第百話「時哉の遺したもの」
以前の分を一部修正してあげております。
27年前──。
「生まれたか!!」
「旦那様、お待ちください! まだ準備が……」
時哉は赤子の泣き声が聞こえる和室のふすまを勢いよく開いた。
この日、一条家にとって待望の男子が誕生したのだ。
「可愛いなあ~!」
時哉は侍女の制止を聞くことなく、赤子を抱き上げた。
「父だぞ~」
「あなた、まだ赤子なんですから慎重に触れてくださいね」
「わかってる、わかってる!」
時哉の妻、夏が布団の中から声をかけた。
その表情は安堵の色が見える。
その光景をその場にいる誰もが微笑ましく見守っていた──。
やがて、『朔』と名付けられたその子は、立派な当主となるべく、一条家の英才教育を受け成長した。
「朔」
「はい、父上」
縁側に座って親子で話す昼下がり。
時哉は忙しい合間をぬっては、朔や夏との時間を作り、家族で過ごしていた。
「朔という字には『ついたち』や『一番になる』という意味がある」
「はい、存じております。一条家の人間として恥じぬよう何事も一番に……」
「違う違う! そうじゃない。朔という名は俺が響きで決めた」
「……はい?」
父親の返答に、朔は思わず言葉を失う。
すると、その様子を可愛いなとつぶやきながら、見つめて言う。
「一番になるなんてのはどうでもいい。ただ、後付けするなら、人を一番愛せ。そしていつか見つけるお前の大切な人を一番大切にしろ。それだけは守れ」
『大切な人』や『愛する』ということは、まだ五歳の朔には到底理解が追いつかない内容だった。
「……申し訳ございません。理解できません」
「まあ、いい。お前はもっと子供らしくいろっ!」
時哉は朔をくすぐって笑わせようとする。
朔も意外な父の姿に顔を綻ばせて笑った。
17年前──。
朔は涼風家の屋敷で、初めて結月に会った。
侍女と一緒に毬で無邪気に遊ぶ姿は、羨ましく、そして可愛らしく思った。
何度か涼風家に足を運んだ際に、屋敷から遠く離れた蔵で結月と会うことがあった。
『迎えにいったらお前の傍から決して離れない。お前を離さない』
蔵を離れた朔は我ながら恥ずかしいことを言ったと思った。
しかし、結月を見た瞬間から『守りたい、守らなければならない』と感じた。
あどけない笑顔を見せる少女に心惹かれ、そして朔はその少女、結月を想い続けた。
しかし、そんな朔にも残酷な別れが待ち受けていた。
「父上……!?」
ある日、時哉は一条家の屋敷に血だらけで帰ったのだ。
すぐに医師が駆け付けたが、もう手の施しようのない傷を受けていた。
侍女を含め、一条家に仕えるものは時哉と朔の二人きりにして最期を見守った。
「父上、どうしてこのようなことに……」
「いいか……よく聞きなさい……これは一条家の当主が持つ天牙の太刀だ。肌身離さず持つように」
時哉から太刀を受け取ると、ゆっくりと頷く朔。
「それから、涼風家が襲われた」
涼風の名を聞いた朔の心臓は大きく飛び跳ねた。
結月は無事だろうか、と心配になり、父の言葉を待つ。
その感情を読み取ったように、時哉は結月の無事を朔に伝えた。
「涼風家の姫君は三条の千十郎に預けて保護している。それから、涼風家を襲ったのは朱羅という者だ。だが、決して争ってはならない。助けてやってほしい、あの子を……」
「父上……? 父上!!!」
時哉はそのまま朔の腕の中で、静かに息を引き取った。
しばらくして時哉の妻であり、朔の母である夏が訪れ、時哉にすがって涙を流した。
後日、一条家の当主は正式に朔となった。
それと共に、朔は夏から朱羅の存在を教えられる。
涼風家の先代当主千里の妹が縁談に納得がいかず、家を飛び出し妖魔との間に子供を設けたこと。
その存在を知った千里が、密かに友人である時哉と協力してその子供と母親を保護していたこと。
そして、その子供が『朱羅』という名前であること。
どうしようもない苦しみと憎しみが朔を襲った。
涼風家を襲って以来、姿を隠している朱羅を見つけることは困難であった。
父の仇を討ちたいと思う気持ちと、父が助けてほしいと最期に願った言葉を叶えたい気持ちで朔は揺れ動いた。
そして、その年の暮れ、朔の母である夏も時哉の死に耐え切れず病に伏せったあと、亡くなった──。
一方、涼風の姫、結月の存在を静かに見守ることにした朔。
千十郎の報告によれば、一族滅亡のことを忘れ、平和に過ごしているようだった。
今すぐに愛しい者を約束通り迎えに行きたい気持ちがあったが、それは結月の『平和な日常』を壊してしまうのではないだろうかと朔は考えるようになった。
やがて、朱羅は涼風家の次は一条家を標的に行動を開始する。
妖魔退治の長である涼風家を失い、朱羅を筆頭とした妖魔の勢いが増した。
「朔様っ! 愁明家の当主が朱羅に倒されました」
繰り返される一条家と朱羅の攻防はまるで、朱羅が遊んでいるかのようにすすめられた。
守り人や多くの犠牲を払いながらも、なんとか妖魔を退治し、綾城を守り抜いてきた。
「朔様。妖魔が綾城郊外にも迫っております。このままでは結月様を危険にさらすことになるかもしれません」
その言葉を聞き、朔は結月を自分のもとに呼び寄せることに決めた。
「千十郎。結月を綾城へ」
「は、はい! かしこまりました。すぐにそのようにいたします」
千十郎が去ったあとも、朔はこれでよかったのかと自問自答した。
(必ず守り抜く。結月だけは命に代えても……)
朱羅は朔の凄みに、一瞬畏怖した。
(結月のことを出した途端にこれか)
朔は大太刀へと変化させた刀を振り上げ、三日月型の斬撃を朱羅に向かって放つ。
金色に輝く目はまっすぐに朱羅を見据えている。
その斬撃を跳躍して避けると、そのまま朔へと飛び掛かる朱羅。
刀を思いきり天から振り下ろす。
朔はその攻撃を大太刀で受けると、そのまま朱羅の腹を蹴った。
「ぐはっ!」
蹴りを受けた朱羅は柱に打ち付けられ、血を吐く。
朔は間髪入れず、朱羅へと切りかかった。
朔の大太刀は朱羅の右腕を切りつける。
「がはっ!」
朱羅は顔を歪めて、さらに血を吐いた。
「父の仇などと偉そうにのたまうつもりもないが、お前に情けをかけるいわれもない」
そう言うと、朔は追い打ちをかけるように朱羅を貫こうとする。
しかし、その攻撃を寸でのところで避けると、大太刀は柱に突き刺さる。
その隙を見逃さず、朱羅は一気に距離を取ろうとするが、朔がそれを許さなかった。
朱羅を追いかけるように駆け、二人は刀をぶつける。
二人は立ち止まり、刀同士がきりきりと悲鳴をあげて交わる。
朱羅は朔を挑発するかのように結月の名前を出す。
「結月は俺のもんだ。あいつの『翠緑の風』と俺の『凋枯の風』があれば、世界を操れる!」
「たわけ」
朔は朱羅に押された刀を押し戻し、一気にイグの力を込めて衝撃を朱羅へとぶつける。
衝撃は朱羅の勢いを削いだ。
「お前に結月は渡さない」
朔の静かな怒りの声が朱羅に届いた。
結月を巡っての争いは激しさを増していく──。