。切なさをこらえて、彼女に気持ちが悟られないように笑みを返した。
「あっ、いいえ。かまいませんよ」
「大荷物だから、正直助かったわ。母さんと父さんは、休日は夜も仕事なの。昼時と、夕方以降。特に平日の最後の夜と、翌日の夜はね。賑わうのよ」
「そんなに、この飲食街は市民が利用するのですか」
「そうね。ここでは、それが常識だけど……。それを知らないってことは、やっぱりベンは、貴族の子ね」
「あっ、いいや。それは……」
「いいのよ。シーグルおじさん、普通の平民じゃないなって分かってきてたもの。家庭の雰囲気がない人だったから、甥っ子でも連れてきて、びっくりしただけよ」
シエルがじっと私を見つめる。
ドキドキしてしまうじゃないか。こんな風に、見つめられる経験がなくて!
「本当に素直な甥っ子さんね、ベンは」
シエルが笑う。
どう答えていいか分からずに、私は天を見上げて、頭をかいた。
さらに彼女の声を殺した笑い声が響く。
周囲の雑踏からさまざまな音が響いているはずなのに、私の耳には彼女の笑い声しか聞こえない。世界中の音を排斥し、彼女の声だけが耳奥に鮮明にこだまする。
「こんな人だとは思わなかったわ」
「なにが?」
「……シーグルおじさんが」
「叔父が?」
「そう。家族とかいなくて、悠々自適な独身貴族に見えるでしょ」
確かに、叔父は女性にはもてている。独身というのもあるが、そもそも物腰が柔らかいからだろう。
まさか、シエルが好きなのは、叔父上ということか。
私の恋敵が、私だけでなく、叔父もとなると、ますます私の行き場がない!!
これは由々しき事態ではないか。
「それは、叔父に家族がいると不都合ということですか」
「不都合? なにが?」
「いや、もし、叔父に妻や子どもがいたら、というか……」
もし叔父に家族がいると知ったら、シエルを傷つけることになるのではという気持ちが盛り上がり、私の語尾が小さくなる。
シエルは、きょとんとする。
「なんで? シーグルおじさんに家族がいたって不思議じゃないわ。男の人ってふらっと遊ぶものでしょ」
そうなのか? それでいいのか? なんか、シエルの思考が進んでいて私には理解できないが、それでいいのか。確かに、叔父上はいつもふらっと遊んでいる。
そうか、あれは、普通なのか。
「そうか、そうだな」
半分私に言い聞かせる。
彼女の返答から、叔父上は眼中にないようなので、それが分かっただけで良しだ。今のところ、ライバルが一人いなくなったと喜ぼう。