第八十六話「婚約者としての使命」
年に一度、一条家では当主と一条家の分家筋で構成される組織・元老院の宴会がある。
いわゆる形式的な食事会のようなものであるが、そこには通例として当主の婚約者や妻も同席する運びとなっていた。
「結月様、綺麗です!」
「ありがとう」
結月は艶やかな朱色の着物に着替え、食事会の準備をしていた。
しばらくすると、永遠が結月を呼びにきた。
「結月様、朔様のご準備も整いましたのでこちらへどうぞ」
「わかった」
結月は着飾った姿で朔のもとへ向かった。
(朔様は綺麗だと思ってくれるかな?)
期待に胸を膨らませた。
「朔様、結月様をお連れしました」
「──ああ」
朔の反応はあっさりしたものだった。
それに、朔は結月と目を合わせなかった。
(目を合わせてくださらない……)
結月は朔の心が完全にここにないことを悟った。
(駄目、泣いては……。朔様には想い人がいるし、私には凛さんがいる。もう、忘れなきゃ……)
結月は目に涙を浮かべたが、目を逸らしている朔がその様子に気づくことはなかった──
宴会の席の最中、結月が席を立つと、庭のほうに朔の姿が見えた。
(朔様……?)
結月はゆっくりと朔に近づく。
朔は池を泳ぐ朱色の鯉を眺めながら結月に問う。
「凛とはうまくいっているのか?」
「え……?」
結月は予想外の朔の言葉に驚いた。
「……はい」
「そうか」
朔の言葉はそこで終わった。
(朔様……もっと話していたいのに……何を話せばいいかわからない……)
結月と朔の静かな空間はこのあとも続いた。
婚約者としての責務を終え、部屋に帰る。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
そこにはいつものように美羽が待機していた。
出迎えると、部屋の中でゆっくりと結月の着物を脱がせていく。
「ねぇ、美羽?」
「なんでしょうか?」
美羽は帯に手をかけ、ゆっくりと結月の身体を解放していく。
すると、美羽の手元に雫が落ちた。
ふと結月を見上げると、子供のように泣く結月の姿があった。
「結月様……?」
「人を好きになるって……恋ってこんなに辛いんだね……」
美羽はその様子を見て、そっと結月の背中をなでた。
一方、同じく宴会を終えた朔の部屋には凛がいた。
「入っていいといっていない」
「まあね、確かに許可はされていない」
「なんだ」
「結月」
その言葉にぴくりと肩を揺らす朔。
「君は結月のことが好きなんだろ?」
凛の問いかけに何も答えようとしない朔。
「その想いを断ち切らせてあげるよ」
凛は朔に近づくと、耳元で言葉を囁いた。
「明日夜、あの場所で待ってる」
凛は朔に告げると、そのまま部屋を去っていった。
「……」
凛の言葉に朔は覚悟を決めたのだった。
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