19、義父と義母
スープまで飲み干し、私は箸を置いた。
「美味かったか」
頭上からかけられた声に、顔をあげる。にこにこした店主がいた。
(シエルがシェスティンなら、この方は私の義父?)
全体的に日に焼けている、がっしりした男性である。額から流れる汗を、首にかけた布で拭う。仕草に豪胆さを醸す。
(公爵家の当主夫妻が彼女の祖父母であることは暗黙の了解。実の父母は領地にいるものとみなされていたが、まさかこんな目と鼻の先に……)
「どうした?」
「いえ、えっと……、とても美味しかったです」
「そうか、よかった」
率直な感想に満足そうな表情を浮かべた店主が手を伸ばし、私の前にある空のどんぶりを下げた。
「良かったわ。隣国の料理ですけど、お口にあいましたか」
「はい、とても」
厨房に女性が現れた。シエルとよく似ている女将。夫婦で切り盛りしていて、シエルが一人娘となれば、彼女はシエル、いやシェスティンの母ということ。
「俺の女房だ。よろしくな」
「よろしくね、ベンさん」
「初めまして、よろしくお願いします」
ぐっと拳を握って、頭を下げる。手の中にじんわりと汗が滲んできた。
(緊張してきた。シエルがシェスティンなら、この女性は義母。 ということは、この方が、元公爵家のご令嬢? いや、こんな、街中の料理屋に……)
顔をあげ、女性をまじまじと見てしまった。見ずにはいられなかった。
元気で明るい笑顔。やはりシェスティンに似ている。
なぜ公爵家のご令嬢が、平民に紛れ込んでいる? シェスティンの母は自領で療養中というもっぱらの見方だが、まさかこんな平民に紛れているとは思わなかった。
分からない。分からないことだらけだ。
いや、私は大事なことを見過ごしている。
ここは叔父の友人の店。
店主とは昔馴染み。それはいい。いや、良くない。
良くないが、今はいい。
この女将。もしこの方が、元公爵家のご令嬢。
ならば、叔父の元婚約者。
若かりし頃に、婚約を解消した相手の、しかも夫婦で営む店の常連になっているのか。
公爵令嬢が平民と結ばれる?
私はばっと叔父を見た。涼しい顔で、つまみを口に運んでいる。エールはもうほとんどない。
(いったい、これはどういうことなのだ)
愕然とする私に、叔父が気づく。
「どうした、ベン」
「あっ、いえ……、なんでもないです」
(聞けない。これは、聞けないぞ。しかし、店主と叔父の仲は良さそうだ。さらに、女将とも普通に接し、険悪さなど微塵もない。どういうことだ、どういうことなんだ)
私の頭のなかがぐるぐると回る。
「ベン。袖が汚れちゃうわよ」
現実についていけないでいる私に横から声がかかった。びくっと体が跳ねた。すぐ横に、シエルがふきんを手にして、覗き込んできた。
ちっ、近い!
「カウンター拭くね」
「あっ、ありがとう」
「いいえ」
目の前で三角巾をつけた彼女が身を乗り出して、カウンターを拭く。
シエルがシェスティンなら、こんなに自然に近づくことはない。シェスティンの対応はいつももっと素っ気なく、人目がある時にかるく触れるように手や腕を添える時も、半歩は身を離している。
目の前に彼女の三角巾をつけた頭部が流れ、私の視線に気づき、ちょっと顔をあげた。眼鏡をかけている。レンズは入っていても、度がない。目は悪くないようだ。
シェスティンは目が悪くない。もしかして、このメガネはカモフラージュか。
「どうしたの」
「いえ……、ありがとうございます」
「どういたしまして」
シェスティンそっくりのシエルが笑った。
私の隣に座っている。
こんなにも彼女が自然に横にいてくれたことなどあっただろうか。否。
メルタ嬢の突撃、どころではない。この状況はどうしたらいい、どうしたらいいのだ。彼女の父母を前に、私はどう振舞ったらいいのだ。
叔父はどこまで分かっていて、なんのために、ここに私を連れてきたのだ!!