11、父と母に缶詰とパン
「母さん、父さん。ただいま」
「おかえり、シエル」
「朝ご飯、まだ食べてないの。なにか美味しいの食べたいよ、父さん」
「帰ってきて、おはようより先に、お腹空いたか。まったく仕方ない子だなあ、シエルは」
父さんが笑う。半そでのシャツにパンツ。厚手の生地で作られたエプロンをして、調理場内でスープの仕込み中だ。
私は、店のカウンターにぱさりと新聞をおいた。
母さんが厨房から顔を出す。
「帰った傍からいつものことね、シエル。まずは荷物を二階に置いてらっしゃい」
「はあい」
三角巾をつけた母さんは、普通の市民が着るワンピースを着ている。そでにはいくつかのつぎがある。スカートには、十センチ四方の布地が二か所当てられ縫いつけられている。どこかにひっかけて破れたところを隠しているのだ。とても元公爵家のお嬢様とは思えない、普通の市民のお母さんだ。
「パンと缶詰ならすぐ出るぞ。用意しておくか」
「噂の缶詰だね。食べたい、食べたい」
「シエル、用意しておくから、まずは二階。お店を開く時間も近いのだから、早く食べてしまってね。お休みの日はこれから忙しくなるのよ」
「はあい」
私は調理場の奥にある階段から二階に上がった。
通路側の狭い小部屋が子どもの頃から私が寝ている小部屋だ。生まれた時から、ここで母さんとゴロゴロして育ってきた。
普段は公爵令嬢であっても、時々こうやって家に帰るとすっかり私は一市民にもどってしまう。生まれついたものはなかなかぬぐい切れない。
窓を開けて、空気を入れ替える。
窓下に荷物を置いて、窓辺に手をかけた。
真下にはメイン通りから続く細い小道が細く長く続く。メイン通りの店舗がよく見える。店員が開店準備のために、道にテーブルと椅子を並べ始めた。
休日は朝から昼過ぎにかけて賑わう。朝ご飯を家で作らず外食するのが一般的。家族みんな、気の合う隣人同士で、休日最初の食事を楽しむのだ。
私は鞄から三角巾を取り出した。
母さんと一緒に、休日の店を切り盛りする臨戦態勢を整える。
後ろで縛った髪をくるりとまとめ、鞄をまさぐって取り出した細い木の棒を持つ。まとめた髪に刺して、ぐるっと回して、ギュッと差しなおすと、あら不思議、髪にお団子ができて、しかも落ちてこない。
これは、父さんの故郷で見られる髪のとめ方。今は亡き父さんのお母さんもそうやってまとめていたとよく懐かしそうに話していた。そのぼっこが気になって、抜いては、怒られたと、膝に乗せたちっちゃい私に語り掛けていたっけ。
飲食を扱うのに、髪が伸びていたら邪魔。伸ばしていたら不潔でしょ。清潔感がないとね。
空気の入れ替えも終わり。
私は階下に降りる。
父さんが奥で麺を打っている。
母さんが寸胴のスープ鍋をかき回している。
カウンターに置きっぱなしにしている新聞の横に、塩味のサバの缶詰と、お皿にのせられた丸いパンが二つ置かれていた。
「缶詰だね。今日の新聞の一面にも載っていたよ」
「最近、よく入荷するし、便利だからね。主婦が集まったら、どんな風に工夫したらおいしいかって話題になるわ」
鍋を回しながら、母さんが答える。開店間際で忙しいので、振り向く余裕はないらしい。
カウンターにつくと新聞を広げる。
缶切りがあり、それで缶を開く。二本の細く短い棒が缶の傍におかれていた。異国で使うカトラリー、箸だ。
こんな棒をどう使うのと思うかもしれないけど。意外とこれが使いやすい。なんでも掴めるし、上手に使えば、大きな肉や魚もきれいにほぐして食べれる。異国の文化はもの珍しいけど、簡素で応用性が高くて、収納スペースもとらなくて、すごいと思う。洗うのだって簡単よ。フォークのように間に挟まっていることも、刺さったままの食べ物をとる必要もないんだもん。
水洗いでちゃちゃっと撫でればきれいになる。箸、って、本当に便利。手先を使うから、使えるようになるのはちょっと練習が必要でも、一度使えるようにしといて損はない。
(うちは、隣国贔屓だしね)
祖父母も、父も母も、私も含めて、隣国との縁は深い。