1、公爵令嬢は双眼鏡で観察中
「婚約破棄ってお話のなかの夢物語よね」
独り言ちる私は、シェスティン・エールソン。公爵家の次女。
窓辺の机に伏して、ぺらぺらと本をめくりながら、ランチタイムにいまだ教室に残り、ちらちらと学園生が集う憩いの中庭を眺めている。
夢物語では、婚約破棄から始まるお話が目下大人気。貴族令嬢が婚約破棄なんて、自ら言い出せないし、お相手だって、そんなことはできないと分かっている。
互いの家の面子。
落ちる家の評判。
不貞が発見されたら、互いについてくるマイナスイメージ。
出世、結婚へ連なる不利益を考慮したら、婚約破棄はあり得ない。
そもそも、婚約破棄に至らないようにちゃんと周囲の地固めはされるのだ。
(父にも母にも怒られて、次に縁談もなければ、夜会などでエスコートの声もかけてもらえない侘しい令嬢に成り下がるのよ。男性だって、浅慮を示すようなものじゃない。普通そんな勇気なんて、無いわ~。ないない。ぜったいに無いわ~。穏便に婚約解消あたりが現実的よ)
中庭に、昼時の談笑で学園生が集まってきた。青々とした芝生に、学園に通う貴族の子弟がわらわらと小集団を作り始めた。
私は確認しなくてはいけない人物が現れるのを待っている。
懐に隠した双眼鏡を取り出す。
机に伏して、名探偵さながらに、レンズを通して本日の動向を注視する。
観察対象は、ベルンハルド・リンドグレーン王太子殿下。
私の婚約者だ。
どうして観察しているか。
それは彼が最近、特定のご令嬢と親しくしているから。
栗色の髪にモスグリーンの瞳が愛くるしい下級生のご令嬢である。
食堂で一緒にいるところを目撃し、帰宅時に一緒にいるところを目撃しているの。
これはまさに、夢物語のような展開と言えるわ。
今か今かと待っている私が潜む窓辺の下に、婚約者が出てきた。
(きたわ、きたわ、きたわ)
中庭へと続く廊下を通り、出てきた殿下。護衛騎士を引き連れて、件のご令嬢と歩いてくる。
木陰のベンチが空いていて、護衛が手で土埃を払う。令嬢、殿下、護衛、という順番で腰を掛けた。
真ん中にご令嬢が座り、その両隣に王太子と護衛騎士が座る。殿下が声をかければ、ご令嬢が笑う。
仲睦まじく談笑する姿を誰も意にとめない。まるで公認に仲であるかのようよ。
いよいよもってきな臭い。
まるでお話の世界のようだけど、これは現実。
私の婚約者が、下級生の愛らしいふわふわした栗色の、控えめな紺色のリボンを結ぶ少女と仲睦まじい姿を見せつけている。
さしずめ彼女の立場は泥棒猫。
婚約者を奪われたと嫉妬まぎれに、悪役令嬢である公爵令嬢が意地悪するお相手ね。
悪役令嬢。言うなれば、私よね。
意地悪する?
しないわ。
あんな可愛らしいお嬢様に手を出す無粋な真似なんて、するつもりはさらさらないのよ。
そもそも、私は殿下に興味はないもの。
そう、目下私の気になること。それは、私の婚約破棄の日取りなのよ。
いけないわ。婚約破棄なんて絵空事を考えてしまうなんて。違う、違う。殿下がおバカじゃなければ、王家と公爵家で婚約解消の流れに進むはず。
これだけの光景が白日に晒されているなら間違いないわ。
ごくりと生唾を飲み込む。
(婚約破棄、婚約解消。すごい響きだわ。滅多に起こらないお話が現実になるかもしれないのよ)
そういうわけで、将来を見定めるため、ランチタイムを犠牲にして、目下私は婚約者の動向を観察をしているの。