20、迫られる二択
店主と女将、叔父が楽し気に会話を続ける。話しながらも、厨房の清掃と、どんぶりや箸を洗う手を止めない。シエルは、店中の掃き掃除をしている。
なんと働き者な一家だろう。これが普通の市民生活なのか。
いやいや、シエルがシェスティンなら、いつもの彼女は学園にいる。彼女は毎日登園していることは知っているのだ。彼女がこの店での仕事に慣れているということは、シエルがシェスティンではない、または、シェスティンがシエルとなり定期的にこの店で働いているかのどちらかだ。
声は確実に彼女のものだ。ならば、後者が妥当。
公爵家の令嬢の正体が一般市民なのか。
分からない。分からないことだらけだ。
私は何もしゃべれなくなってしまった。私を置いて、周囲の会話は弾む。
「ねえ、シエル。明るいうちに、卵買ってきてもらえるかしら」
「いいわよ、母さん。二回往復するぐらい買ってくればいいわよね」
「あと、豚肉の塊も欲しいな。夜用の野菜も」
「父さんも~。すると、市場と三往復か四往復ね」
「明るいうちで済む分でいいわよ。シエルがいると助かるわ」
「いいのよ。夜の店もあるんだから、少し休んでて。厨房片づけたら、休んでね」
シエルは両親と話しながら、三角巾を取った。シェスティンと同じ金髪が、後ろでまとめられ、箸の様な棒が一本刺さっている。
彼女は奥へと引っ込む。
私の肩がつんつんと突かれた。横を向くと、叔父がにやにやしている。
「ベン。シエルのお手伝いしてあげたら」
「叔父上。しかし……、それでは約束の時間が過ぎてしまいます」
「それなら、俺が説明しておいてやるよ。約束の時間も場所もしっかり聞いているからな」
「しかし……」
困惑する私に、楽し気な視線を残し、叔父は顔をあげた。
「ヤン。良いだろ。可愛い娘が市場に何往復するなら、荷物持ち一人同行しても」
「それは、俺もありがたいが。いいのか。約束があるなら、悪いだろ」
「気にすんな。なんなら、社会見学で、一晩泊めてもらうか。明日、迎えに来てやるぞ」
「えっ? なんですか、それは、突然!!」
「そうだぞ、シーグル。そんな突拍子もない提案困るだろ!!」
店主と私は同時に慌てて、顔を合わせた。
「いや、君に居てもらっては迷惑という意味ではない。親御さんもご心配されるだろう、そういう意味だからな。勘違いしてくれるなよ」
「いいえ、こちらこそ、叔父が妙な提案をしてしまって申し訳ありません。ですが、けっして、ご家族や店主が嫌と言うことではなく、見ず知らずの者が邪魔することをご迷惑を思ってのいるのです」
「まさか、君のような、好青年を好まない親はいないだろう」
「あっ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、不安が和らぎます」
「いや、俺が言ったのは、あくまでも一般論だ。他意はない」
「一般論ですか、そうですよね。はは……」
義理の父に認めてもらえたかと勘違いしそうになってしまった。
「どうする、ベン。泊るか? 帰るか?」
(叔父よ。なぜそこで、二択をせまるのです!!)
あわあわと答えに窮している私の横にまた別の声が飛んできた。
「いいじゃない、父さん。泊って行けば、こんな機会じゃないとお話しできないもの」
「かっ、母さん。しかしだな、うちも狭いし。泊る部屋はないぞ」
「そう? シエルの部屋、布団二枚ひけるのだし、いいんじゃない」
「待て、シエルと同室って、まだ早いだろ」
私はぶんぶんと勢いよく頷いて、義父に同意する。
義母は涼しい顔で振り向いた。
「ねえ、シエル! ベンさんがお買い物手伝ってくれるそうよ。それから、今日はうちに泊まってもらおうと思うのだけどどうかしら」
私は手を組んで胸に寄せた。
まるで裁きを受ける気分である。
「かまわないわよ。行くなら、一緒に行こう。泊るなら、泊って行けばいいわ」
麻の布鞄を持って出てきた彼女が言った。
(良いのか! 私という婚約者がいながら、見ず知らずの男と一緒で! いや、両方私だが、今の私はベンと名乗り、ベルンハルドではないのだ。ああ、まるで、別の男に誘われているシェスティンを見ているようでいながら、それも私! 私が私に嫉妬してどうするのだ!)
「でっ、ベンはどうするの」
叔父が追い打ちをかけてくる!
「……買い物も行きます。一晩、お邪魔もします」
私に負けたくないのなら、断る方が妥当。しかしだ、彼女とお出かけできる誘惑に負けて、合意してしまった。なんて弱すぎる私。